先頭が何度も変わり息の入らない消耗戦になった昨年とは一転して、縦長になりゆったり流れた今年の春の天皇賞。前哨戦の阪神大賞典で現役最強馬オルフェーヴルが思わぬ敗戦を喫したともあって昨年以上に注目度が高かった一戦だが、14番人気の馬が重賞初制覇を飾るという容易には想像できない結末が待っていた。
大方の予想通りゴールデンハインドが逃げる展開になり、人気のオルフェーヴルを始め有力馬はみな自分の競馬に徹した。そのゴールデンハインドが引っ張ったペースは平均ペースだったが、それを追いかけた勝ち馬ビートブラックとナムラクレセントを除けば、その後ろの集団は実質かなりのスローである。もちろんそういったペースに持ち込んだからこそ先行馬が粘るという考え方も可能ではあるのだが、今回は昨今よく見る前残り競馬とは一味違う。
というのも、勝ったビートブラックがまったくバテていないからだ。逃げたゴールデンハインドを3角で交わして自ら主導権を奪うと、そのままペースを緩めることなく、力で押し切ったのだから称賛されるべき内容である。ビッグウィークもクィーンスプマンテもメジロパーマーも、展開の恩恵を受けても最後は後続の追い上げをなんとかしのぎ切るような決して安心できたとは言えない粘りだった。しかしビートブラックに関しては直線半ばでほぼ勝ちが決まったのが見て取れた。なぜならあまりに完璧すぎる競馬だったからだ。
ビートブラックは3歳で挑んだ菊花賞で3着に入るなど素質の片鱗は見せていた。昨年ダイヤモンドステークスで手綱をとったデムーロ騎手も、「スタミナの塊。距離が長くなればなるほどいい」と話すなど、長距離線は得意としていた。昨秋の京都大賞典で2着に入りいよいよ本格化かと思われたが、その後はなかなか結果が出ていなかった。しかし今年のダイヤモンドステークスを見て初めてわかったのだが、このレースでビートブラックは舌を出していた。本来の力を考えれば長丁場の重賞は勝ち負けになるだけの馬だったはずだし、次走の阪神大賞典でも同様に舌を出していたのを見ると、気持ちがレースに向いておらず、本気で走っていなかったということだろう。
つい先日の皐月賞で、ゴールドシップの内田騎手の騎乗を近年まれにみる好騎乗と評したが、今回の石橋騎手の騎乗は「歴史に残る」といって過言でない。それくらい完璧なレースだった。これが、それこそオルフェーヴルのように何戦も手綱をとり手の内に入れているならともかく、GⅠの大舞台でテン乗り、しかも長丁場とどう考えてもプラスにならない状況だったというのは明らかに不利である。その状況下で石橋騎手がこれだけの競馬をしたのが今でも信じがたいくらいだ。
ビートブラックには前述のように気を抜く癖がある上に、切れる脚がない。かわりに、真面目に走れば簡単にはバテないし、スタミナも豊富という特徴があった。石橋騎手がこの関西のテン乗りの馬を好勝負させるには、よほど綿密に作戦を立てないとできない。しかも、その考えた通りの競馬を、何一つ間違いを犯さずにGⅠの実戦で実行できたのだから完璧以外の何物でもない。ちなみに私はビートブラックがスタート後2番手につけたとき、勝たれたな。という言葉が自然と口から出た。本当はケイアイドウソジンがこの競馬をすると思っていたし、それだけ石橋騎手の騎乗は想像を超えていたのだ。
メンバー的に縦長の展開になることはある程度想像できても、位置取りからペース、仕掛けのタイミングやコース取りなど、何一つとして無駄がなかった上に、ビートブラックの長所を完璧に引き出し、かつ集中力を切らせることもなかった。しつこいようだが、完璧すぎるレースぶりだった。また、それに応えて見せたビートブラックも見事だった。
