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■金融と新自由主義 ②外資が日本経済改造 山田博文(群馬大学名誉教授)

 …日本ではどのように金融の自由化が進められましたか。

●米国要求に沿い


 日本の金融自由化・国際化は米国の要求に沿って進められました。米国は1980年代以降、レーガン大統領(当時)と中曽根康弘首相(同)の会談や「日米円ドル委員会」(8年)で、日本の金融市場の規制緩和、外資への門戸開放、金利規制の緩和などを迫り、ました。さらに「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」(8年)以来、日本改造の年次要望書を毎年提出し、貿易・企業経営・金融・労働など広範囲の規制緩和を求めました。


 多国籍化を意図する日本の大資本も規制緩和を後押しし、対米従属的な日本政府も米国の要求を受け入れました。こうして「金融システムの改革」(日本版金融ビッグバン)が1996年から200_1年にかけて実施されました。
 金融ビッグバンは戦後日本の金融経済システムを抜本的に改造し、米国の大資本が日本に進出して自国と同じやり方で金融ビジネスを展開できるようにする内容でした。また、金融持ち株会社を解禁したため、日本の金融機関も銀行・証券・保険などの子会社を持つ巨大な金融コングロマリット(複合企業)へ変貌しました(表)。
 資金の調達者と提供者の間に銀行が介在するのが間接金融です。融資を行う銀行が不良債権のリスクを負います。他方、銀行を介さず資金の調達者が証券市場で債券や株式などを投資家に直接買ってもらうのが直接金融です。投資家がデフォルトリスクを負います。


 英米仕込みの金融ビッグバンは証券市場を活性化させ、直接金融を金融システムの主役に据えて、外資の参入を容易にすることを狙いました。直接金融は、使い方次第で企業の民主化に役立つ可能性があるものの、「自由化・国際化」の中で巨大金融資本の支配力を増大させました。


 バブル崩壊後に大量の不良債権を抱えた日本の金融機関は融資を渋る一方で、株式・債券やそれらを組み込んだ多様な金融商品を組成し、証券市場で売買する証券業務に傾注していきました。

 …金融ビッグバンの恩恵を受けたのはだれなのでしょうか。

●侵略のノウハウ


 多国籍的な大資本・投資家・富裕層です。外資に門戸を開放した途端に「ハゲタカファンド」が乗り込んできました。不良債権を抱えた日本の金融機関や企業を安く買いたたき、リストラして株価をつり上げ、高く販売して大もうけしました。
 日本企業の株主構成を見ても、外国人投資家の割合は1990年の4・7%から2020年の30・2%へ激増しました。「株式会社日本」の最大株主は日本の企業・金融機関・個人でなく、外国人投資家に交代しました。日本株に投資する外国人投資家の目的は日本の会社に資本を供給し、育成することではありません。高い配当金を引き出し、株価をつり上げ、株式売却益を稼ぎ出すことです。外国人投資家は「もの言う株主」として最高意思決定機関の株主総会に乗り込み、目的を実現します。とくに大手金融機関の大株主になって株主総会で自分たちの意思を通すことに注力しました。
 もともと直接金融は英米が最も得意とする分野です。英米の投資家は、金融機関を押さえてその国の経済全体を効率よく支配するノウハウを知っています。「金融侵略」です。


 いまや3メガバンク(三菱UFJ・三井住友・みずほ)や2大証券(野村・大和)の大株主は外国人投資家です。これら大手金融機関の大株主になれば、取引関係にある多数の主要日本企業の経営方針に口を出せます。経営に必要な資金を手配する条件として、終身雇用・年功序列賃金・企業福祉などの日本的な制度を廃止し、効率的な成果主義を導入するよう迫りました。
 こうして、雇用に貴任を持たない新自由主義な経営が短期間で日本企業全体に普及しました。リストラの嵐が吹き荒れて非正規雇用が広がり、戦後の安定的な雇用環境は破壊されました。日米欧の多国籍的な金融資本は、日本の経済社会を支配して新自由主義的に改造し、日本の労働者を徹底的に搾取しています。(つづく)


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