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稲村公望

 

書評 亀井静香著「永田町動物園ーー日本をダメにした101人」

 (講談社 1600円+税)

 

 本書は、「週刊現代」に2018年10月から21年6月にかけての2年半の間、100回の長期に及んで連載された「亀井静香の政界交差点」の記事を大幅に加筆修正して書籍化したものである。題を「永田町動物園」とつけているから、「悪ふざけ」をしたような内容を想像させるが、さにあらず。プロの編集者を複数動員して、政治学者が編集したオーラルヒストリーに匹敵する内容が凝縮され記録されている。昭和の後半と平成から令和の御代に至る日本の政治を鳥瞰するように工夫されており、いわば、時代考証を経ている。

 

亀井静香という政治家が出会った100人に、ひとり2ページから3、4ページを割いて、個々人の特徴を端的に浮き彫りにしてから、人物の全体像を的確に描写している。論功行賞ばかりを語るのではなく、政治家個々人の人間性に迫っている。喜怒哀楽、ペーソスを感じさせる描写を加えている。渥美清主演の映画「男はつらいよ」が日本人の本質を表現したこととどこかで共通する内容となっており、軽い気持ちで手に取ると、本の内容の重さというか濃さにたじろいでしまうようなことになりかねない。2021年11月末、コロナウイルス禍の最中に発刊されたが、年明けの二月に至ってもまだベストセラーを続けている。しかも、100人と亀井静香氏が対話をするような構成であるから、自然と亀井氏の人となりが、鏡に映った像のように浮き出て見える仕掛けになっている。評者は、本を気軽に入手して書評を書こうとしたが、簡単に読み解ける本ではなかった。さらりと書かれた一行に、今は歴史となりつつあるか、ずしりと重い箇所があちらこちらに鏤められ、その意味合いの謎解き?のために、他の政治解説本を参照しなければならないばかりか、政治家の深刻な出処進退や自裁にも及ぶ政治家の事件や苦悩に、心熾きなく言及しているから、迷宮入りの犯罪を捜査しているような気分になって読ませる文章もまま見受けられる。新井将敬氏については、「日本人以上に日本人になった本物の政治家」が凄惨な自殺を遂げる前の晩にかけてきて泣きじゃくる電話と会話を記録する。

 

「はじめに」で、「政治家は、皆悪人だろうか」と問いかけ、一概に善人悪人の選別はできないが。政治家とは何か、と問い続け、「はたして俺たちは日本をよくすることができているのだろうか、むしろダメにしてしまったのではないか」と、反省の弁を口にのぼせる。

 

 亀井静香氏は、「文藝春秋」(平成17年6月号)に、「亀井静香の連合赤軍事件ーー私はこれで政治家になった」と題する手記を掲載している。1972年のあさま山荘事件の現場で指揮をとった警察官僚であったが、この事件が契機で政治家に転じた経緯が書かれている。末尾に「志ある若者がなせ誤った道に足を踏み入れたのか。そこに政治の責任を感じたが故に、私は警視庁を退職し、衆院選出馬を決意した。」とあり、その直前には「彼らを批判する人物に、私はけしからんというのは容易だが、その貴方は金儲けに明け暮れエゴイスティックな生活をしているのでは無いかと言ったこともある」と直截な一文が記載されている。尊敬する人物がチェ・ゲバラと大塩平八郎であることは、あちらこちらで公言しているが、60年安保闘争で死んだ学友の樺美智子さんの死がきっかけで、東大経済学部を卒業後に警察官に就職したことは、知られてはいない。

 

