先日、母の13回忌の法要を築地本願寺で行いました。
昨年10月は父の50回忌、今年1月は長男の33回忌と、大きな法要が続きましたが、母の13回忌で一区切り。
今後も祥月命日にもお参りし、お経はあげていただくつもりですが、少しホッとしました。
父は築地にある国立がんセンターで亡くなりました。
当時は、東海道新幹線も東京~岡山までしか開通していなかったから「岡山までが遠かった」と母が言っていました。
地方から国立がんセンターへの入院・手術は、その家族も色々な面で相当負担だったと思いますし、代議士さんへもお願いをしてやっと入院できたと聞いています。
私は当時小学生でした。両親が東京にいて不在なことが多く、幼い妹もおり、父方母方の祖母が交代で家のことをしてくれていました。
父が地元で色々な事業をしていましたので、その段取りも母は大変だったと思います。
その父が国立がんセンターへ入院したので、地元では興味や関心を持つ人が多かったようで、小学校の担任の先生が、休み時間になると私を呼び、父の容態や祖父母は何と言っているかなどと毎日聞かれていました。
いま思うと、寄り添ってくれてはいたのだと思いますが、あり得ない、言いたくなかったこともありました。昔はそんな感じでしたね。
銀座のデパートや舞台が大好きだった田舎者の両親は、私の判断で築地本願寺で眠ることになり、喜んでくれているかな。
私が両親の元へ旅立っても、観光客も多く賑わっているお寺なので寂しくはないか、と思ったりしています(私も築地本願寺の墓地へ入ることになっています)。
5年前に結婚した妹のお婿さんも、毎回小田原から快く参列いただいています。
父のことが大好きだった母。あの世では仲良くやっているかしら。
息子のこともよろしくお願いします。