一通りの観光を終えて、ミャンマーでの最後の晩餐となりました。
晩餐会(?)が繰り広げられたコチラの建物ですが、
アウン=サン将軍(スー=チー女史の父親)が、一時期政務に使っていた建物を
そのままレストランに改装したのだそうです。
その頃の将軍が使っていた執務室や机が今も残されています。
*******************************
というわけで観光は終わりました。
今までミャンマーの歴史についてお話しする機会がありませんでしたので、
少しだけ記事にしておきたいと思います。
とは言ってもほとんど書く内容がないのですよね。
なぜなら近代になるまで、ミャンマーの歴史はわからないことが多いし
民族的にもややこしい話が多いので。
なのでザックリまとめると、
・4世紀~11世紀までピョー人の国家がありました(この頃には仏教を受容)。
・12世紀にパガン王朝がミャンマー人によって建国されました。
・13世紀にパガン王朝がモンゴルによって滅ぼされました。
・14、15世紀はタイ人の介入もあって戦国時代に突入。
・16世紀にミャンマー人によって国内再統一(トゥングー王朝)。
しかし19世紀からイギリスが軍事介入して、当時のコンバウン王朝を滅ぼします。
そして宗教・民族も全然異なるインド帝国の一部として、植民地支配の時代になります。
「列強の圧力によってナショナリズムが高まる」のは大抵のアジア諸国が辿る道ですが、
ミャンマーも同様であり、20世紀になって頭角を現したのがアウン=サン将軍です。
彼(アウン=サン)はビルマ独立のためなら何でもする人だったので、
太平洋戦争勃発後の日本イケイケ期には日本に協力しますが、
敗色濃厚となった1944年には逆に抗日勢力へと転換します。
戦後はビルマ独立をイギリスに約束させますが、のちに保守派により暗殺。
国内は各民族の対立を纏めきれないまま不安定化し(今も大して変わらない)、
最終的には軍事クーデターが起きて、軍事政権が支配するようになりました。
民主化運動は徹底した弾圧により抑え込まれましたが、
最近になって開国へと国政を転換して今に至ります。
開国したとはいえ、現状も外国人の立ち入り禁止地域は割と広いのですが、
別に軍事機密を隠すためとかいう大層な理由では無くて、
反政府活動をしている少数民族が外国人を襲撃するようなことになると困るためです。
なので、ひょんなことから国内が再び不安定になって、クーデターが再発して・・・
というのは割とありうる未来ですので、観光には行けるときに行った方が良いと思います。
そんなことを漠然と考えながら、夜も更けたヤンゴン空港で搭乗手続きを済ませます。
現地発は21:45分で成田着は6:30分頃です。
最近のミャンマーブームもあって、機内は8割がた埋まっているという混み具合。
機材は往路とは異なる全日空スターアライアンス塗装でした。
というわけで、早朝の成田に到着。
この時点で急性胃腸炎を発症したため、
休暇を取っていたとはいえ酷い1日を過ごす羽目になったのでした。(了)