『いだてん』第一回 ~よかった、安心できるスタートだ・・・~ | deluxeの徒然雑草紀行

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シリアスな社会批評の直後に「ガンダムLOVE」な記事を平気で載せたりしますから(w

 

 

ようやく『いだてん』の初回放送が始まりました。

前回記事での冒頭予想は見事に外れましたが、別にそれはどうでもよいこと。

そして記事タイトルの感想が、ある意味第一回内容の全てを物語っています。

かりに『もし「タブ」』な内容だったとしたら・・・

 

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(金栗の幼少期、故郷の熊本で何故か泣いている場面から)

 

嘉納「おい、そこの童(わっぱ)! 何故そこで泣いておる」

 

金栗「僕の足が遅いからって、いつも友達にからかわれるんだ・・・」

 

嘉納「そんな奴らは友達でもなんでもないぞ! 童は走るのがすきなのか?」

 

金栗「はい!・・・でも僕は足が遅いから」

 

嘉納「そのようなことを気にするでない! 走るのが好きでありつづけるなら、いつか韋駄天になるぞ」

 

金栗「いだ、てん・・・?」

 

嘉納「足の速い神様の事じゃ。童にはその素質がある!」

 

志ん生ナレ「これが将来オリンピックを目指す二人の運命的な出会いでございました。

        二人はまだ自分たちの運命を知りません」

 

(以下略)

 

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はい、考えるだけでも悪夢ですね。

でも『西郷どん』やら『江~姫たちの戦国~』ではこういうのが常識だったんですよ~。

覚えておきましょうね。

 

さて記事を第一回感想解説に戻します。

 

アバンは五輪コンペ直前の東京から始まりました。

晩年の志ん生が過去を語っていく、という形式で今後も明治と昭和を行ったり来たりを繰り返します。

都庁での招致活動中の田畑政治のシーンが主軸となっていきますが、感心したのは

・戦後15年が経った東京の再現映像

・田畑がタバコをふかしているシーン

でしょうか。

 

昭和30年代の映像は今も当然残っていますが、

全てモノクロ・カラーフィルムによるものばかりで、それにより歴史は感じられますが、

逆に言えば非現実的な印象がどうしてもぬぐえません。

しかし本作の再現映像では、過去の東京を疑似的に体験できる≒実感が持つことができました。

実はこういう映像作品って、少なくとも現段階では絶対数が少ないんですよね。

昔の記事ですが、昭和30~40年代はすでに歴史といえる段階に来ているのに、

そのことをまだ実感できていない人が多すぎです。

その意味でも本作は、歴史を題材にした大河ドラマを名乗るに問題はないと言えます。

 

また田畑がタバコを吸う場面ですが、正直「よくやった!」と言いたくなりました。

コンプラだか何だか知りませんが、昨今はタバコを吸う場面を意図的に排除する傾向が酷すぎです。

あの当時ではタバコを吸うなんて超日常的光景であったにもかかわらず、

その他の作品では意図的にテレビ画面から排除しようとする傾向にあるでしょう。

別にタバコのシーンが無くとも物語の進行上の問題はありませんが、

先にも書いたように、それだと当時の歴史的風景が描ききれないという大問題が発生します。

おそらくは当該シーンに何かイチャモンめいた意見が届くとも予想されていたでしょうが、

「それに屈するようでは大河ドラマとはいえない」という判断は間違いなくあったでしょう。

そういった製作サイドの決断≒覚悟の存在を十分に感じられた良い場面でした。

 

何かアバンだけで、記事がこんなに長くなりましたが、まきながら続けます。

 

そしていよいよ本編が始まりましたが、これも今後の期待につながる描写が多かったです。

結論を先に書けば、現代にも問題が根強く残されている

「“体育”と“スポーツ”」のお話が軸となっている点です。

 

嘉納治五郎はヨーロッパのスポーツが、相手を尊重しながらも競い合って高め合うという

日本の武道にもつながる素晴らしい精神を宿しているとして、オリンピック参加を積極的に進めますが、

その他大勢はスポーツは所詮勝ち負け、単純化すれば戦争の延長くらいにしか思っていない。

それに加えて身体を動かすのはあくまで“体育”でなされるべき、ようは勉強の運動ヴァージョン

としか考えていないので、ソモソモ論段階から話が噛みあっていません。

 

これって、まさに現在でも問題となっていることでしょう?

「スポーツは楽しくやるべきだ」論と「スポーツを通じて組織行動の重要性を学ぶべき」論は、

昨今のブラック部活論争でも繰り返され、そして双方の意見は全くかみ合っていない状況とか。

いわば今に繋がるお話を、その歴史的な始まりから話題に乗せているワケです。

 

もっとも体育重要視論者の意見にも理解できる点はあって、

有名な北支事変での八か国連合軍の写真を見せながら「日本は体格的に劣ったままだ!」

と嘆きながら、「今はオリンピック参加など50年早い」と言うシーンには、思わず首肯してしまいます。

(wikipediaより)

そして続けて「国を背負って勝負に出るプレッシャーに選手は耐えられるのか!」とも言うのですが、

これは戦後にも続く大問題で、マラソンの円谷選手はまさにこれで自殺に追い込まれてしまいます。

またロンドンオリピックでのドランドの悲劇を例に、勝利至上主義がもたらす弊害を

オリンピック参加反対派の側の人間に語らせてもいます。

 

話は少々逸れますが、反対派の人間にも立場から見える正義に基づいて行動しているのであり、

単なる悪い守旧派という描かれ方をしていないことは、あたりまえではありますが好感が持てます。

でも『西郷どん』やら『江~姫たちの戦国~』ではこういう「あたりまえ」ができなかったんですよ~。

覚えておきましょうね。

 

閑話休題

 

反対派に説得され「やっぱり辞退しよう」と思った嘉納ですが、

フランス駐日大使から日本の国旗が入ったポスターを見せられて「参加します!」と言っちゃう

・・・のはさすがにフィクションですが、面白いのでOK。

 

その後はイロイロあってオリンピック予選にこぎつけるのですが、

そこでキラ星のごとく登場したのが、いだてん・金栗四三。

紅白帽子の赤い部分が溶けて顔についた描写は、間違いなく歌舞伎の隈取を意識しているでしょう。

そして当時の世界記録をたたき出して、いよいよオリンピックを目指す・・・ところで終了。

次回は金栗の青春時代から始まります。

 

 

以上ざっくりと初回を振り返りましたが、

「ようやく歴史を描いた大河ドラマ出会えた」感が半端ありません。

そして懸念していた歴史の暗部についても、最低限の描写はされていくとの期待感も持てます。

本当にこういうことが書けてうれしいのですが、「今後も楽しみです」