初受講後、実家で感じたこと① | 「真我の実践会」をはじめた私の体験談

「真我の実践会」をはじめた私の体験談

真面目で優しく気にしぃの私が
最近初めた心の勉強「真我の実践会」に入ってからの体験談や感じたことを綴っていきます✍️
文章を書くのが苦手だけど
自分と読んでくれた方に何か届くと嬉しいです。
真我の実践会は宗教ではありません。


(写真は大好きだった猫ちゃん、沢山いる飼い猫で唯一私が拾った猫。私が身勝手な一人暮らしをして実家へ置いていきましたが、両親にもお世話をお願いせずに実家へもほとんど帰らなかったばかりに病気になり、亡くなってしまった子)


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先程ストーリーズに「臨時収入があった」「横断歩道でないところで車が停まってくれた」ことが何度かあったと書きました。

真我を追及しているとこのような不思議な事、奇跡と思われるような出来事がサラサラ起きますがで、これは”ほんのおまけ”にしか過ぎません。
(受講された方からよく耳にするのは「一体何が起きているのか」「こんな日が来るとは思わなかった(感動)」という言葉)

臨時収入があったから、幸せではないんです。
人に親切にしてもらったから、幸せではないんです。

一瞬は嬉しい気持ちが出て幸せと感じるかもしれませんが、それはほんの一時に過ぎません。昔の私はまた何かを追う、得ること・変わることを期待する・そのために頑張る日常に戻り、しばらくすると自己否定し、不足感や劣等感を感じてはモヤモヤしていました。

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真我の追及している私が思う幸せとは
「今のすべてに対して”そのままであること”に感謝できること」

この感謝できるは「何かに感謝する」行為ではなく、
「すべてが完璧ですべてのおかげなんだ、と"その事実を認めること"」です。

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初受講後、まず私は悪いとジャッジしていた実家で何かしらの変化あるかな?と確認をしてみました。

いつものように実家に行き、椅子に座って周りを見渡しながら

「今この散らかっている家と家族…

猫のプチ多頭飼育崩壊、
おじいちゃんはみんなに相手にしてもらえていない、
お金がない、
親戚が集まらなくなった家、
30歳過ぎの妹が親に車で送り迎えしてもらっている、
妹の金遣いが荒い、
お母さんが宗教に浸っている…

これらは完璧で、そのままでいいんだ」と

悪いと思っていたことも含めて、そのままで「完璧」と認めました。
もちろん、最初はソワソワしましたが しばらくしてふと気づいたのです。




「私が悪いものと認識していただけで、 
 悪いものは何ひとつ存在していなかったんだ!!!!!」



本当に衝撃を受けました。
そう思おうとしたのではなく、そうと認識する心に変わっていたのです。

すると見渡していた景色もいつもと違う気がしてフワフワしていました。
「あれ?これが実家なのか?」と…。

その日から家族に変化が起きていきました。

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つづく