水上勉「若狭日記」1987年出版




・・・転載・・・

二十四・日記の終わり  (151ページ 最後の章)

振り返ると2年間、心に浮かんだ事を書き綴ったが、とりわけて思い出すのはチェルノブイリ事故のあった去年の一日だ。TVニュースでびっくりして新聞記事を切り抜き事故の事情をつぶさに頭に入れようと努めたがどう考えても事故原因についてわからぬ事が多い。だのに被害は深まるばかりだった。遠く離れた日本の空まで汚染が認められ、その観測に当たっているのは、我が若狭の某所であった。近い隣国の乳牛はもちろん、野菜や米にまで、放射能汚染と聞けば、ひとしお若狭に11基もの原発のあることが重なり、心配もわいた。そうこうするうちソ連当局の発表で事故原因は作業員の操作ミスによるとわかる。驚いたのは責任者らが逃亡してしまっている事だった。よく考えてみると、逃げたい気持ちもわかってくる。人類がまだ経験した事の愛大事故が起きたのだ。命は誰だって惜しい。意図的にミスをした事など考えられぬから、事故が生じて動揺した操作員があれこれ努力してみても収束がつかなかったので逃亡したくなった火の現場が思いかさなる。恐ろしいものを抱いて我々はそれを一部の人々にゆだねて暮らしている事がわかる。いつかは起きずにすまぬことが起きた、という思いもしてくるとやはり、故郷若狭が思われて自然だろう。

帰る日も多くなった。文庫へ集まる村人達の意見も聞いてみた。驚いた事に原発で働く当人達には、都会で住む僕らのように狼狽もしていない様子が意外だった。「それは他所の国の出来事だ」という。

中略

呑気なことを言うのもいる。「まあ、国がやる事だから間違いはないよ。危険な者だったらこんな狭い地域へ15も持って来るわけがあんめい」

中略

人間なら誰でも失敗はあり得る。間違わない人がこの世にこれまでいたろうか。僕らはどの周囲を見回しても、間違いだらけの人々を見てばかりいる。僕自身も間違いの多い人間だ。

ところが原発操作にだけは間違いはあってはならない、と我々はいつも思い暮すのである。間違いの多い人間の多い世界なるがゆえに...。何と、この完全に矛盾した、原発安全信仰というものは何だろう。絶対安全、そんなものがほんとうに過去のこの世にあったことがあるか。

若狭日記を書いていて、僕がいつも考えつめていたのは、何やかや起きることの多いこの2年間だった。その2年間に、何か自分なりに生きることの目安を見つけたかった。辛うじて僕がたどり着こうとしていたことは、不完全なものでの安心ということだった。そうして不完全なものを不完全なりに喜ぶ思想についてであった。もっと、もっと、人は自分さえ危険なものであることを認識すれば臆病になるだろう。そうなれば、そう楽天的に人を信じたり、原発の安全信仰などにも臆病だろう、と思ったりしたものだ。
そうしているうちに今日がきてしまった。若狭の原発に何かコトが起きねば、という凡庸な祈りを捧げて僕はペンを置こうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

水上さん 福島を知ったらどう書いたのでしょう...