でっかいおっさん様

こんにちは。
先日、70歳の母が亡くなりました。

 

心不全がきっかけでお風呂場での溺死です。

一人暮らしのため、

毎日LINEでスタンプだけ送る

という連絡方法で生存確認してましたが、

たまに空いてしまうこともありました。

 


4日連絡がなく流石におかしいとなり、

 

小さい子供達がいるため私は残り、

旦那に見に行ってもらったら

そのようなことになっていました。


母は十数年前に亡くなった

父の月命日にはお墓参りを欠さず、

お盆や法事もきちんと対応してました。

 


自炊や片付けはかなり苦手ですが、

それでも私たちや障害のある孫のために、

たくさんの愛情をくれました。


喧嘩もたくさんしましたが、

それでも大切な母でした。

それなのに、

そのような最期を

迎えさせてしまった後悔と、

きちんと法要をしていても

そのような最期を用意した神様?仏様?と、

どのように

折り合いをつけたら良いかわかりません。

先に火葬を済ませており、

本葬は2週間後です。


喪主としてしっかり送り出せるように、

アドバイス頂けるとありがたいです。
年の瀬のお忙しい時にすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ど~も~

でっかいおっさんです。



お母さまが亡くなられたということで

お悔やみを申し上げます。

 

 

さて

しっかりと手を合わせていた

お母さんなのに

 

亡くなり方が

あんまりではないか

 

 

ということですが

 

 

仏教では

 

 

亡くなり方は

あまり重要ではなく

 

 

 

亡くなった後

極楽浄土に行くことが大切で

 

 

仏教でよく使う

 

 

極楽往生とは

 

 

極楽浄土へ往って(いって)

生まれることを指します。

 

 

 

つまりは

 

 

亡くなり方がどうであれ

 

手を合わせ

しっかりと仏事を行っていた

 

お母さんは

 

極楽へ生まれ

かわっている

 

と考えるのです。

 

 

 

 

愛している人が

亡くなると

 

 

喪失感や後悔が

 

 

残された家族に

襲ってきます。

 

 

大切な人が

病院で亡くなれば

最後は大好きだった家で

 

と思いますし

 

 

最期に立ち会えなかければ

立ち会うべきだったと後悔します

 

 

最後に見た姿が

悲しそうだったら

その事を後悔しますし

 

もっと

抱きしめていたら

 

もっと

好きだと言っていたら

 

 

もっと

ありがとう と言いたかった

 

 

 

後悔が押し寄せてくるのは

仕方のないことですが

 

 

 

 

 

お母さんは

あなた達を愛し

 

あなた達は

お母さんを愛していた

 

 

その気持ちこそが

 

残すべき事実であり

 

亡くなり方も含め

 

 

それ以外は

些細な事だと

 

おっさんは思います。

 

 

お母さんは今頃

 

極楽浄土で

のんびり暮らしていることでしょう。

 

 

本葬までの間

 

 

 

あなたは

 

 

お母さんに

 

育ててもらった恩

 

かけてもらった言葉

 

うれしかった事

 

悲しかった事

 

ぶつかった事

 

苦労をかけた事

 

これらを含め

 

沢山の愛情を受けたことを

 

 

 

分かち合える人々と

分かち合い

 

思い出し

時に泣き

時に笑いながら

 

 

再確認して貰いたいと

思います。