123便が消えた夜 | はい、タケコプター

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備忘録としての日記です。よろしかったらご覧下さい。

日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落して今日で25年になります。


123便が伊豆半島東方上空で異常事態に見舞われ、静岡県上空を飛行していた頃、
ちょうど空を見ながら、ラジカセのテレビ音声を聞いていたのですが、当時は曇り空だったように記憶しています。


123便レーダーアウトの一報を聞いたのはNHK7時のニュース終了直前。
松平アナウンサーが原稿を持ち上げるあのスタイルでニュースを伝えていました。


Youtubeにアップされているこの動画、おそらく見ていたのかもしれませんが記憶にありません。




そして、もうひとつの動画も確かに当時の放送を見た記憶があります。



当時は月曜日の夜8時から日本テレビ系でザ・トップテンと言う歌番組をやっていました。
こんな番組、今じゃとっても考えられませんね。

番組自体も終始落ち着かない感じで、小林完吾氏が落ち着いた低い声で「墜落が確認されました」と伝えていたのは、今でも昨日のことのように思い出されます。
500人も乗ったあのジャンボが墜落するなんてニュースでは聞いてもとても信じられませんでした。

翌朝、テレビで焼けた山肌にJALの文字の入った主翼の一部だけが焼け残っている映像を見て、ジャンボジェット機もこんなになってしまうんだ...と息をのんだものです。

もうひとつ、印象に残っているテレビニュースは13日昼前のFNNニュースレポート1130。
他局の特別番組がほとんど終わってしまい、この番組にチャンネルを合わせたのですが、冒頭のタイトル画面で怪我をした子どもの映像が出ていて「え?」と思っていると、露木茂氏がうわずった声で「現場で生存者が確認されました」と伝えていたのをはっきり覚えています。
あまりにも混乱していたのか、天気予報では天気図などの映像に合わせてBGMだけが流れていました。

あれから25年。
今やダッチロールという言葉もほとんど効かなくなりました。

日本航空自体も破綻し、リストラのあおりで事故機と同じボーイング747シリーズも今年度中には日本航空から姿を消すのだそうです。

しかし、事故の原因については未だに疑問を呈する声が小さくありません。
日本航空の関係者は急減圧がなくとも酸素マスクが落下するメカニズムなどを解説して、圧力隔壁の破壊で起こったとされる急減圧を否定し、考え得る事故原因を推定しています。
そのほかにも自衛隊が撃墜した、中性子爆弾など、少々説得力に難がある説も流布されています。
今後にこの経験を生かすには真の事故原因の解明が必要ですが、容易ではありません。
もし再調査をするなら、今がほとんど最後のタイミング名のかもしれません。

747型機を上回るキャパシティを誇るエアバスA380型機も世界の空を飛び回るようになってきました。
あの、もの凄い事故が再び繰り返されないよう、空の安全を切に願っています。