 「目次」が楽しめる珍しい本だ。なぜなら、登場する政治家それぞれに、20字に満たない寸評をつける。「安倍晋三 気弱な青年・晋三を怒鳴りつけた日、小泉純一郎 風を読み切る「天才」の本性、菅義偉 さえない男と歩いた横浜の街、森喜朗 密室で「森総理」を決めた日、中曽根康弘 小泉純一郎を「無礼者」と一喝、竹下登 目配り、気配り、カネ配りの三拍子、福田赳夫 エリートだがどこか土の匂いがした、小渕恵三 俺を泳がせてくれた「平成おじさん」、鳩山由紀夫 「宇宙人」は全て任せてくれた」と総理経験者だけでも、辛辣な短評だが的を射貫いている。章立ては、五章で、令和を生きる14人、昭和を気付いた13人、平成を駆けた31人、自民党と対峙する21人、因縁と愛憎の21人、とある。与野党を問わない。例えば、共産党の委員長についても言及している。例外は、政治家でもない、ホリエモンこと堀江貴文氏を取り上げているが、郵政選挙の「宿敵」と再会、と3ページを割り振り、「まったく俺も舐められたものだ」と書き、「(ホリエモンは)非常に印象深い人物の一人だ。 ’05年に小泉純一郎が講じた郵政解散は、「狂気の一手」だった。

 

(中略)

(郵政民営化)反対の急先鋒だった俺には、最強の刺客を送り込んできた。それが堀江だ。堀江の考え方はh新自由主義者そのもので、小泉構造改革路線の象徴的な候補者だったのだ。(中略)中選挙区時代に俺のライバルだった佐藤守良さんの本拠地・尾道では、当時の市長まで堀江についてしまった。堀江は無所属だったが、それは選挙戦略上のことで、事実上は自民党の公認候補だった。当時の武部勤幹事長は広島まで駆けつけ、堀江を持ち上げる演説をぶった」と怨念を吐露している。ロケット開発をしている堀江氏に出資したこと、政界進出を勧めた等として、「2万6千票の差をつけて俺が圧勝した。俺が勝てたのは、選挙民がバカじゃなかったからに他ならない」と、堀江に痛罵を浴びせる。

 

 以下に、郵政民営化に係る関連部分を纏めてその概要を紹介するが、詳細は、単行本を手に取って玩味熟読されることを期待したい。

 

①小泉純一郎、「俺は’03年の総裁選に出馬し、直接対決をしたが、結果は伴わず、小泉政権に歯止めをかけることはできなかった。続く’05年の「郵政解散」はめちゃくちゃだ。郵政改革関連法案は衆議院では可決したものの、参議院では反対多数。すると、小泉は、衆議院解散という奇策で流れを作り、俺の選挙区には刺客として「ホリエモン」こと堀江貴文を送り込んだ。衆院選後には俺はあっけなく自民党を除名になった。」

 

②菅義偉、「俺と菅で決定的に違うのは、郵政に対する考え方だった。菅は郵政民営化に賛成し、第一次安倍政権では総務大臣と郵政民営化担当大臣を兼務した。一方の俺は、郵政民営化に体を張って反対し続け、’09年の政権交代後には郵政改革担当大臣として民営化を食い止めた。俺が「郵政改革法案」を通過させたことは、民営化推進論者からはあり得ない暴挙に映っただろうが、本来あるべき郵便局の姿を考えれば、当たり前の「改革」だったと考える。この政府案に、’10年5月、法案を審議する総務委員会で誰よりも強硬に噛み付いてきたのが菅だった。俺はこう切り返したやった。「残念ながら、あなたのような優秀な議員と基本的な郵政のあり方への考え方が違った訳でありますし、(菅)委員が今のこの惨憺たる郵政事業の実態を見られてもなお同じ考え方を持っておられることが、私には極めて不思議であるますと同時に、残念であります。」菅のような民営化論者からしたら、民営化に逆行することはすべてが悪に映る。それでは議論のしようがないだろう、と言うのが正直な感想だった。郵政については、その後「ねじれ国会」となり膠着状態が続いたが、12年にようやく、郵政民営化法を改正することで決着がついた。俺の当初案からは後退してしまったものの、過度な民営化を一定程度抑制できたと思う。俺は大臣として、国会審議で「我々は民意に沿う政治をやっている」と言ったが、郵政の問題とは、まさに国民の方を向いているかどうかだ。その点において、菅が俺とまったく逆の方向を向いていたのは残念だった。」

