元フジTVアナ山川建夫さん ツィート

とても共感できるツィートをされる方

ずっとフォローしてます



そしたら
吉田照美さんの朝のラジオ番組が終わることをきっかけに
過去のご自分のフジTV番組降板について
驚くべき事実をツィートされたんです


この国のマスゴミっぷりが良くわかる


・・・以下山川さんのツィート転載・・・・・・・・・・・・・・・

今とても気になる二人。文化放送「ソコトコ」パーソナリティー吉田照美と「新政府初代内閣総理大臣坂口恭平。前者の番組は今月末で終了しようとしている。後者は機能不全に陥ったこの国の政治システムに代わる個々の人間が主役の新たなシステムを創造しようとしている。終わりと始まり。何かが産まれる。

吉田照美さんは3・11以降のメディア界の中で、突出して「事実」をリスナーに提供して来た。3号機建屋爆発後のアーサー・ビナードさんのプルトニウム飛散のコメントは非常に貴重だった。この国の「原発体制」に隠された情報に光を当て続けて来た彼の存在を賭けたコメントはぼくらに勇気を与えた。

照美さんの番組終了は年初めから公表されていたが、43年前、出演していた朝のワイドショーでのぼくの降番については視聴者に最後の日まで知らされなかった。そのまま行けば、ぼくは突然、番組から消える事になっていた。レギュラー出演者が或る日急に消えるという「異常事態」が何故起きようとしたか。

70年当時、ベトナム戦争は末期的な状況だった。メディアはベトナムでの米国の戦争を支持していた。だから番組内での反戦的発言は許されなかった。その一方、ゲスト出演者の中で米国を支持する者は沢山いた。その一人の発言に堪りかねて思わずぼくは言葉を挟んでしまった。

ベトナムでの取材を終えて出演したゲストは、それが命がけだったと言い、日本に帰って来てこの国が平和で素晴らしいと言った。ぼくは反射的に「あなたが平和だと言う日本の基地からベトナム人を殺しに米軍が出撃している事をどう思っているのか?」と強い口調で問いただした。


更に、「数日の取材でベトナム戦争が分ったような口は利かないでくれ」といった為、ゲストを怒らせた。この「事件」後、ぼくは上層部からゲストに謝罪するように言われたが突っぱねた為、問題が尾を引き、その後の「反戦発言」も重なって、とうとう番組から降ろされる事になった。その日が近付いて来た。


ぼくにとっての番組最後の日、その枠内のどこかで視聴者に別れを告げたかったが、とうとう最後まで来てしまった。メイン司会者が「突然ですが今日で山川さんが番組を降りる事になりました」と告げた。そのままCМに入る筈だったのに、何故かまだ1分近く時間が余っていた。彼がぼくに発言を振った。

ぼくに発言のチャンスが回って来た!ぼくは、これまでの感謝と、この降番が自分の意志では無い事を辛うじて告げた。それでもまだ30秒程時間があったと思うが、言いたい事は山ほど有ったのに何も言えなかった。無言の、石と化したスタジオに永遠と思える30秒が経過しCМに入った。

CМに入った途端、突然スタジオが動いた。ぼくは10数人の管理職に手足を抱えられ、そのまま役員室に連れ込まれ、つばが飛んで来るほどの罵声を浴びせられた。一方、TVを見ていた視聴者は一体何が起きたのか分らず、一斉に局に電話を掛けた為、回線のヒューズが焼き切れ不通となった。


ぼくが引き起こした「事件」は、メディアからスタジオジャックとか言われたが、それまでのバーチャルな繋がりだった「視聴者」と直接会える事になり、ただ受け身の状態での視聴から、TVに主体的に係わり、視聴者の意見を反映させ、TVを変えて行こうという機運が生まれかけたのだが・・。

TV局の後ろに国が、そのバックに米国が、という構図の中で、一人で立ち向かったとしても所詮は線香花火。あっという間につまみ出されたというところ。局アナ生命の終わり。たったのワンチャンスでした。だから、ぼくは、吉田照美さんの果たして来た「役割」に本当に頭が下がります。


「ソコトコ」は終わっても吉田照美は終わらない!これからも本当の事を発言し続けて行って下さい。そして、メディアに係わる人達は、照美さんに続き、更に彼を次々に乗り越えて行って欲しいと思います。降ろされても降ろされても新しい人達が登場し、メディアを生まれ変わらせるまで前進し続けて下さい。


文化放送吉田照美ソコダイジナトコ「終了」に触発されて書いた43年前のぼくの降番体験をもう少し。当時のぼくは孤立無援だと思っていました。でも後になって分ったのですが、秘かに応援してくれていた人達がいたのです。契約社員、アルバイトの方達でした。


