2022年4月1日(金)
今日から4月。まさに桜は満開、春爛漫です。
世界がどうあろうと、自然はいつも通り、ありのままに美しい姿を見せてくれます。
ベランダの植物も芽吹き、公園にも花が咲き始め、いつもの景色に色が増えていくのは楽しいですね。
この星の上で生きるものとして、私も同じようにありたいなぁと思います。
私たちは、人生のすべてが学びだと気づいて、観察するようになると、目の前の現実すべてを最高最善と受け入れることができるようになりますよね。
家族、恋愛、結婚、親子、仕事、すべての人間関係に、飲み込まれるのではなく、俯瞰して、学びとっていく。
自分の感情、態度、表現、言動、すべてが学び。
その学びとは、抽象的な概念や言葉だけの理解ではなくて、日常生活でひたすら実践していくこと。
まずは起きていることを見て、それをどう受け止めるか、不満や不安とどう付き合うか、うまくいかない時に歩み寄るにはどうするか、感謝や愛情をどう表現するか、人を思いやりつつ自分を守ること、謙虚さと自信の両立、何から何まで、具体的に言動していくことで学びを身につけていきます。
個人として、自分のまわりで何が起きているのかを、観察して、理解して、受け止めて、行動していく。
それが、個人としての現実を変えていく。
自分の世界を創造していくことになる。
それと同じように、個人から家族へ、地域へ、国へ、世界へ、宇宙へ、視点を広げていくことが自然な学びの流れなんじゃないかなと思います。
家族として、何が起きているのか、観察して、理解して、受け止めて、行動していく。
会社という組織で、地域というコミュニティで、何が起きているのか、観察して、理解して、受け止めて、行動していく。
日本という国の視点から、何が起きているのか、観察して、理解して、受け止めて、行動していく。
地球という星の視点から、何が起きているのか、観察して、理解して、受け止めて、行動していく。
そのすべてにおいて、具体的な実践こそが学びだと思います。
それが、現実を変えていく。より大きな世界を創造していくことになる。
個人の学びには、具体的に感情の癒しやエゴの浄化に取り組んで、具体的かつ現実的な効果(創造)を体感することが喜びのはず。
日本という国や、世界という星の視点になっても同じはず。
個人にカルマや使命があるように、日本という国にも、集合意識としての人類にも、地球という星にも、カルマや使命や目的があるんじゃないでしょうか。
そうであれば、視野が広がっても、現実創造のためには同じように具体的な関わり方が必要だと思います。
国の政治や世界情勢の話になると、急に抽象的なお花畑的な思考になるのは、私には違和感があります。
アセンションする、ニューアースに行く、愛と調和の世界を目指す、ネガティブなことにはフォーカスしない、戦争反対、世界平和。
もちろんその通りだけど、それをどうやって実現させていくか。願う現実をどうやって創造するか。それが大事だと私は思います。
だからって、急に活動家になったり政治家になったりとかじゃなくて(それもありだけど)。
まずは、何が起きているのか、事実を見極め、どう受け止めるのか、自分の中で咀嚼することが最低限、大前提として必要じゃないかと思うのです。
「戦争」と「平和」という二極でものを考えている人、今の混沌からいきなりニューアースへジャンプすると考えている人、そこには思考停止がゆえのミッシングリンクがあるんじゃないでしょうか。
何かから目を逸らしてるんじゃないでしょうか。
世界情勢や現実を語ることがスピリチュアルじゃないと考えているとしたら、そこには統合されていない溝があるような気がします。
精神と物質、心と体、光と闇、どこかで境界線を引いてしまってるんじゃないでしょうか。結局、二元性から出られないでいるんじゃないでしょうか。
「スピリチュアル」を語る人なら、自分の中のネガティブの浄化には、何度も何度も取り組んだはず。
自分の中の光と闇の統合には、真剣に取り組んだはず。
日本という国に対しても、世界あるいは地球という星に対しても、全く同じだと私は思います。
すべては相似形、フラクタルなんですから。
だんだん視野を広げれば、今まで輪郭がぼけてたお花畑だったことが現実としてクリアに見えてくると思います。
「見えていない」のでは話にならない。
目の前の現実をしっかり見て、ありのままを受け入れる勇気をもって、ありのままで美しいことを信じて、この厳しいカオスな時代を楽しみながら乗り越えていきたいなと思います。