「今」のもう1つ上へ。 ~ひとまず脱・無気力へ~ -3ページ目

「今」のもう1つ上へ。 ~ひとまず脱・無気力へ~

テーマは「今」の自分よりも1つ、そしてその自分よりまた1つ、と成長すること。そのための日々の記録、思ったこと、あとは普通に日記とかを書いていきます。

『ウォーク・イン・クローゼット』(講談社文庫)

 

著者:綿矢りさ

 

 

 

 

 

2つの話が収録されている。

表題作をA面とすると、

もう一つが抱き合わせ程度(と言っちゃ失礼だけど)のB面と思う。

 

しかし、そのB面のエグさは、

こちらがメインなのではないかと思ってしまうほど。

 

 

 

「人間」が書かれている、と解説されている。

 

ああ、そうか。

人目を気にしたり、あれこれ考えてるのって自分だけじゃないんだ。

他人が考えてるなんて知らなかった。

自分“だけ”ヤバいやつだと思ってた。

こういう本を読んで共感できるのは、

自分がヤバいからじゃなくて、自分も「人間」なのか。

特異でないのか。

 

 

 

嫌らしくも心地いいのはそのせいか。

 

 

 

 

 

 

 

『勝手にふるえてろ』(2017年)

 

 

 

 

 

特別に面白いということでも、
めちゃくちゃつまらないということでもないのに、
とても心地がいい映画だった。

でも、この作品に心地のよさを感じていることは
異常な気もする。



主人公は「イタい」と言えばいいのか、
社会との関りが上手でなくて、
コミュニケーションも上手くとれていない。

中学の頃からの片思いを大事に抱えていることはまぁあるにしても、
脳内で彼がいつも離れないわけで、
中学の頃からも脳内にいて。

(他人のふりして)自分で同窓会を開くところは
行動力に恐れ入るけれども、
目立たなかった自分がその中で目立てるかと言えば、
自分じゃ難しいなと思った。

その中で、目当ての彼に振り向いてもらいたくて、
それなのに周りに持っていかれそうになったりしたら、
これは苦しい。
自分で開催しといて、上手く立ち回れない自分が嫌になる。



それだけ自分と置き換えて観ているのに、
嫌な気持ちになりすぎないで、
心地いいのはなぜなのか分からない。



ひとつは、多分、振り向いてくれたこと、
そして、そのわりに自分から冷めたこと。
もうひとつは、そんな主人公でも好いてくれる人がいること。
だと思う。

彼の想いは本物。
だけども、好きの大きさが違うこと時には、
どう付き合ったらいいのだろう。

一番好きだからこそ、好いてる自分が辛くなるか、
好いてくれる二番目が重くて、辛くなるか。

後者の方が良いなと思いながらも、それが確かに苦痛だったこともある。
前者もなかなかつらいものはある。



日常の周りとのコミュニケーションを取らないでいながら、
脳内ではまくしたてるようにコミュニケーションをとり、
悦に入ってる姿。

好きでないものには不機嫌そうな顔でとことん冷たい態度をとる姿。

もしかすると、
石原さとみさんが演じても合っていたのではないかと思ってしまう。

まぁそれは松岡さんには失礼だけども。



日曜邦画劇場にて軽部さんと喋っていた内容では、
素の松岡茉優に似ている、という。



原作の綿矢さんが書くものを、
全て知っているわけではないけれども、
芥川賞系の人らしい、
内に考えていることのエグさを描きだしておきながら、
そこまで不快にならない所が
綿矢さん感なのではないかと思う。



本当に。
自分もイタいのに、
こんなのを見せつけられたら不快なはずなのに、
心地いいのはなぜだろう。

 

 

 

 

 

 

『名探偵コナン 紺青の拳』(2019年)

 

 

 

黒の組織関係なく、変なオールスター感もなく、
やはり人間技じゃないアクロバティックすぎる部分はあるけれども、
コナン映画の中で、映画としての作品として、面白い方だったと思う。

それにしても、シンガポールの港近辺とマリーナベイ・サンズ、
あんなにぶっ壊しちゃっていいの?っていう。
一応アニメだけど、そういうのって許可とか取ってるんでしょうね。

キッドが新一に紛争しているわけで、
新一の口から「月下の奇術師」とか「さすがの工藤新一」だったかな、
そういうことあまり言わなそうだから、
そこで蘭ちゃんが気付いた感じになるんだと思うんだけど、
そうでもないのかな。

一緒にいればもっと違う部分で分かるのかな。

タイトル的からもそうだけど、今回の目玉は京極さん。
あと園子、髪下ろすと意外と可愛いじゃないかっていう。