ぼくにとっての番組最後の日、それまで視聴者に全く知らされていなかったぼくの降番がメイン司会者によって告げられ、そのままCМに入る予定が何故60秒も時間が余り、「番組を降ろされる」というぼくの最後の「叫び」が可能になったのか。それには一人のタイムキーパーさんの「機転」があったのです。


番組が時間通り進行しているかをチェックする役目のタイムキーパーさんが、番組最後でのぼくの発言の機会を作る為、六つのコーナーで10秒ずつサバを読んでディレクターに告げていたのだ。打ち合わせと違い焦ったメイン司会者がぼくに思わず発言を振ってしまうという「ハプニング」が発生した。


生番組で起こった突然の出来事に驚いた視聴者が一斉にTV局に電話をした為、回線がパンクし不通になった後、こうした事態を起こしたTV局に説明を求める郵便物が連日届いた。800通を超えるその中味は、局に説明を求める物ばかりだった。局は焼却炉で燃やすようアルバイトの学生に命じた。


郵便物の焼却を命じられた学生は、それをそっくりぼくに届けてくれた。早速ぼくは差出人全員にこれまでの「顛末」を送った。500通位の返事が来たので、局の近くに会議室を借り、姿を現した視聴者の方々とお会いした。テレビを視聴者の手に取り戻そうという機運が急速に形成されて行った。


一方ぼくは、開局以来初という賞罰委員会に召喚された。重役がズラリと居並ぶ中、検事役の総務局長から「事件」の背後関係等を聞かれ、最後に、追って「処分」の内容を申し渡すと言われた。ぼくは懲戒解雇を覚悟したが、「山川ANを守れ」と視聴者の皆さんが立ちあがり局の玄関ロビーを埋め尽くした。


結局ぼくに下されたのは3か月間の懲戒休職処分だった。ほとぼりの醒めた3ヶ月後に首を切ろうという魂胆だと、視聴者の皆さんが「その日」まで支援活動を続けてくれた。3ヶ月後、「アナウンス課」への復職を命ずる辞令が出された。支援活動の成果だと視聴者の皆さんと喜びを分かち合ったが・・


配属された職場は課長とぼくだけで仕事は無く、完全に干された状態だった。でも応援をしてくれていた皆さんは「職場復帰出来て良かった」と一斉に引いて行き、視聴者運動を継続しようと残ったのはセクトの学生さんだけだった。TV局への運動が過激さを増す中、この視聴者運動は終わったと思った。


当時は70年安保闘争の只中という時代背景もあり、ぼくの個人的な「戦い」に多くの方々を巻き込んでしまいました。一方でこの問題は、権力によるメディア支配という現在の最も重大な問題でもあります。メディアによる洗脳という呪縛から己をどう解放して行くのか。明確な未来ビジョンが問われています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これ読んで思わず涙.....

これがマスコミの真実だ....


現在山川さんは千葉県市原で田畑を耕して暮らしている
311後も自分の作った作物を自分だけは食べていたが
先日体調を崩された...その部分転載

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当然、収穫した米は汚染されていました。だから、家族には食べさせられませんでした。でも、折角のお米です。有難く頂きました。そして昨年収穫のお米も食べて来ました。一年半の間です。いわば自分の身体を通した「人体実験」でした。倒れた時、遂に来た!と思いました。ここでの田畑作業はお終いです。

3・11以降、自分の体を観察してきましたが、呼吸器、消化器、循環器系に違和感を覚える事が継続的、断続的にありました。その原因の或る「部分」が自給米や野菜にあった事は間違い無いと思います。ぼくは自家用ですが、プロの農家の方たちにとっては死活問題です。放射能汚染の残酷さが身に沁みます。

千葉県市原市です。千葉県北西部から東京湾岸を舐めながら木更津方面へ流れた放射能雲が市原市も通過しましたが、計測すると斑条に濃淡があります。我が家の入り口の土は千ベクレル位です。昨年米を精米した糠で33ベクレルでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今は体調回復されたそうです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私達が環境中に撒き散らしてきた化学物質や放射性物質が世界中に拡散、濃縮し、巡り巡って私達に返って来る。それは急性疾患ではなく生活習慣病の様にジワジワと私達を蝕む。その事に危機感を持つのは難しいが、危機感を持続するのはもっと難しい。今、危機意識を持続出来るか否かが厳しく問われている。

この国は、収束しない原発事故を始め様々な危機に溢れている。出来ればそんな事は忘れ、自然と一体となって宇宙を感じ、腹の底から笑っていたい。でも今はそれが許されない。この国の支配者達は危機を解決する所か、原発の再稼働を企み、暮らしを根底から破壊するTPPに参加しようとさえしているのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう方がいることが心強い今日この頃