武将の理想像としての地位を不動のものとした毘沙門天像(鎌倉時代初期の彫刻家である運慶が製作したもの)。その風貌、雄々しさは際立っており、身の丈やビジュアルから伝搬してくるものは凄まじいものがある。
因みに、身の丈としては源義経が身長140cm台半ば、鎌倉時代末期の楠木正成180cm、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が160cm前後とか、徳川綱吉が130cm云々、徳川吉宗六尺以上とか、歴史的人物と身長のバランスというあたりは、じっくり調べてみると面白いかも知れない。
身体が大きくすらっとしていて、凄い威圧感を備えていたら戦国時代の武将って感じがする。逆に小太りで小柄という場合やどことなくしまりのない風貌であれば、その時代には損をしていたかも知れない。時代が戦国時代だから致し方ないのだが、その時代に求められる人物像というものは、その時代人の精神の凝集の結果生じたものなのだろうから、時代に逆行することはできない。とは言え、そんな時代の片隅に、反論が許される風土が醸成されていたりしたら、ほっとするところでもある。
歴史を傍観する者がとやかく言えない部分もあるが、この人物観みたいなものが遠い過去から今日的なファッションを形作ったプロセスの源流を構成した要素であったと考えられまいか。となれば、ファッション性の中に、人間の精神文化や個体としての人間の存在のあるべき姿としての理想像が内包されていると考えられる。したがって、今生きている時代のファッション性を捉えるための手懸かりの一つは、その時代が求めている精神文化が強く集積している部分であり、民族・国家的な理想像の体現された部分や個体としての自由意思が保たれた部分などである。
もともと日本人の精神文化の中に安定的に存在したであろう「大和なでしこ」といった理想像から欧米人の風貌や見目形を理想とする方向へと変質していったプロセスに何が起こっていたのか。八頭身といった体形や彫りの深い顔立ちと唇や耳の形に至るまで、日本人の理想とするところは、明治維新以降、大正デモクラシー、第二次世界大戦を経て大きく変貌を遂げる。
〇日本の着物文化が、丁髷(ちょんまげ)文化や帯刀の文化、および日本髪文化などと密接な関連をもっていたのではないか、或いは、日本人の体形的な特徴として、特に、足の長さや手の長さ、胴の長さ、座高などとも機能的な繋がりを持っていたのではないか、など検証してみる必要がありそうだ。
〇日本人のファッション(性)やファッションに対する感度などが、欧米の服飾文化や生活様式に大きく影響され、日本がこれまでの創り上げてきた文化を否定するほどに多大な影響を受けてしまったのは何故か。
〇内外のさまざまな影響を受けながら理想(像)の尺度や測度が変化するとともに現代ファッションは形作られてきた。しかしながら、このファッションに係る個的人間の風貌や人格を象徴するところのセンスというものが、むしろ屈折したまま放置されていたとしたら、それが何に因るのかを検証してみる必要があるのではないか。
(付記)
セクシーなオシャレという理想像がある。それは、日本独自のものなのか、日本古来の伝統なのか、日本人が最も日本人らしくなれるための装いなのか、誰も疑問を持っていないかに見える。ファッションとは精神文化の発露ではないのだろうか、日本文化の独自性に問題は無いのだろうか。
セクシーな洋服、セクシーなインナーを身につけることで、その人のセクシー度が増加するようなファッションというものを考えたとき、日本人としての理想的な在り様というものが果たして、その線上にあるのかどうかを今一度考えなおしてみる必要がある。