片山 夏子

「この現状を見てほしい」―。

珠洲市の住民の言葉です。土砂崩れで山肌が剥きだしになり、生えていた木々が根こそぎ流れ、折れた木の切っ先が道路に向かう…。能登半島地震から2カ月たって、半島中を車で走り回りました。2カ月たって「かなりよくなった」と誰もが言う道をたどっても、今も巨大な陥没やクレパスのような割れ目、ひび割れた路面、今にも土砂崩れが起きそうな斜面が迫るすぐ脇の道が続きました。今も土砂崩れがいつおきるかわからない。感じたのは恐怖です。

 

震源は半島北部の珠洲市や輪島市の近く。それでも南部の避難経路の幹線道路でも通行止めが何カ所も起き、志賀原発から45㌔離れた内灘町では、液状化で道路が波打ち、倒壊した家が道を塞ぎ、今も通行止めになっていました。もし「南部が震源だったら、半島が孤立する」と案内してくれた志賀町議の堂下さんが、言った言葉で、県は避難計画を作り直すと言っているけれど、この現状を見て、避難避難計画をつくることはできないと実感しました。

 

少し走ると、現地の記者に「夜は走るな」と言われた意味がわかりました。珠洲市や輪島市に入ると、北部に近付くほど、今だに通行止めの道が増え、落ちた巨大な岩石、土砂で埋まった道、激しい亀裂や陥没で通行できない道が続きました。道を塞ぐコンクリートの円筒は、近づくとマンホールだとわかりました。地震直後はパンクした車や道路の陥没や亀裂にはまり動けなくなった車が、あちこちで見られたといいます。

 

堂下さんの住む志賀町の切留集落に行くまで、9カ所の土砂崩れがあり、そのうち4カ所は道路を塞ぎました。これは南に続く道です。北に続く道も3カ所で土砂崩れが起き、2カ所は道路を塞ぎました。堂下さんはまだ避難生活を送っています。梅雨までの間、まだ土砂崩れが起きる可能性があるからです。でもその後台風の季節も来ます。「帰ると決めている」という堂下さんがいつ帰れるのか…。1日も早く戻れるようにと祈りながら、見通しの立たない不安を感じました。

 

地図にすべての通行止めを✕で印すと、地図は✕だらけで見られなくなります。幹線道路だけでもその現状です。一本脇に入った道は、通行止めだらけです。そしてその道を通らなければ避難経路をたどれない現状があります。避難のバスも引き返してきて、ヘリ搬送に。ヘリは運べる人数が限られるのと、吹雪や悪天候では飛べません。船は海底の隆起で港がだめになっているだけでなく、船も漁師さんも被災しています。

 

問題は避難計画だけではない―。連載の中、下は渡邉聖子記者が書いています。追って紹介します。

追記・全体力を使い果たしたようで、きのうはダウン。投稿も遅くなりました。20代の体力がほしい~。しかしルポ中にパンクしなくてよかった。パンクしたらそこで終わり…。「車がパンクしても業者は来れないよ」。それは泊まったキャンピングカーや支局で夢に見るほど、怖かった。

 

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