 

③衛藤晟一 自民党を甦らせた「名演説」、  「俺が郵政民営化に反対したとき、彼は造反票を投じ、厚労副大臣を罷免されてまで、俺についてくれた。その恩は今でも忘れない。(中略)俺が政治家を引退したのは、衛藤のような良い相棒がいなくなったからだ。」 

 

④武田良太 政治家は行儀が悪くてちょうどいい、「’05年の郵政選挙だ。良太は俺と一緒に郵政民営化に反対してくれたが、反対派の急先鋒だった俺は自民党を追われ、国民新党を作った。しかし、良太はここには加わらず、再び無所属として出馬した。俺たちは引き裂かれてしまったのだ。」 

 

⑤城内実 小泉に造反した信念の男、、「城内といえば、’05年の郵政国会だ。小泉の純ちゃんが、強引に郵政民営化をやろうとしていた。城内は清和会に属しているにもかかわらず、その中で唯一、郵政民営化に反対の姿勢を示した。当時、党幹事長代理だった兄貴分・安倍晋三は、賛成にまわるよう城内を執拗にせっとくしたが、城内はテコでも動かなかった。党幹部の武部勤や中川秀直からかかってくる連日の電話にも一切出ず、採決の日、城内は俺とともに反対票を投じた。そのせいで、直後の総選挙では「小泉チルドレン」の刺客・片山さつきを選挙区に送り込まれて城内は落選してしまう。造反組として離党勧告を受け、自民党を離れたが、その次の選挙で見事国政に復帰した。

 

⑥河村建夫 選挙は強いが「いぶし銀」のような男、「河村は、小泉内閣では文部科学大臣を務めていた。当時郵政民営化法案が参議院で否決されれば、小泉は衆議院解散に打って出るのでは、という見方が広がっていた。河村は俺に「総理は絶対解散しますよ」と忠告してきた。俺は、「(解散は)ありえない」と決めつけていたが、結果的には間違った。」

 

⑦二階俊博 「晋三に花道を」と、俺は二階に言った、「閣僚経験者だった二階は、小泉純一郎に重宝され、’04年には選挙をしきる総務局長のポジションを与えられた。翌年になると、小泉が強行した郵政民営化関連法案を審議する特月委員会の委員長に起用された。党の選挙要職を務めている人物を委員長に起用するのは、異例のことだった。これでは、「郵政民営化に反対する議員は選挙で支援しない」と言っているようなものだ。当時の小泉は、国会人事に介入してまで、好き放題をやっていたのだ。選挙に突入すると、この二階が陣頭指揮をして、「党のかんがえと違う主張をする候補には対抗馬を部付ける」と言い、刺客を立てまくった。その結果、俺は自民党を離れることになった。」、末尾に「昇った太陽は輝いたまま沈むものだ。俺は80歳で政界から引退したが、その歳をすぎてもまだ権力の中枢にいる二階は大したものだ。元気なうちはまだまだ頑張ってほしい。」と辛辣である。

 

⑧古賀誠 野中が太陽なら、この男は月だ、「古賀と俺とが共闘したのは、小泉純一郎政権の構造改革だ。俺は、郵政民営化で徹底的に小泉と戦ったガ。古賀は道路公団民営化に猛然と反対した。「古賀は道路族だから」と言う人が多いが、そうではない。道路は国会の血管だ。国が責任を持って造り、管理する者だ。しかし、小泉は一挙に民営化し、道路建設を特定企業の金儲けのネタにしようとした。儲けしか考えない民間企業は、過疎地に道路なんて建設しない。その時困るのは田舎の人たちだ。古賀は国民のために小泉に抗い続けたのだ。」

 

⑨荒井広幸 俺の土下座に、荒井は涙をこらえた、「荒井は’03年の総選挙で落選した。時は小泉純一郎政権だ。両親ともに郵便局員の家庭で育った荒井は、郵政民営化反対の急先鋒だった。選挙中にテレビの報道番組に出演した小泉純一郎から、公然と批判されたことが落選に影響したのだった。(中略)(翌年の参議院選挙に比例全国区で出馬することにして、福島県で10万票、全国で8万票を得て当選した。翌年の郵政選挙では、荒井は参議院議員でありながら、俺と行動をともにし、自民党を離党する決断をしてくれた。この恩義は今でもわすれていない。」

