2019年10月ぶりのブログ更新です。
今の気持ちを書き残しておきたくて、書くことにしました。
すうぷ屋でみちゃんから、豆腐屋たけちゃんへ。
たけちゃんと初めて会ったのは、でみCafeが国分寺に移転することが決まる前、
酒場のそらさんで、お好み焼きパーティだったかなにかの時だったかと思います。
「たけちゃんのおからを使って、ドーナツ作ったらいいのに。」
誰かがそう言ったのをよく覚えています。
ふとたけちゃんと呼ばれている人を見るとカウンターにこしかけて座っているたけちゃんがいて、
豆腐屋にしては若くて、ちょっとロックバンドでもやってそうなお兄さん風でなんだかカッコいいなと思いました。
それからしばらくして、でみCafeが国分寺に移転することになって、朝、たけちゃんのところにおからを買いに行ったら「まだできてないよ」と言われ。
とぼとぼと店に戻ってきたこともよく覚えています。
たけちゃんのつくる豆乳とおからでつくるおからドーナツはそれまでつくっていたものとはまるで違う。
やさしくてそぼくで、ほんのり甘くて。ああ、あれはきっと大豆のほっくりした甘さがにじみ出ていたのかもしれないな、と今は思います。
たけちゃんは甘いものが好きで、私の実家の土産の「赤福」をいつもよろこんでもらってくれました。
去年も今年もコロナのせいで帰省できてないので、赤福もお持ちできてなくて、とても残念です。
今年こそ買ってくるね。そして、お供えしてもらいに行きますね。
よく料理人の人とか飲食店の人が「お料理で人によろこんでもらいたい、人と人をつなげたい。」というけれど、
たけちゃんがやってきたことはそんなもんじゃない。
たけちゃんはいつもひたすらに大豆と向き合って、普通に、ごくごく普通にお豆腐をまじめにつくってきた。
と私は思う。そこには誰にこびることもなく、ただ、豆腐を丁寧に毎日つくることだけに心血そそいできたのだと。
日曜日しか休みがなくて、朝早くから夜遅くまで。本当にまじめにこつこつと。
だけど、たけちゃんのおからでつくったおからドーナツは、小さい子からご老人まで色んな人に食べてもらえて、
そして喜んでもらってきました。延べにしたら何百人?何千人?もっとかな?私とお客さんをつないでくれました。
たけちゃんのお豆腐もお揚げも、がんもも厚揚げも、近隣のお店や保育園などでたくさん食べられてきたから、
私達は知らず知らずのうちにたけちゃんの手によって、つなげられてきたんだと思います。
そんな偉業を誰にも気づかれずにひとりでいや、家族と一緒に、こつこつとやってきたんですね。
国分寺には残念ながらお豆腐店はたけちゃんのお店だけで、
たけちゃんのお豆腐はたけちゃんにしかつくれないし、これから先、どうなるのかわからない。
でも、私はおからドーナツをこれからもつくりますよ。
たとえおからは変わっても、こころはずーっと忘れない。
たけちゃんと一緒につくってきたおからドーナツだから、これからも一緒につくるよ。
たけちゃん、本当にありがとうね。
先にそっちにいっちゃって、もっと先にいった人達と今は音楽の話とかしてるのかな?
大好きな釣りも落語も思いぞんぶん楽しめるね。
私達もいつか、そっちにいくからね。そしたらまた仲良くしてね。
たけちゃん、もう一度くらい会いたいけど。会ってお礼が言いたいけど。
聞こえてるかな?私達の声。たけちゃん、だめだよ、急に逝ったら。びっくりするよ。
初めて訃報を聞いた時、え?死んだの?でも明日も豆腐つくるんでしょ?また買えるんでしょ?若いのに死ぬわけないじゃん、って本気でそう思ったんだよ。
今日はたけちゃんの告別式にいってきましたよ。家族葬なのにたくさんの人がお別れ言いにきてました。
さすが人気者だね。
今晩はたけちゃんのすきだった甘いものをたべて私なりにご供養させていただきますね。
夢であえたらうれしいな。
たけちゃん、本当にありがとう。