『MFゴースト』によって再び思い知った続編を望む事の罪深さ | 後追い80's

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80年代カルチャー発掘備忘録

 

 

頭文字Dの実質続編漫画『MFゴースト』を未だに読んでいるものの、まだ一瞬たりとも面白いと思った瞬間すら無い。

 

そうこうしているうちに、もう2巻が発売だと!?

 

 

そして・・・今週のヤンマガで遂に決定的なエピソードが語られた。

 

なんと、あの藤原拓海がWRCに参戦する直前のテストで崖から転落して、そのまま引退していたらしいのだ。

 

拓海が「悲運のラリースト」なんて呼ばれているのを見て、いよいよこの漫画ともおさらばする時が来たかと悟った。

 

イニDに対する思い入れだけで、つまらない漫画に何とかついていってたけど、さすがにそれをやっちゃあ、おしまいよ。

 

いくら原作者だからといって、やっていい事と悪い事がある。

 

 

こんなクソ続編なら作ってくれなかった方が100万倍ありがたかった。

 

自分が近年観てきた続編作品はそんな物だらけだ。

 

聖闘士星矢Ω、黄金魂、ガンダムビルドファイターズトライ、スターウォーズ、ドラゴンボール超・・・そこにMFゴーストも加わった。

 

これら全部無かった事にしてほしい。

 

 

 

「創造の為の破壊なら仕方ないとしても、これは単なる破壊でしかない」

 

数日前、スターウォーズEp8のレビューでそのような言葉を目にした。

 

MFゴーストにもこの言葉がピタリと当てはまる。

 

作品自体が面白いのであれば、旧作主人公の悲劇も徐々に受け入れられるだろうと思うのだが、あんな何の存在意義も無いような漫画の為に自分の青春がぶち壊されると思うと、ただただ許せない気持ちにしかなれない。

 

 

まあ、別にもういい。

 

結局、見なけりゃいい話なんだから。

 

つまらないと思った時点で切らなかった自分にも落ち度はあるのだし。

 

良い教訓になった。

 

今後はいくら思い入れのある作品の続編、または関連作品であろうと、つまらなければ容赦なく切る事を決意した。

 

時間の無駄でしかないし、こんな知りたくもなかったエピソードを知るハメになるだけなのだから。

 

自分にとって良い事なんて何一つ無い。

 

 

いや・・・拓海は事故になんて遭っていない。

 

あれはパラレルワールドの話なんだ。

 

そう思って忘れる事にしよう。

 

 

 

しかし、最近は漫画に限らず、芸能人でも何でも晩節を汚す人が多くて本当にガッカリさせられる。

 

やっぱり美しい引き際って大事だと思う。

 

「終わり良ければすべて良し」という言葉があるけど、まさにその通りで。

 

 

そして、前にも書いた事だけど、そもそも僕らファンが安易に続編を望む事が良くないのだろう。

 

僕はイニDの続編を望んでしまった。

 

しげのさんがクルマ漫画を新連載すると聞いて歓喜してしまった。

 

だから、そんな自分にも罪はあるのだろう。

 

 

続編なんて十中八九ロクな事はない。

 

それはここ数年で嫌というほど思い知ったはずなのに。

 

もう本当に続編は望まないようにしないと。

 

『キン肉マン』のように全盛期を超えるような続編もあるけど、そんなのは数えるほどしかないだろう。

 

映画にしろ何にしろ、続編がオリジナルを超える事なんて稀にしかないのだから。