冬休みは横浜の実家に1週間程、滞在していました。

 

長野はめっちゃ寒いので関東の暖かさには驚きました。

 

次男はすっかり寒さに強くなっているので、暖かい横浜では外でも半袖で過ごしていて、

道行く人に振り返られちょっと恥ずかしかったです。

 

年末年始は熱海旅行に行きました。

その時の写真を少し↓

 

箱根周りで行ったので、途中の十国峠にて↓

十国峠の由来は、十国を見渡せることからというように、360°見渡せる景色は素晴らしかったです。

富士山見ると神々しく感じてしまうので、私にも日本人の富士山信仰が根付いているのですねー

 

 

 

熱海の初日の出↓

 

初島と後ろにうっすら大島が見えます↓

 

↓MOA美術館にて俵屋宗達の脱力系・寅と龍
かわよい龍

 

熱海は、一時期さびれた感じだったのですけど、現在はまた繁盛していて、

若者も多かったのでよかったです。

都会から近い観光地は交通面でやっぱりメリットがあるのですね。

 

 

熱海から帰ってきた後、

久しぶりに渋谷に行ったら、一大観光都市になっていて驚きました。

年始年末の渋谷は、半分以上は外国人観光客。

東京はもう国際都市なのですね〜

 

↓渋谷の交差点は外国の人に有名?らしく、たくさんの観光客が楽しそうに行き来していました。

 

 

度肝をぬかれたのは、渋谷の街をコスプレしてゴーカートでめぐるツアーがあるみたいで、多くの外国人観光客が爆走していました。年始年末は交通量が少ないからできるツアーオプションですね…

と思ったら常時やっているみたい…

一人12000円くらいでできるようです↓

 

https://www.klook.com/ja/activity/92804-street-go-kart-experience-shibuya/

 

https://kart.st/jp/shibuya.html

 

 

↑著作権上マリオカートとは関係ありませんと初めに言及しているように、マリオカートを連想するイベントなのでしょう。

 

その他にも竹下通りに日本のアニメ文化のアトラクションがあったり、

 

渋谷の『まんだらけ』に行ったら外国人観光客だらけだったり、

 

漫画アニメ文化は日本観光に一役かってるな〜と感心しました。

 

 

日本は文化的なコンテンツも豊富だし、食べ物も美味しいし、治安もよいし、トイレもきれいだし、地方の自然も美しいし…何より円安で物価が安い!

 

もう、イタリアみたいな観光国として頑張るしかないのかなと思います。

 

 

 

 

前振りが長くなりましたが、実家に2、3日いるだけで、両親のアクの強さにやられます…

 

歳をとって父親はさらに積極奇異型ASD全開でした。特に、家族に対しては特性そのままなので毒気にやられました。

 

父は、昔から一方的にしか話せないので、私に口を挟まぜず、ずっと一人で話しているのに付き合わなければなりません。

 

私の考えを話しても、すぐに反応できずスルー。

後で、あの考えにはこう思うと、マウントせずにはいられない習性なので10倍ぐらいにして返してきて鬱陶しいです。

せめて、文章で文字打ちしてくれれば楽なのに、ラインとかできないので、留守電に長々と入っているという…ネガティブ

 

そんなメンドクサイ父親ですが、喜怒哀楽の感情表現(一方的にしかできないのだけど)ができて、機嫌が良く笑っている時間のが多いので、まだましです。

 

母の方は、ASD受動型と思われ、自分から感情や考えを発しません。

一人娘の私ともコミュニケーションが取れず、父がいなくて私と二人きりなると、話すことがなくてシーンとなるという…

 

喜怒哀楽が激しい父の側にいて、母は感情的寄生をしている感じです。

母は、父が怒ったり笑ったりしているのを見て、感情的カタルシスを得ているのでしょう。

おたがいASD特性があって変わり者の父と母は、ちょうど凸凹が合って相性がよかったのは幸運でした。

 

ただ、子育てとなると、このような夫婦がまともに子どもを育てるのは難易度高いです。

 

発達特性あるあるで、基本、三人以上の会話が苦手なので、父と母は二人で話をしている時、私はずっと蚊帳の外でした。

父が一方的に私に対して話しをするくらいしか、家の中での私の会話はなかったように思います。

 

母が私に話かけたり、笑いかけたりすることは、そう言えばなかったということに気が付いてしまいました。

母は家では、ずっと寝転がってテレビを見て過ごしていました(ASD受動型あるある)

 

母と一緒に笑い合うことは、子どもの時からなかったのです。

 

さらっと書いてしまいましたが、これは由々しきことですね。

 

母には、怒られたり何かを要求されたるすることもなかったかわりに、一緒に何かをして共有したり、笑いあったこともありませんでした。

教育費は他の家庭よりも多く出してはもらいましたが、それは母が自分の親にそうされたからそうしているだけで、

母が私に対して特別に何かをしてくれるとか、言葉をくれるということはありませんでした。

 

 

まあ、そんな親は五万といるし、別に母を責めるつもりはないのですが、

親からの関心(愛情)を受けられなかった子どもは、どこかしら歪むものです。

 

なので、せめて私は母は別に私に愛情がなかったわけでなく、愛情表現の仕方がわからない、他人に興味関心が薄いASD受動型だからしょうがない。母は元からそういう気質なのだと思った方が、精神衛生上よいわけです。

 

発達障害というラベリングはよくないという言説もありますが、このように過去の人間関係を整理する時に、自他を必要以上に責めないために、発達特性(脳の機能障害)という視点から考えるのは有効だと思います。

 

 

そして、家庭でのコミュニケーションに恵まれなかった私ですが、私の時代はまだ親戚や地縁や友達などの人間関係に恵まれている時代だったので、親とコミュニケーションとれなかった分、いとこや友達同士でのコミュニケーションはよくできました。

 

一昔前の日本は、子どもと密にコミュニケーションする親の方が珍しかったと思います。

その分、子どもは、兄弟や友達や外の世界でコミュニケーションを学ぶ機会が多かったのです。

 

 

今の日本は、さらに進む少子化で、親戚や地縁、友達などの人間関係が薄くなり、子どもがコミュニケーションを学べる機会が少なくなってきています。

 

親の子育てに対する比重が大きくなってしまい、親が人間関係的に残念だと、子どもはコミュニケーションを学ぶ機会がなくなってしまうというのが現状ではないでしょうか。

 

実際、うちのひきこもり長男は、今も家庭以外の居場所はなくて、

私と次男としか話し相手がいないので、家族相手に自己中心的な幼いコミュニケーションしかする機会がありません汗

 

可愛い子は旅に出したいのですけど、旅に出せるような場所も手段もありません…

 

一人親である私が動いてそのような場所や人脈をつくるべきなのでしょうけど、

私も親族とでさえまともなコミュニケーションを避ける母親で、自分でもひきこもり願望が時々あるのほどなので、

ひきこもり長男の居場所はまだ見つかっていません…

 

そして、実母のように無関心な態度を長男に対して取ってしまうのを改善できない残念な親です。