とてもお世話になっている方のご主人様が他界されたと訃報を受けた。

 

長いことガンと共生しながらすごされていたご主人様の様子を聞いていたから、ご家族との温かい時間が一日でも長く続きますようにとお祈りしていたのだが、今年に入ってから、ものが食べられなくなったと聞き、胸を痛めていた。

父の看取りの過程で、人が物を食べずに点滴だけになってから、どんな感じに身体が変化し、衰えていくのか毎日観ていた時間は、想像を超えてきついことでもあったし、それを見守り看ていくことでずーんと自分の身体に溜まっていく澱のようなものが自分自身の中に未だに残っているその感覚がふと思い出されたから。。

 

人生の伴侶として一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、その存在が居なくなることへの恐れや不安ははかりしれないほど大きい中での看病だったろうし、魂が肉体を離れていく時のどうしようもない寂しさや哀しみは、それはそれは深いだろうと容易に想像できるので、胸が痛くなる。

 

みんなでお花は手配したけれど、直感で「お通夜に行けたら」という想いが強まり、車で5時間の道のりを往復することにした。

どうしてもその方のお顔を見て、弔意を伝えたかったから。

 

ご主人様とは面識もなかったので、この立場で行くのもどうなのかな・・と思ったけど、ハートが「Go」と言っているから従おうと、お通夜の会場に無事到着した。

会場のガラスの扉の向こうにお世話になっているSさんの姿がえーん

 

Sさん・・・とお声がけしながら近寄ると「えーーっなんでこんなところに!!こんなところまで来なくていいのに」と言われ、「どうしてもお顔みて、お悔みをお伝えしたかったから」と話し、お互いに泣いてしまって言葉にならなかった。

 

お通夜が終わった後、Sさんとハグし、「休めるときには身体休めてくださいね。みんな心配してました。Sさんは繊細で優しい人だからって」と話して、またひと泣きして会場を後にした。

 

お通夜の場所は参拝したい大きな神社のすぐ近くだけど、夜だし当然お参りはできないから「こんなに近くまで来ているのに、お参りできなくて残念。せめて遠隔でお参りしよう」と往路主人と話していたのに、お通夜でいっぱいいっぱいで帰路PAで休んだときに「あ、遠隔でお参りするの忘れちゃった、またお参りに来なさいってことだね。でも、今日お通夜に来てよかった」としんみりしながら主人と話した。

 

こういう会話を共有でき、片道5時間の道のりでも「そうだね、行ったほうがいいね」と一緒に来てくれる伴侶であることにもありがたいなぁと思いつつ、愛猫の待つ我が家への帰路を急ぎのでした。

 

普段渋滞も多い高速の経路がその日は往復とても空いていて、スムースに帰れた。

 

帰宅したら、Sさんからとても心のこもったメッセージをいただいていて、ちょっと無理したけどお通夜に参列できてよかったと心から思った夜中でした。

緊張していたせいか、往復10時間の運転は、あまり苦になりませんでした照れ