レース後には凱旋門賞に登録したとも発表された。おそらく競馬ファンは、このような勝ち方はフロックであり、世界の舞台で戦うことなど不可能だと考えるのが普通だろう。しかし、この春の天皇賞に限って言えば、フロックなどという言葉を使うのが失礼にあたるのではないかというくらい、強すぎる競馬だった。この競馬ができれば、少なくとも日本の長距離界に敵はいない。ただ重要なのは「この競馬ができるか」であって、いつもいつも石橋騎手のようなパーフェクトなレースができるとは必ずしも言えないところがカギである。
2着のトーセンジョーダンは地力の高さを証明した。大跳びなフォームで長く脚が使える馬だが、距離延長に関してはプラスではないと感じていたのだが、そんな不安を一掃してくれた。勝ち馬には離されたが、さすがは天皇賞馬と言える内容だったし、今後も堅実に走ってくれるだろう。
ウインバリアシオンとジャガーメイルはどちらも末脚勝負に徹しての3、4着。特にウインバリアシオンは明らかに同世代の宿敵オルフェーヴルを意識した競馬だったので仕方ない面はある。ダービー、神戸新聞杯は先にトップスピードに乗る形で敗れ、菊花賞では切れ味勝負でも先着できなかっただけに、もう策が尽きた感はあったのだが、今回のレースを見る限り、脚をためる競馬で良さが出るのは明らかになった。一度オルフェーヴルの名前がないGⅠで走ってどれだけやれるのかを見てみたい。
本来なら今回のように強気に動く展開は大歓迎のはずだったギュスターヴクライはいつもの切れ味が見られなかった。やはりいくらか疲れがあるのかもしれない。それでも完全に本格化したと言えるだけの走りだったし、無事にいけばジャパンカップはこの馬では。
逃げたゴールデンハインドは結果的に勝ち馬にプレッシャーをかけられ続けたのは厳しかった。それでもパッタリ止まったわけではないし、坂上から押して押しての競馬でこの馬らしさは見られた。今後も長距離なら楽しめるだろう。
展開のカギを握ると見られたナムラクレセントは、離れた3番手を単騎で追走したが、その割に昨年ほどの粘りが見られなかったのが少々残念。もっと自分で動いてつぶしに来れると思っていたのだが、いくらかピークを越えてしまったのかもしれない。この展開なら来なくてはならない馬のはず。
11着に敗れたヒルノダムールもまったくらしさが見られなかった。これといって敗因が見当たらないのだが、昨秋の海外遠征の目に見えない疲れが残っているということなのだろうか。有馬記念の調教ではそれは感じなかったので、仮にそうなのであればここ2戦が余計だったことになるが、確実な理由ではない。不可解な敗戦。
さて、オルフェーヴルである。阪神大賞典でのまさかの暴走もあって、中間は調教再審査を受けたり、メンコをつけるなど落ち着くように落ち着くように手が打たれてきたわけだが、今回はパドックからあまりに落ち着いていて、レースでもぱっと見た感じ折り合いが付いているような雰囲気だった。しかし、いざ勝負どころになると全く動こうとせず、本来の末脚もまったく見られなかった。おとなしかったというよりやる気が感じられなかった。
故障の可能性も否定はできないだけに、レース後はいつも以上に入念にチェックを行っているようだが、私ははっきりと断言しておきたい。今回のオルフェーヴルは故障でも何でもなく、ただただやる気がなかった。それは4コーナーの走りを見れば明らかなはずだ。
人間に置き換えるとわかりやすい。マラソンなどで下り坂を走るとき、バランスを崩さずスピードを維持するために、足にいくらか力を入れて地面の衝撃をキャッチするはずだ。しかし体から完全に力を抜いて走ると、走りのバランスは崩れるし、勢いづいた体に足の回転が付いていかなくなり制御できなくなるだろう。馬も同じである。
