コンピュータがCUIだったころ - 1
Wikipediaをまだ見ています。
あれからプロセッサの雑学をまた書き直す余力は今はないけど、えと、ワークステーションからリンクをたどっていくと横溝正史までいけますし、アイヌ語までいけます。
どこをどういう風に行ったんだか。
で、今見ているのはオペレーティングシステムからFM TOWNS。
懐かしいことしきり。
ぼくが最初に触ったコンピュータはPC-9801。ラップトップ型で98NOTEなんて呼ばれてた機種です。
メモリーはメインが640KB( これは普通 )。で、外部メモリが1MB拡張されてました。HDは大容量40MB( 当時50万円ぐらいしたはず )。
EOシステム、といういわゆるラウンチャが入っていて( このパソコンは父親にもらったのです )もらって数ヶ月はひたすら説明書を読み、ワープロで文章を打っていたような気がします。
当時父親は会社にも自宅にもコンピュータを持っていてラップトップが必要なくなったんでくれたんでしょうな。
その親父が買ったのが名機( だと個人的には思っている )EPSON PCシリーズ、PC-486ってやつです( 未だにマニュアルはすぐ傍にあります。スキャンしてみました )。
PC-486MUていう名前だったのか。UpGradeMULTIなんて言ってますね。確かにマルチメディア機能を盛んに宣伝してた気がする( マルチメディアCD-ROMなんていう無理矢理マルチメディアを体感させるコンテンツCDをつけてました )。
こいつもお下がりでもらえたのですが、時系列的にそれはあとの話。
で、PC-9801。
ぼくのコンピュータ嫌いの元凶を作ったマシンです。
初めていうかもしれませんが、僕はコンピュータが嫌いです。プログラム組んでたりするけど、嫌いなものは嫌いです。実は大嫌いです。
プログラムがコンピュータ以外で高速に動くなら、そっちを使いたいです。
何度泣いたことか。
忘れもしない、あの日のことは覚えてる。
本当によく晴れた春の日だった。日差しの角度がまだ浅くてちょっと眩しい感じの朝だった。朝の10時だった。母さんが買い物に行くと言っていたのを覚えている。
MS-DOSの勉強ソフトがあった。ファイトMS-DOSだったかな?
インストールした。
すると、普通にインストールは完了して、MS-DOSの講習が始まった。
DIRコマンドからCOPYコマンド、その他その他…最後に二択問題がついていてY/Nで答えたことも覚えている。
で、インストールして、再起動すると、そいつが立ち上がる。
何度立ち上げてもファイトMS-DOSが始まるだけで、EOシステムは帰ってこない。
怖くなった。
すごく怖くなった。
それからパソコンが怖くなって、夜寝るときはパソコンの方を向いて寝られなくなった。ちょっとした強迫神経症だったのだと思う。まあ、子供ってそういうものだし。
で、しばらくして、怖さが少しずつ薄れてきた。父親の本棚からもう一度EQシステムのマニュアルを取り出して開く。
前に読んだときに全く分からなかったことが、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ分かるようになっていた。
で、今度は目的意識もある。インストールという言葉はもちろんながら知っていたので
( 多分当時にしても今インターネット目的でコンピュータを所有している一般の人よりはよほど知っていたと思う )、目的は明快。
” EOシステムを上書きインストールする! ”
幼いぼくは賢かった。上書きインストールするとやばそうなところ、つまりAUTOEXEC.BATやらCONFIG.SYSやらをちゃんと確認して、マニュアルと照らし合わせていた。FILESとかBUFFERなんて言葉は覚えている人もたくさんいると思う( 当時、使っていた人ならば )。
そいつらをきちんと書き換えて、プログラムを2HDのフロッピーから転送して、上書き完了。
まあそのあと、この「98NOTE」にはもう一度泣かされることになるんだけども。
そのころ学校でもコンピュータ教育は開始されていて、まあ、いわゆるあれですな、FMTOWNSが我が母校のコンピュータ教室に並べられていたものです。
