5/26(日)は、
エディオンアリーナ第2にて松井さんの25周年記念興行。
1998年の4月1日にみちのくプロレスに入門した僕が松井さんに初めてお会いしたのは、入門から3日くらいたった夜でした。
瀬野さん(後の大王QUALLTさん)に連れられ道場に行き、
「松井さんはめちゃめちゃ怖い人だから土下座して挨拶した方がいい」
と、教えてもらっていた僕は、その言葉を疑うことなく松井さんに会うなり土下座して大きな声で挨拶するも、
「お前ナメてんのか!?あぁー!?」
と、結局怒鳴られてしまうということに…
巡業中は深夜のコンビニでいきなりハイキックを食らい、
昼間のコンビニでボディブローを食らい、、、
山形ではGAINAは黒のマジックで黒塗りに、僕は口の横に線を書かれ“黒人さんの腹話術”という生き恥をさらし、、、
山形か福島のココスで汽車で登場からのセミの真似という、何が面白いのか意味不明なことをやらされ、、、
GAINAはかつてCoCo壱にあった、1300グラムのカレーを20分で完食すれば無料という早食い企画を合宿所の食費を浮かせるために強制的にやらされ(本人はノリノリしかも成功)、、、
成功者の記念撮影ではおでこに大量の爪楊枝を刺され、、、
数々の試練を与えていただきました。
こんな事に屈していたらレスラーになんて到底なれんぞ!という意味合いがあったと思います。
…多分。
…知りませんが…。
至るところでヨダレ、唾、屁、小便の瀬野さん。
そして二酸化炭素を吐くかの如く打撃を浴びせる松井さん。
僕とGAINAは毎日が修行の日々でした。
こんな書き方だと嫌な先輩な感じになってしまいますが、本当に嫌な先輩で……というのは嘘で。
松井さん瀬野さんには理不尽に怒られたりしたことはありませんでした。
逆に理不尽なことを言う先輩から僕とGAINAを守ってくれていました。
自分が知る以外にもたくさんあったと思います。
もしかしたら僕もGAINAも、松井さんと瀬野さんが直の先輩でなければレスラーになれてなかったかも。
デメキン→ゴア→ドルフィンになった頃、松井さんは他団体に移籍。
瀬野さんはプロレスを引退されて、僕は二人の頼れる先輩を一気に失いました。
松井さんは団体が別々になっても、主催興行には必ず声をかけてくれるんです。
松井さん興行でゼロvs竹下幸之介なんてカードを組まれた事もありましたね。
今回の5/26も、実はまだ欠場中にオファーをいただいてました。
体は大丈夫か?
もし復帰してるのなら出てくれ、と。
試合数が多いからレフェリー3人くらいいそうで松井さんが僕らの試合を担当するかわかりませんが、可能なら是非。
最高のコンディションと試合内容で松井さんの25周年をお祝いさせて下さい!
チケットは残り少ないはず。
当時の松井さんの暴君エピソードを特典として僕もチケット受付しております。
皆さんよろしくお願いします!