前回の自分の日記を読み返してみて、
あれ、また自分がよくない親で、コミュ障の世代間連鎖であるという感傷にひたっているな
読んでくれた方にマイナスオーラが伝わってしまったら嫌だな〜と思って、
それについて書いてみます。
私は時々、自分の存在に劣等感と自己憐憫を感じてメンタル落ちる時もありますが、
基本的に負の感情も長続きしないというか、鳥頭なのですぐ忘れてしまいます
ADHD特性で脳のメモリが足りないのか、一回に、感じたり考えたりする容量が少ないため、
負の感情も別のことに取り組んでいるとすぐ忘れます。
人間、不安を感じ過ぎたり嫌なことをずっと考えていると心身おかしくなるので、
人に対する嫌な感情も一晩寝るとたいてい忘れてしまうという私の特性は、ある意味ラッキーなのかもしれません。
と同時に、人に対する良い感情もすぐ忘れてしまったりするので、相手にとっては、この人いつになっても距離が縮まらないな〜と思われているタイプですが…(笑)
その時の感情をすぐ忘れてしまうので、こうやって文字に書き留めるのは私にとって意味があるのだなあ〜と思います。
あらためて、最近の日記を読み返してみると、やっぱり自分がよくない親であることの自己憐憫が多いですね
自己憐憫って、太宰治の『人間失格』みたいに、毒薬だけど甘美に酔えるというか、
自分はかわいそうな憐れな特別な存在ということでカタルシスを得ている面もあります。
感情をすぐ忘れてしまったり、わからなかったりする私なので、
この自己憐憫は、劇薬だけど、分かりやすくて刺激的で文字にアウトプットしたくなっちゃうのですよね…
でも、文字にすることで、読んでくれた方にマイナスな影響もたらした嫌だな…と思いました。
マイナスな感情は、劇薬だけれど刺激的なので、それを好む人も多数いますが、不安を煽ったりするのは本意ではないので…
「不安」って、人間の原初的な感情で、分かりやすくて刺激的なかわりに、扱いかなり難しいものですよね
私は、正規職もやめて、離婚して、長男ひきこもり不登校で、生活安定していない一般的には負け組(←古いw)ですけど、おおよその時間はあまり不安を感じていない呑気な幸せ者です。
さんざん、長男不登校を生み出した現代社会に対する泣き言も書いていますが、
自分にとって悲観的な事実をよく直視して分析したいという欲求で自分のエゴです。
今の社会が昔と比べて人間的な繋がりが薄くなっているのは自明の理ですけれど、
それが悪いことだとは限らないし、そもそも旧世代が新世代について善悪のジャッジをするのもおかしいし、
人間はその時の社会構造に合わせて変化するものだし、
リアルなコミュニケーションや感情を捨てて人間は進化していくのかもしれないし、
不登校ひきこもりが進化の先駆けで悪いとは限らない…
必要以上に不安を感じたり、表現したりするのはよくないですね…
さんざん長男に対する不安を書いておいてどの口が言うですがw
不安をアウトプットすること自体は、不安に対して客観的になれて観察できてよいことだと思います。
ただ、負の感情にのまれてしまっては本末転倒なので、
不安に潰されることなく不安に身を委ね、そこから生きるヒントを得られればと思います。
ここで最近読んだ本をご紹介
今注目の社会学者ユヴァル・ノア・ハラリによると、
人間は、不安という負の感情をどう扱うかで様々な発明をし、進化してきた存在らしいです。
子ども用に書かれた↓が分かりやすくてめっちゃ面白かったです。
小学校高学年〜おすすめ
ユヴァルノアハラリによると、生きることへの不安から人類は農耕を始め、農耕を始めたことによって、
さらなる困難苦労不安が生まれることに…
その不安を乗り越えるために、人類は神話や国などの虚構を作り出し、
集団でまとまる力を得て、より生きやすい社会システムを作り出したが、
またさらに貧富の差や社会不安を増幅させたということらしい…
人類の文化がいくら発展しても、人間の幸福は自分の不安との付き合い方によると、仏教の教えに似た人類社会史学となっています。
この説明が分かりやすかったです↓