KBSは李明博(イ・ミョンバク)大統領就任後、「親政府テレビ局」、甚だしくは「御用テレビ局」という口撃を受けていた。そのKBSが9日、コメディアンのキム・ジェドンに対し、「12日の収録が最後の放送」と通知した。エキストラではなく、4年も司会を務めた人間をアルバイトのように切るのは無礼だ。
キム・ジェドン降板のニュースが伝わると、インターネット上では「キム・ジェドンが故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の路祭(故人にとって縁がある地の路上で行う祭祀)や追悼コンサートの司会を務めたため、政府に目を付けられた」といううわさが相次いだ。インターネットニュースが世界のニュースのすべてだと思っている青少年やネットユーザーにとって、現政権は「こそく」で「偏狭」な政府だ。そして政府イコール大統領ととらえ、大統領を非難している。野党ができなかったことをKBSがやってのけたということか。そんなKBSを「御用テレビ局」と呼ぶとは、大間違いと言えよう。
キム・ジェドン側は「過度に拡大解釈しないでほしい」と求めた。だが、今回の事態を契機に検討しなければならないことがある。それは誰かの名誉のためではなく、今後起こり得る降板、人選で起こる雑音や論争を防ぐためだ。
元来テレビ局は、自分の意向に沿った人物を出演者に据えるものだ。前政権下では、左派性向の芸能人やメディア関係者の出演が多かった。そうかといって、前政権が「あの記者を変え、この芸能人を出演させろ」と指示しただろうか。政権により傾向が変わるテレビ局が、政府の顔色をうかがったり、意向を汲んだりして出演者を選んだに過ぎない。
ところが最近はなぜ、テレビ局ではなく、政府が非難されるのだろうか。それは、これまで現政権ががさつだったからだ。弱者への配慮、民族自主、環境という問題点は左派だけの戦利品ではなく、保守の価値でもある。ところが、「社会的な発言をする者はすべて左派」という珍しいコンプレックスや焦りを感じる現政権は、これらの人を抱え込む代わりに「敵軍派」ではないのかと疑い、追い払った。不安は政権を偏狭化する。今回の事態は、これまでの一連の人事形態が生んだ一種の「ツケ」といえよう。
では残る問題は、誰がキム・ジェドンを降板させたかだ。この問題は多少複雑だ。いま芸能界で売れているのは、カン・ホドンやユ・ジェソク式のユーモアだ。騒がしいバラエティー番組の進行を担い、わざとおどけて振る舞うユーモア。一方キム・ジェドン式のユーモアは、やや知的で静かだ。騒動の起こった10日、キム・ジェドンは検索語ランキングで芸能人部門1位になった。しかし前日は27位だったし、9月10日は25位、8月10日は14位だった。同じ期間に、トップはユ・ジェソクやカン・ホドンだった。キム・ジェドン騒動に興奮したネットユーザーによる検索の結果だ。これはまさに大衆の二重性といえる。一方では「李明博大統領が芸能人を弾圧している」と書き込み、他方では悪口やコメディーを好む視聴者の二重性だ。
考るべきことはまだある。芸能人の公開または非公開活動、政治的かつ社会的活動をどのように見るかだ。芸能人は大衆にショーを提供して金を得る。ところがここに、「政治色」という様子が加わった。キム・ジェドンの場合、「三流政治家より一流芸能人を望む」という人がいれば、「彼にも発言する権利がある」と支持する人もいる。ショーと金を交換する娯楽以上の取引に加わった政治色という要素をどのように解決すれば、「楽しさの公正な取引」が成し遂げられるのだろうか。
このような問題を解決しなければ、芸能人が降板するたびに「政治圧力説」が浮上するだろう。そのたびに大統領が疑われる国はこっけいだ。(朝鮮日報より)
まぁ記事がここまで踏み込んじゃってるんで、もうこれ以上特にコメントすることはない感じではあるんですけれども。
ちょっとやっぱり降板の経緯が不自然すぎるんですよね。
頑張ってキム・ジェドン氏。