■松本清張 没後30年に寄せて…社会と国家の暗く危うい秘密を告発《「隠蔽と暴露」の方法実践現代の読者に突きつける》 高橋敏夫

 

 

 

 長く続くコロナ禍に、ロシアによるウクライナ侵略が加わり、世界中が混迷の度を増す本年2022年は、松本清張没後30年にあたる。

 1909年生まれの松本清張が亡くなったのは9年8月4日。その前年末には、ソビエト連邦の崩壊によって冷戦時代が終わった。 アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を説く。しかし松本清張は当時「湾岸後のソ連私はこう分析する」(年3月)で、現在の世界情勢をいささかも楽観視せず冷戦時代再来への危惧を語り、人類絶滅となる核戦争の恐怖で結んでいる。没後30年の今からすれば、米・ソ対立から米・露中対立へと変わったものの、世界情勢への松本清張のつよい危機意識は間違いではなかったことになる。

●密室から社会へ

 作家松本清張は、51年に第25回直木賞候補作となった歴史時代小説「西郷札」、53年に第28回芥川賞を受賞した現代小説「或る『小倉日記』伝」で注目された。

 しかし多くの読者に受けいれられるのは、57年に短編集『顔』が第10回日本探偵作家クラブ賞を受賞し、翌年、長編『点と線』、『眼の壁』がベストセラーとなってからである。その後、『ゼロの焦点』、『黒い画集』、『霧の旗』、『球形の荒野』、『砂の器』などが猛烈なスピードで次つぎと書かれた。

 事件または出来事を、従来の探偵小説や推理小説の堅固な「密室」から、より広く複雑な「社会」へと連れだし追及する斬新かつスリリングな作品群である。これらは当時、「社会派推理小説」として大好評を得た。読者は物語のステージである「社会」に、自らの生活環境にひろがりつつある戦後的な闇を見いだしていたか。

●ジャンルを横断

 松本清張は、60年に連載され、占領下の日本で起きた不可解な事件に迫る『日本の黒い霧』でノンフィクションにも進出した。 その延長線上にライフワークのひとつで、昭和前期の政治的社会的な暗黒を問い直す『昭和史発掘』を書く。

 60年代後半からは『古代史疑』、『古代探求』などで、戦前の皇室タブーや従来の学術的定説をのりこえ古代史の謎に挑む。

 さらに、70年代末からは、経済的活況に浮かれる国内を尻目に、『白と黒の革命』、『聖獣配列』、『霧の会議』、『赤い氷河期』などで、入念な海外取材に基づき、日本をつつみこむグローバルな争闘の闇に迫った。死の直前における、世界情勢へのつよい危機意識は、この時代における執拗(しつよう)な作業にもかかわっていたにちがいない。

●日常の疑問起点

 現代小説、歴史時代小説、社会派推理小説、ノンフィクション、近現代史研究、古代史研究など、松本清張の旺盛な表現活動および研究の核心にあったのが、「隠蔽と暴露」の方法である。

 松本清張は、一見穏やかな日常から時折たちあがる「なぜだろう、なぜだろう」という疑問を入り口に、人と社会と国家の暗く危うい秘密と、それを隠蔽するさまざまな力を、少しずつ、少しずつ暴露し、告発しつづけた。

 小説に限定しても、政界、官界、経済界における不正と隠蔽はもちろん、教育界、宗教界、学問、文学芸術やジャーナリズムの不正と隠蔽。さらには「戦争」、「戦後」という時代特有の見えにくく捉えにくい隠蔽にたいしても追及の手をゆるめなかった。

 松本清張の「隠蔽と暴露」の方法実践は、あくまでも具体的で個別的な実践であった。一つの実践の終わりは、実践そのものの終わりではなく、むしろより大きく徹底した実践を求めている。

 読者は、おりかさなる隠蔽の力に抗し、その向こうにある秘密を暴く。しかしそれは、一つの物語の終わりであっても、隠蔽の力と秘密の終わり|ではないのを知っている。松本清張作品の良き読者とはそこからさらに一歩踏みだし、いっそう露骨な姿でうかびあがる秘密と隠蔽の力との対決が、今後は自らの日常においてこそ求められるのを自覚する主体的な読者なのだ。

 松本清張没後20年。長い「戦後」が「新たな戦前」にのりあげ、社会の至る所に秘密と隠蔽の危うく不可解な薄暗がりをひろげる。この混迷と危機の時代を肯(うべな)わぬ者には、今、松本清一張の主体的な読者とのよりいっそうの連帯が、つよく求められる。(たかはし・としお 文芸評論家・早稲田大学名誉教授)

 

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