 

⑩藤井孝男 あの総裁選で自民党は変わってしまった、「俺と藤井は自民党内の「反小泉の急先鋒」となった。郵政民営化法をめぐっては、小泉が衆議院解散の奇策に出た後、俺は離党。藤井は最後の最後では口をつぐみ自民党に残ったが、小泉は無慈悲にもその後の選挙で藤井を公認しなかった。無所属のまま出馬し、藤井は落選の憂き目に遭う。(中略)今振り返ると、藤井は小泉にもとtも勇敢に立ち向かった政治家と言えるだろう。」

 

⑪島村宜伸 政界で最も面倒見の良い男、「小泉内閣での郵政解散のときだ。農林水産大臣を務めていた島村さんは、参議院で郵政民営化法案が否決されたにもかかわらず、強引に郵政解散をする小泉の考えに強く反対した。同志である郵政造反組に刺客を送ることに納得できなかったのだ。そこで、島村さんは驚くべきことに、閣議に入る前に辞表を懐に忍ばせ、進退を懸けて小泉を説得した。現職閣僚が辞表を持参して閣議に出るなど、本来ありえない。結果、頑なに考えを曲げない小泉に対し、ついに彼は辞表を突き出した。島村さんの心意気は、俺たち造反組を奮い立たせるに十分だった。」

 

⑫松岡利勝 信念ある古き良き「族議員」、「だが、どの松岡も抗えなかったのが、小泉純一郎政権の構造改革だ。小泉の郵政民営化に、俺も松岡も当然反対した。しかし、松岡は途中で賛成に転じてしまった。背景には、俺と違って選挙が弱いという松岡の事情もあった。(中略)松岡は郵政選挙で当選し、第1次安倍政権で農林大臣として入閣した。だが、事務所経費問題等が発覚し、野党からの追及を受け、’7年5月28日に自ら命を絶ってしまったのだ。」

 

⑬田村秀昭 義侠心を知る政治家が、かつていた、「忘れもしないのは、俺が郵政造反で自民党を飛び出し、綿貫民輔さんと国民新党を作ったときのこと。当初は、すぐに結党できることだろうと考えていたが、いざ動くと誰も乗ってこない、最終的に俺と綿貫さん、造反組の亀井久興と長谷川憲正の4人しか集まらなかった。政党要件を満たすまで1人足らず、あきらめかけた時、(帝京大学元総長で、合気道で親交があった)沖永さんから連絡が来たのだ。「亀井さん、田村先生が会いたいと言っている。私も一緒に行くからあってくれないか」数時間後、事務所を訪ねてきた田村さんは、単刀直入にこう言った。「亀ちゃん、俺も参加するよ。もう政治家としては最後だ。最後は亀ちゃんと一緒にやりたかったんだ」涙が出るほど、嬉しかった。そもそも田村さんは自民党ではなく、民主党の議員である。義侠心だけで入ってくれた。」

 

⑭与謝野馨 頼まれたら断れない働き者の生涯、「郵政民営化法案が参院で採決される直前の8月6日、与謝野から説得の電話があったが、」俺は取り合わなかった。その後、離党した俺とは対照的に、与謝野は小泉政権の中枢に食い込むようになった。」

 

⑮小林興起 「上から目線」をやめて、もどってこい、「俺が国民新党を作ったときのことだ。荒井広幸が「綿貫さんや亀井先生では都会では戦えないので、無党派層のための第二新党を作らせてください」と言ってきて、新党日本を立ち上げた。その時一緒に来たのが小林で、当時長野県知事の田中康夫を党首に担いだ。残念なから小林は、その時の総選挙で刺客の小池百合子に敗れて、落選。小林は、直ぐに国民新党に合流したいと言ってきたが、「田舎新党」と馬鹿にされ、第二新党をつくられた綿貫さんは、小林の入党にすぐには応じなかった。(中略)理由はなんとなくわかる。優秀で能力は抜群だが、自分が一番優秀で偉いと思い込んでいるのだ。「上から目線」の唯我独尊では、選挙民が反発して票が集まらない。政界復帰のため、小林は今も頑張っていることを知っている。まずは、謙虚になることだ」