横置き、ヘッドホン付きマウス付きキーボード付き。CD-ROMドライブがついていて、ぼくの感覚では「あれは偽物のFMTOWNSだ」ったのですが( FMTOWNSだといえば、縦置きで前側に開く、オープントレイでしょうに )。
準備室の方にまた大量にコントローラがあってBALLSなんかを授業中にやってました。マザーグースなんて言う教育ゲームもあったけど意味わかんなかったな、全部英語だったし。ぶっちゃけちょっと怖かったし。
今思えばあれって80386CPUだったのだなあ、と。早いじゃん! みたいな感じです。
個人的にはそういうゲームをやってる友達を尻目にTOWNS OSのグラフィカルインタフェースに惹かれ( 98NOTEは基本的にMS-DOSだったのでCUIなのです )、いろんなところをクリックしては喜んでた記憶があります。
覚えているのは、Qドライブ。
その後CD-ROMドライブのついたPC-9821機と接することになるのですが、そのマシンもCD-ROMドライブはQドライブで、僕の中でQドライブと言えばCD-ROMドライブです。
RAMドライブなんてのがWindowsで言うマイコンピュータにあって、開いても何も出てこなかったり( 確か )。
学校ではFMTOWNS、家ではPC-9801NOTEというのが僕が初めて触れたコンピュータ環境でした。
当時のコンピュータのプロセッサはどちらも先程の80386。33MHzと66MHzでクロック切り替えが出来た記憶があります( 486だけだったかな? 記憶が定かじゃない )。
メモリーは640KB。これでも十分だったんですね、当時は( 少なくともDOSはシングルタスクだったので )。
小学五年生の頃に学校の資料室( 図書室とは別に資料目的の本だけが並べられた部屋があった。第二図書館 )でBASICの本を見つけて読みふける。
確か、マニュアルにBASICのことも書いてあった気がする…調べてみるとディップスイッチの切り替えでROM-BASICが使えるとのこと。
と言うわけで早速資料室のBASIC本を全部かき集めて( 5冊くらい、誰も借りる人居ないので独占です )BASICでシューティングゲーム( スペースインベーダー )を作り始めました。
最初のプログラムはもちろんあれです。
FILES ? 1
ok
10 PRINT "Hello, world."
20 END
RUN
Hello,world.
あ、なんか泣きそう。ノスタルジー。
「こんにちは、世界」だって。
未だにプログラム講習で最初にこいつを教えるのは、独学世代のプログラマーが最初にこの文字を見てなんか感じちゃったものがあるからではないかと思うんですが。
閑話休題。
ROM-BASICには、DISK-BASICとは違ってセーブ機能がなかったので、ノートコンピュータ独特の機能サスペンドで作業を続行すると言うことをやっていました。ただ、セーブではないので、新しいもの作るときはやり直しなのですが。
スペースインベーダーの他に、データベースソフトも作りました。
歴史学習とかいって年号を入力するとその年にあった出来事を表示するソフトです。
? 645
タイカノカイシン
みたいな。
その後マイコンBASICマガジンを手に入れて、本格的なシューティングゲームを作ってみたり
( 三角関数を駆使しすぎて速度が全く出ませんでした。大体画面更新がインベーダーで破綻していたほど遅かったので問題外。後にWindows3.1に移植 )
テトリス、ぷよぷよは作りました。
小学生なのでAIは理解できずCPU対戦モードはついていませんでしたし、画面描画命令が遅いので全部テキストでした( グレイスケール液晶なのでぷよぷよは記号で区別 )。
オセロもちょっとがんばってたな…。
結局AIっていう考え方がなかったので残念賞。
FMTOWNSの方でもLOGOをさわっているのですが、当時は全く分からずに入力プロンプトに
「せかいはいつほろびるのですか」
なんて入力して
「せかいはいつほろびるのですか は わかりません」
なんて言われてみたりして。
そして、PC-9821の話。は、次回。
参考リンク:
http://www.sham.jp/studio/sound/denki/index.shtml : 電気の恋人 by Mosaic.wav

