久々に映画を観る時間が作れたので、初めて永野映画CHANNELを観てみようと思い、録画ストックの中からとりあえず永野さんの解説聞きたさで『恋しくて』を選びました。
この映画を観たのはいつだったか調べてみたところ、ちょうど2年前となる2024年の6月だったことが確認できました。
今回またしても6月にこの映画を観る事になったのは何の因果なのか。
そんなわけで2年ぶりかつ2回目の鑑賞となりましたが、大まかな感想をざっと挙げていきます。
🔶思っていた以上にルーク
2年前の記事で、主人公キースの風貌を「どことなくルーク・スカイウォーカー風味の優男」と書いていましたが、そこから2年経った今、改めて見ると・・・自分が思っていた以上にエピソード4時のルーク・スカイウォーカーでした(笑)
エリック・ストルツが2つの太陽を見つめるシーンやブルーのライトセーバーを振り回すシーンを演じても違和感なさそう(笑)
🔶サントラの魅力
前回と違って今回はサントラを聴き込んだ状態での鑑賞となったので、流れてくる音楽のほとんどが馴染みのある曲ばかりで、あの曲はこういう使われ方をしてたのか~とか、あの曲をこのシーンに持ってくるのか~⋯といった感じで、音楽に主眼を置いた楽しみ方ができたのは新鮮だった。
初回時にはこんなに音楽が良かったなんて気づけなかっただけに、聴き慣れた楽曲を劇中で耳にすることによって、改めて良曲揃いである事が実感できた。
本作を語るうえで、こうしたMV要素も特筆すべきだと思うので、もっと評価されてほしい。
そんなに評価されていないように見えるのは、単に本作の知名度があまり高くないせいだろう。
そう信じて疑わないほど、このサントラは本当に隠れた名盤なのです。
🔶ユーモア要素
青春映画、恋愛映画としてのイメージが強いものの、割とユーモラスな要素が散りばめられているのも本作の魅力だと思う。
大笑いするようなシーンこそそんなに無いけど、クスッと笑ってしまうようなシーンは少なくない事に気付いた。
個人的には、アマンダが早朝授業を取り消してもらおうと禿げた教師に色仕掛けでゴマをすった際に、先生の髪型が素敵だと女子はみんな言っているとデタラメを告げるのだが、その教師が1人になった途端、鏡を見ながらその気になるシーンで笑ってしまった。
「いやいや、あんたもう横しか残っとらんやろ!」と。
あと、キースの妹が結構クレイジーな性格だったことは忘れてしまっていた。
父親が学校を訪れた際、授業中に外からドアをノックしたら突然大絶叫するんだもん(笑)
兄貴を変人扱いしていたけど、君の方がよっぽど変人だぞとツッコミたかった。
あの家庭環境でこんな子が育ったのが不思議で、一種の突然変異みたいな存在なのかな。
でも、最後はちょっとしおらしくなって、意外にまともであることが分かって安心したけど。
あと、面白いとはちょっと違うけど、誰も女として見ていないワッツを口説こうとするチャレンジャーには感心した。
この兄ちゃん、バカっぽそうだけど女を見る目だけは優れてるな、と(笑)
頭の良さと審美眼はまた別分野なのだろうか。
🔶ファッション&車
最近、80年代のファッションにまで興味を持ち始めてネットで色々と調べたりしているので、3年前よりもファッションを凝視するようになった。
そして、本作を撮影していた時期と思われる86年の時点で、既にエアジョーダン1(シカゴ)を履いていた最先端の若者も発見してしまった。
個人的にはキースの飾らないカジュアルファッションが好みかな。
あと、アマンダの友達が乗っていたスズキの小型車が小洒落ていて魅力的だった。
これは「サムライ」という車名で販売されていた2代目ジムニーらしいです。
