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OSYARE・X

(オシャレックス) おしゃれな日常・あこがれから創生へ変化する時代の形。日々求められ供給される新しいファッション(謂わば人々の心を写す鏡)。人間の心と体の要求に応えられないと流行らない。

  現代社会におけるサラリーマンが身につけているものと言えば、スーツ(背広とズボン)。まさに日本のサラリーマンは、全国的にワンパターンの背広とネクタイでの集団行動を毎日行っている。(集団行動自体が最近話題にもなったが、ファッション性での集団行動は女子高生が牽引している部分もある)

この背広とネクタイを長期的なマンネリファッションと呼んでは失礼かと思うが、そのファッション性は今となってはむしろ普遍性を帯びているし、地球上でこの背広とネクタイを使用して仕事をしている人口がどのくらいいるのかと想像してみるだけでもファッション性の観点からするとゾッとする。

生業としての会社に勤め、給与を頂いていることから従順な対応を余儀なくされることは有るだろうし、企業への忠誠心、或いは公序良俗や信義則といった道徳由来の精神などから「背広とネクタイのスタイル」は否定できない部分もあるだろうが、この制服としての背広やネクタイを全国的なところで自由化する試みがあってもいいのではないか、と考える。当然に全国的な波動が生まれないと失敗する。

既に定着しているクールビズがきっかけとなって、ノーネクタイやカジュアルが普及し幾分個性も発揮できるようになったものの、会社内には未だにお堅い考え方は残っていて自由度に制限が加えられているというのが現実である。とは言え、このクールビズがサラリーマン社会に投げた石は、結構大きいと思っている。

 

 

この世の中の支配と被支配の関係を象徴する装いとして、支配者側からも被支配者側からも市民権を持っている制服であると仮定すれば、何とも威圧的で抑圧されていて不自由なものであるにも拘らず、皆がそうしているからそうする式に疑うことなく着ているというのが自然な気持ちなのだろうが、「背広とネクタイというスタイル」のファッションが今後どうなるのか、これに取って代わるものが登場するのかあたりの点は興味深い。

 

 

ちゃんとしたところや正式な場には背広とネクタイをするという習慣を廃止して、全く新しいファッションの世界を個々人の自由な意思に委ね、背広とネクタイへの固定観念を打ち破って、創造的で誰からも抑圧されることのないファッションを身に纏うことへの自由が保証される社会の誕生が待たれる。そのための風土や価値観などの改革が必要であるが、少しずつ醸成することで可能ではないか。