オルフェーヴルは4コーナーを回るとき、まるで新馬なのかと思わせるほど大きく外に膨れた。池添騎手が加速するよう促したのが坂上だったが、その時点でまったく進んでいかなかった。つまり坂の下りの時点でオルフェーヴルははもう諦めてしまった。そして、体から無駄な力を抜いた。するとどうだろう、たちまち淀の坂で勢いを増した体は制御できなくなり、脚をとられて躓いてしまったではないか。加えて耳まで立ててしまっている。完全にレースを投げている。
本来ならかかるくらいに闘志を見せる馬が、まるで別馬のように黙り込んでしまったレースというと浮かぶのが、コスモバルクが3歳時に出走した有馬記念である。いつも抑えきれないほどにかかっていた同馬が、大変身を遂げたといえるほどに折り合いがついていた。しかし、いざ勝負どころになっても全く動くことなく、そのまま馬群に飲み込まれてしまった。今回のオルフェーヴルもこれにそっくり(というか同じ)である。
当時のコスモバルクはセントライト記念をレコードタイムで勝ち、菊花賞でデルタブルースと馬体をぶつけ合う激しい競馬をし、さらにジャパンカップで初めて古馬と対戦し、一度は前に出たポリシーメイカーを差し返す根性を見せていた。それだけにこの有馬記念は完全に燃え尽きていたのだが、オルフェーヴルはどうだろう。今シーズンはまだ阪神大賞典1戦しかしていない。
しかしもし、その阪神大賞典が見た目以上に消耗の激しい競馬だったとしたらどうだろう。私はこの阪神大賞典で一つだけ気になることがあったのだが、大したことではないかと考えスルーしてしまっていた。それは、ゴール前の走りである。
周知の通りオルフェーヴルは父ステイゴールドから激しすぎる気性と燃えるような闘争心、並ばれても差し返す勝負根性を受け継いでいる。オルフェーヴルは3角で逸走してしまったわけだが、一度減速してから再加速して2着に入ったレースは確かに驚くべき内容だった。しかし、そちらのほうにばかり気をとられてしまって、ギュスターヴクライに並んでから「交わしてやるぞ」という気迫が感じられなかったということを頭から消していた。
一度逸走した馬にそれを求めるのは無茶があるだろうと感じる人も多いだろうし、私自身もそう思ったからこそ深くは考えないようにした。しかし、もしステイゴールドから受けた常識破りの闘争心があれば、後先考えずにギュスターヴクライを交わしていたのではないか。ダービーで馬体をぶつけられて蓋をされながらもこじ開けて伸びるような馬である。根性勝負で負けることは到底考えられない。ゆえに、最後の最後でギュスターヴクライを交わせなかったあの瞬間、実はオルフェーヴルは力を出し切ってしまっていたのではないか?もうお釣りのない状態まで走ってしまっていたのではないか?と。
オルフェーヴル自身が阪神大賞典で苦しい競馬をした上に、勝つことができなかった。おまけにそのあとは周りの人たちがなにかと走らないように言ってくる。私がオルフェーヴルだったら絶対に「走らなくていいの?じゃあ走らんわ、凱旋門とか知らん」などと言い出すに決まっている。実はオルフェーヴルは、レース前から走る気など到底なかったのかもしれないのだ。もちろん本当の敗因は馬に聞いてみないとわからないが、少なくとも私の目にはそのように映った。
オルフェーヴルが凱旋門賞でも好勝負できるだけの力を持っているのは誰の目にも明らかだ。しかし、もし競馬を走ることに嫌気がさしているようなら、それは先のことなど考えずに全力でケアするべきである。ステイゴールドの仔なので、どちらかといえば「嫌気がさした」より「面倒くさくなった」といかにも気難しそうな解釈をしたくなるものだが、いっそのことそういった先入観をすべて忘れて、デビュー前の2歳馬に触れるような感覚で接した方がいいのかもしれない。非常に難しい問題である。