当時、アメリカの若者の間で「コンパクトで四輪駆動、しかもオープン(ソフトトップ)にできるカジュアルで可愛いSUV」として大ウケし、最初の1年だけで約4万7000台を売り上げる大ヒットを記録したのだとか。
🔶最も羨ましいカップル
ラストシーンはまたしても泣いてしまった。
完全にオチが分かっているにもかかわらず、何で涙腺が緩んでしまうのだろう。
色んな映画やドラマを観てきたけど、これほど羨ましいと思えるカップルは他にいないかもしれない・・・というかパッと思い浮かばないもんなぁ。
この2人には恋愛に付きものの面倒くさい駆け引きなんて存在せず、互いに弱いところやカッコ悪いところまで全てをさらけあっていて、その上で結ばれるわけだから、こんなにピュアで素敵な関係もそうそう無いのではないかと。
🔶甘酸っぱいという言葉の意味が分からない
本編を見終わった後、永野さんたちの感想の第一声が「甘酸っぱい」だったけど、私はこの甘酸っぱいという言葉の意味が未だによく分からずにいる。
といっても「知らない」ではなく「分からない」ということ。
つまり、言葉の意味は理解しているけど、実感として理解できないと言えば良いのだろうか。
「甘い」は分かる。でも「酸っぱい」の感覚がいまいちよく分からないというか。
だから、甘酸っぱいという表現が未だにピンとこないのだ。
🔶3年前の感想
3年前の自分が本作を観てどのような感想を持ったのか、改めて振り返ってみた。
>ジョン・ヒューズ関連作品ではこれが一番好きかもしれない。
そういう評価だったんだ。これはあまり覚えていなかった。
奇遇にも、永野さんも同じようなことを言っていて共感できた。
改めてやっぱり私は『プリティ・イン・ピンク』より本作の方が好みだな。
あと、細かな点としては、3年前に観たスターチャンネル版とは字幕の翻訳内容が少し違っていたように感じた。
比較してみないと正確な事までは分からないものの、今回の方が会話のディテールがより伝わりやすかったような気がする。
そして、本作は2回目の方が面白いと感じられるタイプの映画だと思った。
お勧めルートとしては、私と同じようにまずは映画を観て、その後サントラを聴き込む時期を経てから再び本編を観返すというのが一番楽しめると思われます。
そんなわけで、最後は今回のお目当てだった永野さんたちの語りについてですが、期待に違わず面白い内容でした。
最後は勢い余ってコンプラやルッキズム問題にまで発展し、「恋しくてを観て腹たってきた」みたいなことを言われていましたが、あれは非常に共感できました(笑)
この時代の映画やドラマを見ると、今がいかにおかしな時代になったのかがよく分かりますから。
一見すると時代が進んでいる今の方が何もかも正しく進化しているように思えるのかもしれないけど、それは短絡的な考えであって、そうやって深く考えず思考停止している人が多いからこんな時代になってしまっている部分もあるのではないかというのが持論です。
そもそも考える考えない以前に、想像力が著しく欠如していたり、自分にとって都合の良いものの捉え方しかしようとしない人が増えたという事もあるのですが。
まあ、この映画で描かれた80年代中期が完全なるユートピアだったとは言いません。
実際、本作にもスクールカーストの要素が出てきますし、富める者と貧しい者の格差問題も描かれていますが、そんな事を言いだしたら今だって同じでしょ、と。むしろ今の方が格差がえげつないことになっていて、お金に対する庶民の執着もいやらしくなったので、今の方が良い時代だと言う人の気持ちが全く理解できないのです。
この問題に関してはジェミニに聞いてみても間違いなかったので、興味のある方は以下のコピペを一読してみてください。
本作ではスクールカーストが描かれていましたが、現代のアメリカでもスクールカーストは根強く残っているのでしょうか?
