蓋つきで供せられる(右下枠)『初代治兵衛の鴨南(真鴨)ばん』(鴨南ばんの起源)

 

ずっと気になっていた鴨南ばん発祥の店である元祖鴨南ばん本家(神奈川県藤沢市湘南台2ー22ー17、小田急江ノ島線 / 湘南台駅 徒歩4分、220m)を訪れることができた。店は11:00〜20:30の通し営業で火曜日のみ休みとなっている。当日は平日の昼下がりという事もあり運よく空いていた。

 

そもそも『鴨南蛮(かもなんばん)』とは(鴨南蛮煮の略)鴨肉と葱を入れたうどん・そば(広辞苑より)、その歴史は、『蕎麦の事典』によると江戸時代に創製された種物で『鴨なんばんは馬喰町橋づめの笹屋など始めなり』と『嬉遊笑覧』に記してあり笹屋が元祖とみて良い。(中略)大正四年(1914)以降に廃業した。大正末期杉山喜代太郎がその名を惜しんで復活、昭和9年(1934)両国長寿庵で修行した桑原光二が受け継いだ。とあります。

 

そして若干表現の仕方に違うところがありますが当店ホームページ上の記載では「鴨南ばん」の歩みは江戸時代文化年間(1810年頃)、日本橋馬喰町の鞍掛橋のたもとで始まります。初代「笹屋治兵衛」は長崎の「南蛮煮」をもとに「鴨南ばん」を考案したところ、たちまち江戸中の評判となり「鴨南ばん」は店の愛称としても親しまれるようになりました。
しかし、治兵衛は後継者に恵まれず「伊勢屋藤七」を2代目として迎えます。山崎叡山が1885年(安政2年)正月80歳で著した「蕎麦道中記」隻六蕎麦案戯書で江戸の名店11選として多くの文献や番付表に紹介されています。藤七は鴨が渡って来ない夏の時期は穴子を使った料理なども出していました。明治の中頃から藤七の子の「川辺藤吉」が店名を「元祖鴨南ばん」として3代目になりましたが、東京の大半を焼く関東大震災(大正12年)の大火事で店も消失してしまいます。翌年、弟子の「杉山喜代太郎」が4代目となり当時働いていた職人を集め、区画整理のため店を少し浅草橋寄りに移して再興させました。その後、喜代太郎は震災で全焼した日本橋区の復興を目指して区議会議員になり、その活動が多忙になったため、両国長寿庵で修行をしていた「桑原光二」が5代目を引き継ぎました。この時に妻の「トイ」が「鴨せいろ」を考案し、各地に支店もできたため店名に本家をつけ、現在と同じ「元祖 鴨南ばん 本家」としました。光二の後は長男の「敏雄」が6代目となり歴史を伝えていましたが、街並みの変化により湘南台に本家を移転させ光二の三男の「芳晴」が7代目として引き継ぎました。
当店は8代目で200年あまりの伝統の味を守り続けております。との事。

今年(2019)で209年目となります。

 

さあ、その鴨南ばんの元祖の店に入ります。

店内も趣があります

入口そば右奥の隣と仕切りのある4人掛けの席に座りました。さあお薦めの日本酒を尋ね、そして鴨のつまみも聞きました。

店お薦めの京都の地酒『玉川』を先ずはぬる燗で

お通しは蕎麦みそです。 

先ずは鴨わさ(合鴨)を

軽く湯掻いた鴨肉(合鴨)を海苔、つま大根、大葉などの薬味と共にわさび醤油で頂きます

お酒が進みます

定番の玉子焼(出汁巻き)も

そして江戸東京野菜『江戸千住ねぎの天ぷら』(塩で)も。

千住ネギの甘さが際立ちます

さあ、メイン料理となる今回の目的である元祖鴨南蛮ばん(『初代治兵衛の鴨南ばん』)を注文、店のメニューにその『初代治兵衛の鴨南ばん』の説明がありました。※見えないところの文字は『~その起源~』です

真ん中に『鴨』と書かれた漆塗りの蓋付きで登場

そばの上には真鴨肉と骨や端肉を叩いたたたき骨に短冊に切った長ねぎが鎮座しています

鴨の出汁が出ている上品なつゆは柚子が効いてさらに美味しく感じます。

つゆにしっかりと馴染む麺、程よい腰も感じます。

体にしみいる味、元祖に関係なく美味しかった。

お酒そして酒肴も都度楽しめます。

小田急湘南台駅西口から徒歩4分、隣には駐車場(4台分、確認要)もあるようです。

 

元祖鴨南ばん本家

1人でもグループでも落ち着ける風情のある雰囲気のお店でした。江戸時代から続く伝統の味、製法は当時のままです。厳選された地酒、定番及び季節の酒肴も良いですね。既にまた訪れたくなりました。