Facebook 泥氏の投稿より 転載・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【戦争する国の作り方】5
戦前の話~対日経済封鎖「ABCD包囲陣」の幻~
情報操作といえば、これに触れないわけにはいかない話題があります。
いわゆる「ABCD包囲陣」。
日本世論をあの絶望的な戦争に誘引した決定打でした。
いまも堂々とそんな説明をするテレビ番組があるほどで、
疑いもせずに信じている人がたくさんいます。
「日本は石油を止められたからやむなく戦争に踏み切ったのだ」。
「ルーズベルトは日本を戦争に誘い込むために経済封鎖したのだ」と。
ABCD包囲陣とは、A(アメリカ)、B(ブリテン=イギリス)、
C(チャイナ)、D(ダッチ=オランダ)の四カ国が結託して
日本を経済包囲しているという、戦争当時の政府の主張でした。
これは本当なのでしょうか。
結論から書いてしまうと「ABCD包囲陣」というのはまったくの幻。
日本政府がそう思いこんだか、
あるいはそう思ってもいないのに国民をだましたか、どちらかです。
そのあたりを確かめてみましょう。
◇中国 まず変なのが、C、つまり中国が包囲陣の一画を占めていることです。
おかしいではありませんか。日本はそのころ中国を相手に戦争していたのです。
戦争している相手と貿易が途絶するのは当然でしょう。
自分が今まさに攻撃を仕掛けている敵に向かって、物を売ってくれないと文句を言い、
お前はけしからんと怒る。ダイジョーブなんでしょうか?
◇イギリス つぎにBのイギリスとの貿易はどうかというと、
東洋経済新報社の調査によれば、イギリスとの貿易のピークは戦争の2年前、
1939年でした。
そしてこの年は、大日本帝国のGDPが最高に達した年でした。
その後、貿易が下り坂になるのは、日本経済がピークを過ぎて、
日本にものを買う金がなくなったからです。だから買えなくなった。
それだけのことです。金を支払わなければ誰も物を売ってくれませんが、
それを経済封鎖とは言いません。
◇オランダ そのつぎ、Dのオランダ。
オランダはこの当時、石油の産地であるインドネシアを植民地にしていました。
日本はオランダ領インドネシア(蘭印と言った)から大量の石油を輸入していました。
戦争が始まる半年前の1941年6月まで、オランダとさまざまな戦略物資の輸入交渉を
していたのです。「日蘭会商」といいます。
その交渉における日本の要求量とオランダ側の回答量を、
左翼のねつ造だとケチつけができないように、防衛庁戦史室が監修した
『戦史叢書』「大東亜戦争開戦経緯4」から見てみましよう。
数字は一番左が日本の要求。真ん中がオランダの回答。
単位はトンです。右端が獲得率です。
生ゴム 20,000 15,000 75.0%
錫鉱石 3,000 3,000 100.0%
ニッケル 180,000 150,000 83.3%
ヒマシ 6,000 6,000 100.0%
規那皮 600 600 100.0%
ダマルコパル 1,450 1,400 96.6%
カポック繊維 1,000 1,200 120.0%
カポック種子 5,500 6,000 109.1%
コプラ 25,000 19,800 79.2%
籐 1,000 1,200 120.0%
パーム油 12,000 12,000 100.0%
タンニン材 4,000 1,200 30.0%
ボーキサイト 400,000 240,000 60.0%
マンガン鉱 20,000 6,000 30.0%
キニーネ 80 60 75.0%
ジュート 1,300 1,400 107.7%
これでわかるようにオランダはほとんどの要求を受け入れています。
しかも石油に関してはこれと別枠で、130万トンの売買契約が成立していました。
ボーキサイト(アルミ原料)やマンガンなどの受諾料は低いけれど、
当時オランダはドイツと戦争していたので、戦略物資はいくらあっても
足りない状態だったのだから、仕方のないことです。
オランダに余剰生産力のあるものは、日本の要求した量以上に売ってくれると
回答しています。
経済封鎖の影など、どこにもありません。
ところが、日本はこれでは不満だとして交渉を決裂させてしまったのです。
その理由は、100%が獲得できなければ、日本が占領していた北部ベトナムやタイに
「日本の弱くなった感想を与え好結果とならず」というものでした。
何とバカげた交渉でしょうか。
しかもなおタチの悪いことに、売ってくれるというのを断ったのは自分のくせに、
国民には「経済封鎖された」と宣伝したのです。
これにより石油などを平和的に獲得できる見込みがなくなったとして、
日本はオランダと戦争して蘭印を奪う決意を固め、その足がかりとして、
フランス領だった南部ベトナムに侵攻して占領するという暴挙に出ました。
このあたりの経緯は、『機密戦争日誌』(大本営陸軍部戦争指導班)に
赤裸々に書かれているので、「左翼の歴史偽造」ではありません。

◇アメリカ さて、日本はこのとき、アメリカとも交渉中でした。
アメリカは日本が南部ベトナムに軍を送るなら石油輸出を停止すると
何度も警告しています。
日本はこれに対し、アメリカに向けて、ドイツと違って我が国は領土的野心はないと
繰り返し述べて石油を買っていました。
その舌の根も乾かないうちに、日本は南部ベトナムに軍を進めたのです。
それは、ドイツのラインラント進駐に対して列強がこれを黙認したので、
日本が少々強く出ても同じように黙認するだろうとの希望的観測があったからです。
しかし日本の甘い見通しは打ち砕かれました。
米国は直ちに、警告通り、石油の禁輸に踏み切ったのです。
こうして本当の経済封鎖が始まったのです。
強硬な主張を繰り返せば必ず相手が引き下がると思い上がり、
軍事力を振りかざして威張り散らしていたのが、大日本帝国という国でした。
「経済封鎖恐るに足らず」という勇ましいタイトルの
陸軍パンフレットも出版されていました。
しかし実際に石油が輸出禁止になると、あわてふためいて、
あたかも自分が被害者であるかのごとき宣伝を始めたのです。
これが「ABCD包囲陣」というものの本当の姿です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・転載終わり
国民だますの簡単だと言うことでしょうか...
バカに国を任せていると大変なことになるという見本のようだ

自分の不手際はなかったことにして 都合の良い情報だけ流す
あげく悪いのは相手だと嘘を煽る....


この手口をしっかり覚えておきましょね

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