Facebookより

 

稲村公望

 

1日一冊⑮

 



アパ日本振興財団の月例会において、筆者が短時間講演して、その要旨が、アップルタウンという月刊誌の2023年11月号(34-35ページ)に掲載された。「日米戦争を起こしたのは誰か」を端的に紹介する記事だから、1日一冊の書評代わりに用いる。

 岡崎研究所特別研究員で「月刊日本」客員編集委員の稲村公望(様)は、「私は、茂木弘道さん、加瀬英明先生、藤井厳喜さんと共に、「日米戦争を起こしたのは誰か」という本を書いてベストセラーになった。この本は、ハーバート・フーバー第31代米国大統領の回想録について書いたものである。スタンフォード大学には、フーバー研究所というものがあるが、フーバーが創った研究所で、共産主義の研究を今でもやっていて、中国に関するレポートを毎週出している。フーバー回想録は945ページある分厚いものであるが、その内容を47年間アメリカは隠していた。フーバーは、亡くなる前に出版しようとしたが、家族が反対したため、47年経ってジョージ・ナッシュという歴史家が編集して出版した。その本を私が最初に日本で紹介した。日本では草思社から、翻訳本が上下2巻で「裏切られた自由」というタイトルで出版されている。この内容が私が3人とわかりやすく書いたことでベストセラーになった。

 

フーバーは、「1941年の経済制裁は日本に対する宣戦布告である。アメリカを戦争に誘導していたのは外ならぬルーズベルト大統領その人である。それはこれまで明らかにされた冷静な歴史の光に照らすと、1938年から41年の期間を客観的に観察すれば自ずと明らかである」と書いた。先ほど、千島列島の話が出たが、あの時の上陸作戦の船はアメリカの船だった。「日本との戦争の全ては戦争に入りたいという狂人の欲望であったと私が言うと、マッカーサーは、同意した。」「私はさらに次のように言った。「1941年昭和16年の経済制裁は明らかに挑発行為だった。たとえ自殺行為だと分かっていても、あらゆる戦争の悲惨さを日本に強制しようとしたため、誇りのある国ならとても忍耐できることではなかったからだ」と私が言うと、マッカーサーは同意した。」とも書いている。それから近衛公が和平提案を出したが、グルー駐日米国大使はクレイギー駐日英国大使と祈るような気持ち実現を期待したにもかかわらず、ルーズベルトは拒否した。細かい話をすると、近衛の提案した条件は満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州に着いても交渉して議論の余地を残した。」こういうことであったから満州をソ連に与えようとしたのではないかという勘繰りも書いている。

 

さらに重大な事実は、「天皇陛下は1941年11月に、駐日米国大使を通じて三カ月間のスタンドスティル(冷却期間)を置くことを提案されたが、ルーズベルトはこの提案を拒否した。「アメリカの軍事担当も冷却期間の提案を受け入れるべきだとルーズベルトに言った」とも書いている。90日の冷却期間があって戦闘開始の遅れがあれば、太平洋で戦争する必要が無くなったかもしれない。当時アメリカには戦争への介入に反対する孤立主義的な世論が強く、ルーズベルトは欧州戦線に参戦するために、日本を戦争に引きずり込んだのである。日米開戦に向かわせようとする工作員が2人いた。リヒャルト・ゾルゲや風間章という日本人のスパイもいた。ゾルゲはそれほど重要なスパイではなかったのではないか。もっと日本人でつながっていた者もいた。

 

スパイに関しては、宣伝になるが、私は8月13日に「ラストボロフ事件」という本を出した。この本には戦後の大スパイ事件を書いている。今日は「戦後の誕生」という本を持ってきた。これは戦後出た本でもっとも素晴らしい本である。なぜなら、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの全ての会議の議事録が日本語で書かれているからである。世界で、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの議事録が全部こうひょうされていることはない。

 

ロシアも一部秘密にしておりアメリカも全ては公表していないが、4人の外務省のOBが集まってこの本を出した。これには、原爆をなぜ落としたのかという資料まで出ている。ご案内の通り、ルーズベルトとスターリンが結託して進め、原爆を落とす前にはトルーマンが大統領になったが、そのまま原爆を落とし、アメリカが船を用意していたのでソ連が上陸作戦をやった。この本はもっとすごいので全部お読みいただけると良い。「フーバーは、「日本は繰り返し和平を求める意向を示している。命乞いをしているということである。それにもかかわらず行った原爆投下は、アメリカの歴史において未曾有の残虐行為であった。これはアメリカ人の良心を永遠に苛むものである」とも書いている。だからといって、日本が報復するというわけで絵はない。フーバー大統領がいたということは素晴らしいことで、日本人にとって顕彰されてもよい人物であると言える。」と、フーバー大統領回想録に書かれた歴史の真実について解説されました。

短い解説を終えた後、同席していた元環境大臣の原田義昭弁護士から、次のようなコメントがあったので、備忘録として追記する。

「稲村君は官僚として後輩になるが、郵政民営化では体を張って反対の論陣を張り、職を賭して頑張り抜いた」と。原田氏は、米国ボストン市にあるフレッチャー外交法律大学院の同窓である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・