私のイメージでは80年代当時よりも現代の方が格差がえげつなくなっているような気がするのですが。
そのご指摘、まさに的を射ています。結論から言うと、現代のアメリカでもスクールカースト(現地では「Cliques / クリーク(派閥)」や「Social Hierarchy(社会的階層)」と呼ばれます)は形を変えて根強く残っています。
そしておっしゃる通り、80年代のような分かりやすい「運動部(ジョックス)が偉くてオタク(ナーズ)が虐げられる」という構図よりも、現代の方が可視化されやすく、精神的な逃げ場がないという意味で「えげつない格差」になっているのが実態です。
映画『恋しくて』の時代から現代にかけて、どのようにカーストが変貌し、残酷化していったのかをいくつかのポイントで解説します。
1. 「SNS(ソーシャルメディア)」による格差の常時可視化
80年代のカーストは、良くも悪くも「学校の中(放課後まで)」で完結していました。しかし現代は、InstagramやTikTok、SnapchatといったSNSがカーストを支配しています。
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数値化されるステータス: フォロワー数、投稿の「いいね」の数、動画の再生回数がそのまま学校内での戦闘力(影響力)になります。
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残酷な「 exclusion(排除)」: 「自分以外のクラスのグループが楽しそうにパーティーをしている動画」や「自分だけ呼ばれていないグループチャット」がリアルタイムでスマホに通知されます。24時間365日、自分がカーストのどこにいるのかを突きつけられ続けるため、精神的な逃げ場がありません。
2. 「ジョックス vs ナーズ」の崩壊と「Good-ats」の台頭
かつては「勉強ばかりできるオタク(ナーズ)」はカーストの最底辺でした。しかしIT企業のウブな創業者たちが世界を牛耳る現代、あるいは大学進学競争が激化した現代において、「ただスポーツができるだけ(脳筋)」の価値は下がっています。
近年の社会学の研究では、現代の最上位カーストとして「Good-ats(グッド・アッツ / 何でもできる層)」という新しいクラスタの出現が指摘されています。
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彼らはスポーツ万能で、ルックスも良く、SNSで人気がありながら、大学進学のための高度な授業(APクラス)を受け、ボランティア活動もこなすという、完璧超人たちです。
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かつての「金持ちで意地悪な人気者」ではなく、「全方位に完璧で人当たりも良い人気者」がトップに君臨するため、下位層は「自分が劣っているのは努力や能力が足りないからだ」という自己責任論に追い詰められやすくなっています。
3. オタク文化の「分散化」と「新たな底辺」
アニメやゲーム、ガジェット好き(ギーク・ナーズ)という属性自体は、ネットカルチャーの普及によって「ポップでクールなもの」へと市民権を得ました。そのため、オタクだからといって即座にいじめられることは減っています。
しかし、カーストの底辺がなくなったわけではありません。現代のアメリカのリアルなスクールカーストでは、以下のような層が新たな社会的孤立の対象(底辺)になりがちです。
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Loners(孤立している人): SNSのアカウントを持たない、または誰も繋がっていない、完全に「誰の目にも留まらない」透明な存在。
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経済格差による排除: 持っているスマホの機種(iPhoneかAndroidか)、着ている服のブランド、親の経済力による「体験の格差(旅行や趣味に使えるお金)」が、SNSを通じて一瞬で見抜かれ、グループから外される要因になります。
結論として
80年代のスクールカーストは、映画『恋しくて』のように「不良だけどアイツ良い奴だな」とか「オタクだけど一芸で認められる」といった、フィジカルな人間関係の泥臭さや逆転劇の余地がありました。
しかし現代は、「経済力」「学力」「容姿」「SNS上でのコミュ力」のすべてがデジタルデータとして綺麗にスコア化され、階層がグラデーション化して固定されているような状態です。物理的な暴力を伴ういじめは減ったものの、精神的な「格差のえげつなさ」は間違いなく現代の方が進化(深刻化)していると言えます。
・・・ということらしいですが、私からすればLonersこそ理想的だし、一番美味しい生き方だと思うだけに憧れますけどね。



