 

⑯菅直人 緊急事態下の総理と言えば、この男だった、「’09年の民主党政権発足に伴い、俺は金融担当大臣と郵政改革担当大臣に就任。’10年の菅内閣でも留任したが、発足後僅か3日で辞任することになった。菅が郵政改革法案を成立させようとしなかったからだ。小泉の悪しき郵政民営化を食い止めるこの法案は、国民新党の根幹ともいえる重要法案だった。代表就任日の党首会談で、菅は「速やかな成立を期す」と俺に約束したが、人が良い俺はあっという間に裏切られた。(中略、菅は亀井を副総理への就任を求めるが、原発対応の全てを任せるなら引き受けるとの返答に、菅はおしだまってしまう。俺は、副総理の話を断り、代わりに首相補佐官に就任した。菅は総理まで務めたが、決して大物政治家とはいえない。そうはいっても、自民党の世襲議員ばかりが出世するのが常の昨今の永田町で、市民運動家から首相まで上り詰めたのは、大したものだと思う」

 

⑰原口一博 非難にも難病にも屈せぬ男、「民主党政権で、俺が郵政改革担当大臣として陣頭指揮を執った時、実行部隊のトップとして奔走してくれたのが、総務大臣だった原口一博だ。法案を作るうえでは、所轄官庁である総務省の役人の全面協力が不可欠だ。原口は省内に「とにかく亀井大臣の決断を尊重して、お仕事を進めやすいようにしろ」と大号令を出してくれ、大変助けられた」

 

⑱保坂展人 票にならずとも、無視の心で動く男、「他にも印象深いのは政権交代前夜の’09年1月に勃発した「かんぽの宿」問題だ。民営化した日本郵政が、かんぽの宿をオリックス不動産に安価で一括売却することが決まったが、オリックス会長の宮内義彦が郵政民営化を検討した「総合規制改革会議」の議長だったから、出来レースを疑われた問題だ。追究の急先鋒は俺と保坂だった。野党への期待が高まって、その後の政権交代につながったことには、この一件も寄与しただろう。」

 

