■高橋徹著「オウム死刑囚父の手記」と国家権力

 ・・・加害者家族もう一つの「被害者」

 

 

 

 「嘉浩はこの世に生まれて果して幸せと感じたことがあったのだろうか。何もかもが父親としての私の責任である」

 

 嘉浩とは、16歳でオウム真理教に入信し「修行の天才」などと呼ばれるまでに上り詰めた揚げ句、地下鉄サリン事件など未曽有の犯罪の数々に手を染めた、井上嘉浩氏だ。その父親が息子の逮捕から死刑執行まで24年間書き続けた手記。北陸朝日放送の記者である著者はこれを入手し、ドキュメンタリー番組として放送した。さらに厚みを加え書籍化したのが本書だ。

 

 父親である自分は家庭を顧みず、両親のいさかいが絶えない境遇で息子は居場所を失い、だから教祖の説く人類救済の教えにのめり込んだ・・・と捉え、自分こそ裁かれるべきだとの自責に苦しみ続ける父。成人の犯罪に親の責任が問われる必要は無いのだが、〈家庭の在り方が犯罪に追いやったのだ〉という、子を愛すればこその後悔。そして被害者が「加害者の家族が生きているということすら否定したいのも理解でき「実際そうでなければいけないかも」と感じる、重い贖罪意識。近所からオウムの家だと呼ばわれ、住み慣れた地からの転居も余儀なくされる差別や排除。絶えず続く痛みを追いつつ著者は、加害者の親は果たして加害者なのかと疑問を投げる。被害者側に比べ共感されることの少ない「加害者家族」という、もう一つの「被害者」の現実。それを伝えるすべを評者自身も模索してきたが、本書はその貴重な成功例だ。

 

 タイトルの「国家権力」に著者の真意を感じる。生きて反省と説諭された一審の無期懲役判決はなぜ死刑へと覆されたのか。再審手続きの途中で突然に刑が執行されたのはなぜか。何一つ伝えられない。そのことで家族はさらに苦しみ、孤立を深める。著者は記者人生でずっと問い続けてきたという「国策」死刑のうちにもみている。本書で、加害者家族の存在に多くの人が思いを致してほしい。

 評者:長塚洋(映像ディレクター・映画監督)

 

https://00m.in/Wwoep ←「贖罪 ~オウム死刑囚 父の手記~」(テレビ朝日 2020年3月15日放送)

 

https://00m.in/BfUOf ←かつては死刑を執行しても法務当局は公式に発表することはなかったが、1998年から「執行後」にその事実を発表するようになった。いずれにしても執行を伝える報道は「事後」が常識だった。それが今回、「事前」になったのである。

 

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