最近は晴天続きで、空がきれいです。

夕焼けの山際の色が本当に美しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜は夜で、月が本当に明るくて、月の光を浴びながら寝るのもまたよいものです。

田舎に暮らしていると、太陽と月が東から昇って西に沈むという当たり前のことを身近に感じられて、それだけで満足というかシンプルになれてよいです。

(いろんな気配と刺激がある都会の雑踏が恋しくなる時もありますが…)

 

 

 

 

さて、前回の記事で、不登校ひきこり長男が元夫からの体罰が心に大ダメージになっているという話を書きまして…

 

 

 

 
ASDの大人しい気質の子には、体罰は百害あっても一利なしですね。(ADHDの衝動性強すぎる子には利点もありそうですが)
私の兄(50代)は父から一番体罰を受けてまして、兄は中学に上がる頃まで同級生に暴力を振るう問題児でした。

当時は不登校って選択肢は皆無だったので、嫌でも学校に行って、上手く適応できなくて、問題解決能力がないASD兄が、父の暴力しか問題解決方法を学べなかったから、さもありなんなのですが(;^_^A

うちの家系は攻撃性高いから、元からそうなりやすい気質な気がしますが、その点、長男君は根っこから平和主義で、不登校は静かなる抵抗なのかもしれませんね・・・。

ASDの子は擬態して集団に溶け込もうとしますが、親から体罰とか厳しい躾をされた子は特に、自分らしさを出してはいけないって、常に気を張ると思うんです。だから脳疲労も半端ないですし学校や職場に行くのがしんどいと思います。
 
 
と、ぬこさんにもコメントいただいて、あれっ?どうして私は、元夫の長男への体罰が止めれなかったのか…
長男が小さい頃はASDとははっきり認識していなかったけれど、明らかに体罰が功を奏しているようには見えなかったし…
 
なぜ、私は元夫の暴力性を黙認したのか…について考えてみたいと思います。
 
 
まず、ぬこさんの長兄さんは、勝手にうちの元夫と似ているだろうなとイメージしているのだけれど、
日本の80年代は校内暴力が吹き荒れた時代で、戦後生まれの鬱屈した若者(全共闘団塊世代)が親になってその暴力性を子育てに発揮してしまい、ぬこさんの長兄さんや元夫みたいな中学生男子が出来上がり、大暴れの時代だったのだと思う。
 
元夫はわりと線が細くてナイーブな感じの子どもだったと思うけれど、信頼関係のない父親からの叱責と時代の影響で、中学生になって尖ったナイフみたいな感じ(笑)になってしまったのだろう。
 
元夫の中学生の時のとんでもエピソードで、勘違いして(←ADHDあるある)友達を殴り、その友達は頭を打ってしまい、しばらく目覚めず入院していたというものがある。目覚めたからよかったものの(少し性格変わってしまったらしいけど)、勘違いで殺人を犯しそうになったやばいヤツである。それくらい、すぐ切れて手が出るタイプだった。
なんでそんなヤツと結婚しちゃったんだというのはここでは置いといて…でも一見優しくて女性的だったんだよ~泣。そんなエピソード先に知ってたら結婚しないわ…
 
元夫は長男が幼児の頃から、怒ると手や足が出ていた。
私がいない時はもっと出されたということである。瞬間的に手で頭をはたいたり、足で蹴る感じである。
子どもの不適切な行為に対して、痛みで教えるという考えは、10年くらい前まではまだ根強くあったと思う。
 
私自身も幼児の時、母親から布団叩きで叩かれたことがあるし、父にもいうこときかない長男はお尻を叩いて躾けろと言われていたし、暴力について敏感になれなかった。
 
そもそも、自分が小学校の時も高学年時の担任は暴力に訴える人だったし、大人になって勤務した東京の小学校でも、相変わらず、暴力というか大声で脅したり力ずくで威圧する教師はそこそこいた。
 
 
 
力に訴える教育が一切だめになり、パワハラモラハラ行為が犯罪であると認識されるようになったのは、この5,6年だろうと思う。
 
 
元夫は、私の方が稼いでいたこともあり(離婚されると困るので)、私にあからさまに暴力はふるわなかったけれど、よく物に当たったり大声を出したりはしていた。が、私に力を行使できない分、長男に当たりやすくなったのかもしれない。
 
躾けという名の暴力は、一見、子どものためをと思って初め行使されることが多いけれど、元から弱い人間は、暴力によって子ども(弱者)をコントロールできることに快楽を感じてしまい中毒になるものなのだろう(脳内麻薬が出る)。
 
長男が不登校になり、長男に学校に行けー!とヤクザのように迫る夫の鬼気迫る顔は、確かに依存症の人の顔みたいだった。
 
元夫は何を思って、ヤクザのように長男に迫ったのか。
自分の弱さを長男に投影して、自分の弱さに打ち勝とうとして躍起になっていたのか…
長男のために本気で怒っている自分の姿に陶酔していたのか…
 
まあ、そういうコミュニケーション方法しか知らなかったというのが実際のところだろうけど…
そして、一回刷り込まれたコミュニケーションパターンをなかなか修正できなかったのは発達特性ゆえか。
 
そして、怒った分、10倍くらいのフォローが相手に必要なのに、全くフォローできないし…
私もフォロー上手なタイプでないし、長男は怒られっぱなしで本当にかわいそうだった。
 
元夫が、長男を小突く姿を見てられなくて「やめなよ~」と声をかけたが、元夫は「うるさい!」と鬼気迫る声で叫ぶ。
そこで、私も死闘を覚悟で、「何がうるさいだとー!コノヤロー!」と挑めばよかったのか…
 
私は元夫の暴力性と切れやすさに恐れをなして、逃げていたのだ。
 
私は、暴力という教育法もあると、自分を納得させて、ずっと傍観者を決め込んでいた。
 
怒られる長男が悪いのだからと、そんな長男を見たくなくて忌避したのだ。
そのツケはこれからずっと払い続けなければいけないだろう。
 
 
そして、私が暴力性にNoと言えず、
自分のかわいい子どもを守れなかったのは、
 
私自身が暴力性のある社会に適応して、
素の自分なぞ認められない、
社会や世間や他人に合わせて生きなくてはいけない
と思っていた愛着障害気味の子どもであっただろうから。
 
そういう生き方を長男に伝授してしまったのだと思う。