⑲平沼赳夫 盟友とともに「殴り込み」を懸けた日、「その後も平沼とは。小泉純一郎が仕掛けた郵政民営化法案に反対するなど抵抗勢力として党派閥関係なく一緒に戦ってきた。⑳綿貫民輔 国民新党を共に立ち上げた「大人物」、「綿貫民輔さんは自民党では3期上の先輩だったが、派閥がちがったこともあり、まったくと言っていいほど接点がなかった。ところが、’05年の郵政選挙以降、俺は綿貫さんと行動を共にすることになった。俺と綿貫さんとでは郵便局との距離感はまったく異なるものだった。綿貫さんは郵政族で作る郵政事業懇話会の会長を務め、まさに「郵政族のドン」そのものだった。一方の俺にとっては、特定郵便局は選挙での強力な敵だった。旧広島3区で、同じ自民党で戦っていた佐藤守良さんの強力な支持母体だったからだ。だから、自民党を離党した俺が、無所属ではなく、綿貫さんを旗頭とした新党で「郵政民営化反対」を明確にする考えを示したとき、講演会からは「気がくるったのか」と猛反対された。だが、「郵政民営化なんてやらせたら、この地域を含めて日本中の地方が滅茶苦茶になる。だからおれ選挙とは関係なく俺は反対する。それが嫌なら応援してくれなくても構わない」と俺は宣言した。」㉑亀井久興 不思議な縁で結ばれた2人の「亀井」、「亀井久興とは摩訶不思議な縁がある。何百年も遡ると、先祖が一緒なのだ。亀井家の遠い先祖の兄弟の末裔として俺たちは永田町で出会うことになった。㉒斉藤鉄夫 敵味方を超えて分かり合える後輩、「(’09年に誕生した民主党政権では、亀井が与党で、斉藤が野党になった)その時、斉藤さんにはずいぶん世話になった。俺が郵政民営化を食い止めるべく「郵政改革法案」を提出し、成立を図ったものの、参院選での民主党大敗後「ねじれ国会」に突入してから審議が進まなくなったのは、何度も述べた。そこで俺が頼ったのが、公明党の幹事長代行だった斉藤さんだ。東日本大震災の直前、’11年2月のことだ。俺は斉藤さんの事務所に出向き法案への賛成をお願いした。そしてこう言った。「(郵政)改革法案には、簡易郵便局のことが書かれていない。山間の僻地で地域の核となって頑張っているのが簡易局だ。これをきちんと法的に位置付けたい。「俺も斉藤さんも中国山地の貧しい地域に生まれた。田舎から郵便局がなくなってしまうことが、いかに大変か、人一倍理解していたんだ。」以上が、郵政民営化を廻って、亀井静香という稀代の政治家と交流した政治家の記録である。亀井静香という政治家が郵政民営化に反対したことは、酔狂の話ではなく、党利党略とも関係がなく、むしろチェ:ゲバラや大塩平八郎の如く、国民の利便を追究した結果に過ぎないことを、「永田町動物園」は、実名を挙げて活写している。郵政関係の記載がない、残りの政治家が78人残っているが、別の政治過程に関連することになる。2月1日に逝去した石原慎太郎については、「石原総理」誕生のために走り回った夜、との短評をつけている。「政治的な話でもたびたび意見が対立した。天皇制を認めるのは俺もあいつも一緒だが、中身が違う。彼はある意味で共和主義的なところがあって、必ずしも天皇陛下でなければいかんとは思っていない。あくまで、すでに存在する制度を廃止する必要はないと思っているのだ。一方俺は、強烈な天皇主義者だ。天皇は神でもなければ人間でもないし、絶対的な存在だと思っている。だから、天皇制の話になると、意見が衝突する」と書いている。亀井氏が、葦津義彦門下に繫がる証左の言だ。    

 

 最後に登場させる政治家が小沢一郎である。亀井氏にとって、「もっとも因縁深い政治家」であったと書いている。「手を結んで、喧嘩して」の繰り返しであった」と。「俺も小沢もそれぞれの立場から野党結集に尽力してきたが、未だに実現できないままだ。俺が引退した’17年の総選挙の時、衆院解散直後に小沢から電話が来た。何かと思ったら、「広島6区に佐藤公治を立てる。亀井さんは希望の党の比例単独1位でお願いできないか。小池とも話してある」と言う。。佐藤は親父の守良さんの代から小沢の側近だ。希望の党の代表だった小池百合子にも、根回し済みというわけだ。だが俺は「小沢さん、勘弁してよ。81にもなって、女のスカートの中で政治活動ができるか」と断った。」と書いているが、筆者は違うのではないかと勘ぐってしまう。多くの盟友が、自民党に復党したことで、亀井静香自身も復党できる可能性があることを考えていたのではないのか。時の安倍晋三自民党総裁に検討を依頼したが。党規委員会にかけて検討することが必要だとして、復党話が「没」にされたのが、政界からの引退を80歳にして決断した真相ではなかったか。

 

 さて、亀井静香氏は、本当の傘貼り浪人となった。日本の行く末を見つめるOBとしての語り部となった。本書は、郵政民営化の不始末を克服するための政治指南書となる内容が含まれているから、郵政関係者にとって類例のない必読文献ともなったようだ。ベストセラーになっているのは、郵政関係ばかりか、新自由主義の政策に嚆矢を放った救国の政治家の記録として読まれているからだ。今となって、漸く、亀井静香を総理にしておればと思う人もいるようだ。

 

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