東日本大震災から13年




2011年3月11日の東日本大震災発生時、横浜スタジアムの外野席にいた話を少々。


震災当日に観戦していたのは、横浜ベイスターズ対東京ヤクルトスワローズのオープン戦⚾️

その日は、ヤクルトに入団したてのバレンティン見たさに、有給休暇を取って出かけていた。

目当てのバレンティンは、4回に2ランホームランを放ち、ヤクルトファンの期待に応えた。

試合は7回まで進み、その時が訪れる。
午後2時46分、突然スタンドがガタガタと音を立て始めると、すぐに立っていられないほどの横揺れに襲われた🫨

轟音を伴う強い揺れはしばらく続き、あちこちから悲鳴が上がった。スタジアムの照明灯や周辺のビルが、振り子のように揺さぶられる様を目の当たりにし、絶望的な気分になった😫

第一波に続き再び大きな地震が起きたが、どこかで甚大な被害が出ているに違いないと確信した。

揺れが収まると観客はグラウンドに降ろされ、観客と選手は大型ビジョンに映し出されたニュース映像を呆然と見た。それで初めて被害の中心が東北沿岸部と知る…

程なくして外野の非常口が開放され、スタジアムの外に出る。すでに鉄道各線は全線運休との情報を得ていたので、都内の自宅まで歩くことに🚶‍♀️
 
横浜市内は停電しておらず、まずはコンビニで飲み物と食料を買い込む。横浜から自宅まで約30km。決して歩けなくはないが、途中の交通事情や被害状況が分からず、不安を抱えてスタートした。

横浜から第2京浜をひたすら歩く。
途中、ワンセグ携帯でニュースを見て状況を確認する。川崎を通過して多摩川を渡ると、車道の渋滞はいよいよ激しくなり、動かない車列を横目に軽快に進む。

さらに、都心から郊外へ向かう人々を掻き分けながら歩き、午後11時過ぎにようやく自宅に着いた。

自宅は被害無し。
地震直後に家族と連絡がついたが、帰宅後に互いの無事を確認して安堵した😌


今年は元日に能登半島地震が発生。家屋倒壊や土砂崩れなどで多くの方々が亡くなった。さらにライフラインが広範囲で寸断、鉄道や道路、港湾、地場産業にも深刻な被害が出た。

能登半島地震は他人事ではなく、都内でも関東大震災クラスの首都直下地震がいつ起きてもおかしくないし、普段から想定される事態に備えておきたい🤔 

ただし実際に震災が起きたら、どうなるかわからない。とにかく家族の命を守ることを第一にしなきゃとあらためて思う。


最後に
令和6年能登半島地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆さまにお悔やみを申し上げます

また被災された方々に心よりお見舞い申し上げます
被災地の一日も早い復興をお祈りします