バリアブル・ワールド 第1回 | SENSE - LESS MANEUVER

バリアブル・ワールド 第1回

昨日はなんか意味不明な「散文的に、時には詩的に」な文章を垂れ流してしまいましたが、

今日はちょっと考えたことの話です。

 

テーマは、教育

 

昨今の風潮はおかしくないですか?

 

少し前までゆとり教育だったのに、今では「授業時間を増やせ」とか、「宿題をもっと」とか、「土曜授業を復活」だの。

言わせてもらえば、あほちゃうかと。

 

基礎知識が「希望の国のエクソダス(村上龍・著)」というところがちょっとあれかもしれませんが、現在の教育システムはもう時代遅れです。

某シミュ的に言えば「Obsolete!」ですよ。

 

50年前の日本が戦争に負けた頃にできた教育の指針が未だに受け継がれているわけですよ。それで適当なわけがない。

どういうところが適当でないかと申しますと

 

・習う内容に不要なものが多い、あるいは中途半端でそれだけでは役に立たないことが多い

 

結構あると思うのですが、小学校で習う”歴史”って微妙じゃありません?

日本の歴史中心に世界の歴史もちょこちょこ触るからわけわかんないと思うのですが、どうでしょうか。

あと算数と数学についてはもっぺん指導内容を考え直せ、馬鹿

 

・そもそも学習内容が不適切

 

古典がそうですが、こんなものは教養科目です。

はっきり言って、書道、美術、音楽、家庭科と同じレベルであって特に力を入れてやるような科目ではないです。ただし、無いと困ります。

そもそも古典を学校で勉強する意義というのは「自分たちの祖先、先人の方が書いた文章を読めないなんて恥ずかしいじゃありませんか」というものでしょう。

 

隣のあのキムチの国の皆さんはハングルしか習わないそうなので、先人の文章が読めませんし(この情報については間違っている可能性があります、他意はありません、間違ってたらごめんなさい)。

 

古典なんてまじめにやる暇があったら、中国語をやれと。工学目指すならドイツ語、文学行くならロシアかラテン語をやれと。話せる言葉は多い方が有利です。解せるプロトコルが多いと有利であるように。

 

個人的にはラテン語を勉強すべきでしょう。言語体系が綺麗です。そうでなければドイツ語が読みやすいです(字面を)。

 

情報の授業について(の愚痴)は次回バリアブルワールド第2回でお伝えします(するか?)。

 

・セレクティブにするべき

 

そもそも勉強したい科目なんて自分で選べるべきでしょう。モチベーションを上げる方法としてはよいかもしれません。嘘です、幻想です

 

ここに示したものは今の教育制度の上で発生している問題であって、そこだけ変えればよいというものではありません。

システムを変更して上述のような問題がないようにしなければいけません。

そもそも時代遅れの設計思想の時代遅れのOSの上に時代遅れのソフトウェアをのっけて、

ハードウェアはどんどん進化しているのに、未だにキャッシュメモリも実装してないなんて有り得ません。

最後は一般論になりますが、この辺でおしまい(逃げた)。