【人文知を軽んじた失政 新型コロナ 藤原辰史 2020.04.26 】
 

 

ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなければ、激流の中で自分を保てない。言葉と思考が勁(つよ)ければ、視界が定まり、周囲を見わたせる。どこが安全か、どこで人が助けを求めているか。流れとは歴史である。流れを読めば、救命ボートも出せる。歴史から目を逸(そ)らし、希望的観測に曇らされた言葉は、激流の渦にあっという間に消えていく。

 

宮殿で犬と遊ぶ「ルイ16世」の思考はずっと経済成長や教育勅語的精神主義に重心を置いていたため、危機の時代に使いものにならない。IMFに日本の5・2%のマイナス成長の予測を突きつけられ、先が見通せず右往左往している。それとは逆に、ルイとその取り巻きが「役に立たない」と軽視し、「経済成長に貢献せよ」と圧力をかけてきた人文学の言葉や想像力が、人びとの思考の糧になっていることを最近強く感じる。

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歴史の知はいま、長期戦に備えよ、と私たちに伝えている。1918年から20年まで足掛け3年2回の「ぶり返し」を経て、少なくとも4千万人の命を奪ったスペイン風邪のときも、当初は通常のインフルエンザだと皆が楽観していた。人びとの視界が曇ったのは、第1次世界大戦での勝利という疫病対策より重視される出来事があったためだ。軍紀に逆らえぬ兵士は次々に未知の疫病にかかり、ウイルスを各地に運び、多くの者が死に至った。

 

長期戦は、多くの政治家や経済人が今なお勘違いしているように、感染拡大がおさまった時点で終わりではない。パンデミックでいっそう生命の危機にさらされている社会的弱者は、災厄の終息後も生活の闘いが続く。誰かが宣言すれば何かが終わる、というイベント中心的歴史教育は、二つの大戦後の飢餓にせよ、ベトナム戦争後の枯葉剤の後遺症にせよ、戦後こそが庶民の戦場であったという事実をすっかり忘れさせた。第1次世界大戦は、戦後の飢餓と暴力、そして疫病による死者の方が戦争中よりも多かったのだ。

 

スペイン風邪のとき、日本の内務省は貧困地区の疫病の悲惨を観察していた。1922年に刊行された内務省衛生局編『流行性感冒』には、貧困地区は医療が薄く、事態が深刻化しやすいことが記してある。神奈川県の事例を見ると、「日用品殊ニ食料品ノ騰貴ニ苦メル折本病ノ襲激ニ因リ一層悲惨ナルモノ有リ」(原文ママ)とある。

 

封鎖下の武漢で日記を発表し、精神的支えとなった作家の方方(ファンファン)は、「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は(中略)ただ一つしかない。それは弱者に接する態度である」と述べたが、これは「弱者に愛の手を」的な偽善を意味しない。現在ニューヨーク市保健局が毎日更新する感染地図は、テレワーク可能な人の職場が集中するマンハッタンの感染率が激減する一方で、在宅勤務不可能な人びとが多く住む地区の感染率が増加していることを示している。

 

これが意味するのは、在宅勤務が可能な仕事は、「弱者」の低賃金労働に支えられることによってしか成立しないという厳粛な事実だ。今の政治が医療現場や生活現場にピントを合わせられないのは、世の仕組みを見据える眼差(まなざ)しが欠如しているからである。

 

研究者や作家だけではない。教育勅語と戦陣訓を叩(たた)き込まれて南洋の戦場に行き、生還後、人間より怖いものはないと私に教えた元海軍兵の祖父、感染者の出た大学に脅迫状を送りつけるような現象は関東大震災のときにデマから始まった朝鮮人虐殺を想起する、と伝えてくれた近所のラーメン屋のおかみさん、コロナ禍がもたらしうる食料危機についての英文記事を農繁期にもかかわらず送ってくれる農家の友人。そんな重心の低い知こそが、私たちの苦悶(くもん)を言語化し、行動の理由を説明する手助けとなる。

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これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。

 

だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。

 

危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない。

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藤原さんの論考「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」はウェブサイト「B面の岩波新書」に掲載中。https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

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ふじはら・たつし 京都大学人文科学研究所准教授 1976年生まれ。専門は農業史・環境史。『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞、『給食の歴史』で辻静雄食文化賞

 

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【アベノミクスの悲劇】④
沈みゆく日本経済と産業 古賀茂明

教育と科学技術
大学ランキングは中韓香港にも及ばない
ICT利用教育はOECD等47カ国中46位

英語もITもこれまでの安倍政権のサボリのツケが今、爆発している

(日刊ゲンダイ)

https://twitter.com/Trapelus/status/1253597898505285632

 

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市民たちの相互監視が始まっている滝汗

 

 

コロナ禍の豪華客船に入った医師が感じた「日本のいじめの構造」

 

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東京都世田谷区の社員寮で急死した五十代の男性会社員だった。単身赴任中の男性は発熱後、保健所に相談しようとしたものの電話がつながらず、PCR検査を受けられたのは発熱から六日後。検査結果が出たのは、命が失われた後だった。

 

友人によると、男性が発熱したのは今月三日。その少し前から職場の上司に発熱とせきがあったため、男性は九州の自宅に残る妻に「新型コロナに感染したかもしれない」とLINE(ライン)でメッセージを送っていた。男性は世田谷保健所の相談センターに何度も電話したが、回線が混み合っていたためか、一度もつながらなかったという。

 

入院することもなく寮に戻った男性。「せきがひどくて眠れない。胸が痛い」「薬局に薬を届けてもらった」。十日夜、妻にラインで状況を伝えた後、応答がなくなった。翌十一日、寮で暮らす同僚が部屋に様子を見に行くと、既に息絶えていた。

 

密封された遺体は、妻との対面がかなわないまま火葬された。同行した友人は「明るくて健康なラガーマンだった。一人でいながら一向に保健所に電話がつながらず、どれほど不安だったか」と唇をかんだ。

 

男性の妻は友人を通じて本紙に、「発熱もせきもあったのになかなか検査を受けられず、入院もできなかった。同じことが繰り返されぬよう、(行政などは)態勢をきちんと整えてほしい」との言葉を寄せた。

 

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