人間は肉体という物
魂という共通の記憶参照物(それをアカシックレコードと呼ぶか、グレートスピリッツと呼ぶべきか、氷山の95%と呼ぶべきか)
脳の認知という、魂の中からホワイトリストに許容された内容のみを抽出・参照して、発言や行動を行います。

 

私の観点からみると、よく人を物扱いして・・なんて言葉がありますがそれはある種正しく思います。

物と人は変わらず、それがもし非難する言葉に聞こえるならば物に対しての扱いを向上させればよいでしょう。

 

物を大事にできる人は自分も人も大事にする傾向が生まれ、自らの肉体を大事にできるでしょう。

物も私からすれば同じ星で生まれたものであることは変わりません。

 

さて、魂という共通の記憶参照物ということですが、

 

私たちは名前を名付けられて、自分とあなたは異なるという風に教育を受けます。

しかし、私の観点からみると

「自分とあなたは異なる肉体・もしくは異なる名前を持っているが、共通する魂を持っている」という風に捉えることができます。

 

もしもあなたが、自分と相手は異なるという認知を持っている場合

相手が自分にとって不適切な行動をとった時に、不満やストレス、もしくは愚痴を漏らすかもしれませんね。

 

それはそれで正しいですから問題はありません。

 

ただ、それは私の観点からすると、共通の魂に対する発言となるため、自らの発言が自らに返っていくのです。

自分をけなしちゃっている状態ですね。

「人を呪わば穴二つ」という言葉がありますが、この観点からみると納得できることであり事実そうなっていきます。

要はLOSELOSEな状態ですから、winwinにしたいならば

相手もまた正しい行動を行っており、〇〇をすれば更によくなる。という風に「人を祝福して笑み二つ」とすればよいでしょう。

 

それは同様に自分に対する言葉にもなりますので、返報性の法則としてもしくはカルマの法則として

自らのより良い結果として帰っていきます。
 

また、魂が共通の記憶参照物と捉えることによって、LGBTだったり統合失調症だったりなぜそうなるのか?

という理解がだんだんとできるようになります。

彼ら彼女らは魂の観点からすれば正しい行動と発言を行っています。

(しかし、理解されるには時間が必要となるでしょう)
 

最後に、トーマス・エジソンが残した言葉に

天才とは1%のひらめきと99%の努力である。という言葉があります。

 

更には心理学では心を氷山として例え、
意識を5%、潜在意識を95%として表現しています。

 

この2つの理論は実に正しく、共通する記憶の参照物として考えるならば天才・もしくは意識の1%~5%が自分自身。そして残る95%~99%が他者、もしくは他人、もしくは神羅万象、もしくは宇宙そのものとして捉えることができます。

 

もしもあなたがより理想となる状態へと進化したいならば、
自分以外の魂の部分(神羅万象)を知って受け入れること=すなわちエジソンの努力、すなわち愛のある行動を行うとよいでしょう。

勉強・ゲーム・会話・テレビを見る・本を見る・食べ物を食べる・SEXをする・絵を描く・自然を感じる・

見る・聞く・触る

このようなありとあらゆる行動が神羅万象を理解する愛のある行動となり、自分を愛することにもなります。

 

そうすることによってあなたはより広いあなたを表現できるようになり、より天才となります。

 

まふまふの曲に命に嫌われているという曲がありますが、この行為によって命を愛し、命にも愛されるようにもなるでしょう。