PGTH式速記法講義録(高速度移行型)10…顔廷超氏没後8年のきょう、「中国の速記」に関する文を | 個人用途の新速記法 EPSEMS(エプセムズ)

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 草書派理論(CURSIVE THEORY)に基づく
  日英両言語対応の手書き速記法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PGTH式速記法講義録(高速度移行型)10

 …顔廷超氏没後8年のきょう、

    「中国の速記」に関する文を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日12月6日は、中国の 「 斜線派 」 ( 斜体派または草書派ともいう ) 系統の速記法の祖と言っても過言ではない、顔廷超氏が亡くなられて丸8年の御命日である。 ( 2008年12月6日 逝去 )

 

 氏は日本語用の速記法も手掛けられており、その50音基礎符号に限ってみれば、斜線派と半草書派のグレッグ式に用いられている線の融合のような形となっている。

 

 以下は、【 ○月×日について http://blog.livedoor.jp/kyouwanannnohi/archives/8511235.html 】で「中国語の速記」として書かれたものからの引用である。(1882年の日本の速記の元祖とも言える田鎖綱紀と同様、1896年の蔡錫勇による「伝音快字」がピットマン系のグラハム式を参考に確立されたという点も興味深い。)

 

 

 

中国語の速記


 中国語の速記は1896年に蔡錫勇が発表した伝音快字に始まります。これは速記に主眼を置いたものでなく、表意文字の漢字の学習困難による文盲一掃を目的にしたものです。アメリカに渡り速記法を目の当たりにした蔡錫勇はピットマン系のグラハム式を参考に基礎符号を定め、北京語の音節を表音的に表す方法を確立しました。しかしこれはあくまでも知識人個人としての提案に過ぎませんでした。


 ところが清国政府が国会を開設するにあたり、その議事記録方法として注目されることで本格的な中国速記史が始まります。清国政府は蔡錫勇の次男である蔡璋を召喚して速記法を考案させました。1910年には資政院に中国速記学堂を開設し、約200名を対象に速記官養成が開始されました。1911年からは二人一組で30分速記作業を行う形態が資政院の議事録で採用されました。


 このピットマン式の影響がある速記法は1935年頃まで主流を占めたが、その後グレッグ式の影響を受けた速記法が登場、更に中華人民共和国成立後はソ連のサカロフ式の影響が入り斜線派が登場しました。その嚆矢が1952年に顔廷超が発表した人民速記法案です。それ以降正円幾何派、半草書派、草書派は入り乱れ様々な速記が用いられてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

↓ PGTH式日本語速記による文例(3枚)

 (A4コピー紙、ボールペン=ZEBRA Surari  0.7)

 

 PGTH式は、50音各行への線の割り当てを伝統的な田鎖式で使われているパターンから極力逸脱しないような形で組んだもので、通常の折衷派符号よりさらに単画化を進めた形で落ち着いたものです。

 

 個人用途に特化して構成された速記法であり、さしずめ「田鎖式現代版」といったところでしょうか。

 

 個人用途を想定し、なるべく規則的で簡便な内容により、より多くの言葉を合理的に速記符号化できることをイメージして組み立てられています。

 

 

 

 

 

 

 

↑ PGTH式日本語速記(句読点等も書いている) 3-1

 

中国語の速記は1896年に蔡錫勇が発表した
伝音快字に始まります。これは速記に主眼を置いた
ものでなく、表意文字の漢字の学習困難による文盲
一掃を目的にしたものです。アメリカに渡り速記法を目の当たりにした蔡錫勇は
ピットマン系のグラハム式を参考に基礎符号を定め、
北京語の音節を表音的に表す方法を確立しました。しかしこれは

 

 

 

【新しい書き方等の解説】

 

発表→各漢字の頭音摘記により「ハヒョ」と書いて表している

 

~による→1センチ大の「ヨー」の直近右横に加点したものをラ行音の位置(=右下)に書いて表す

 

定め→「ツ」の位置を用いて「サツメ」と書く

 

 

 

 

↑ PGTH式日本語速記(句読点等も書いている) 3 

 

あくまでも知識人個人としての提案に過ぎませんでした。ところが清国政府が
国会を開設するにあたり、その議事記録方法として注目されることで
本格的な中国速記史が始まります。清国政府は蔡錫勇の
次男である蔡璋を召喚して速記法を考案させました。1910年には
資政院に中国速記学堂を開設し、約200名を対象に速記官養成が
開始されました。1911年からは二人一組で30分速記作業を行う

 

 

 

【新しい書き方等の解説】

 

あくまで→「く」を省いて「あまで」と書いて表す

 

~にあたり、」→「にあた」までを書いた後に、「ラ行音の位置=右下」から句読点を書く

 

注目→各漢字の頭音摘記により「チュモ」と書いて表している

 

200→「200」の「百の単位」は直前の数字の中央部直近真横に「ク」を書くことにより表す

 

 

 

 

↑ PGTH式日本語速記(句読点等も書いている) 3-3 

 

形態が資政院の議事録で採用されました。このピットマン式の影響がある
速記法は1935年頃まで主流を占めたが、その後グレッグ式の影響を
受けた速記法が登場、更に中華人民共和国成立後はソ連のサカロフ式の
影響が入り斜線派が登場しました。その嚆矢が1952年に
顔廷超が発表した人民速記法案です。それ以降正円幾何派、
半草書派、草書派は入り乱れ様々な速記が用いられてます。

 

 

 

【新しい書き方等の解説】

 

~がある→「が」の部分と「ある(=ア)」をつなげて書いて表している

 

更に(さらに)→「サニ」と書いて表す

 

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 

 

 

 

 

 

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