今日は、天秤座サビアンシンボル後半の、16~30度をみていきます。
前半では、
親しみやすさ、察する力、人や場を守る力、第3の客観的視点を手に入れ、
それらを実践して、場の空気をも操る「コミュニケーションのカリスマ」となり、
現実社会という、人との関わりの生活を楽しむことができるようになったのですが。
ここで、対向の牡羊座から、喝が入ります。
それはきっと、自己啓発や引き寄せでよくある「喝」でしょう。
人、人、周り、って・・・
自分を忘れちゃだめだよ、
内側の自分を見ようよ、
自分軸を忘れて周りに流されるから、疲れるんだよ。
と。
実際、
天秤座15度までの要素を駆使して、「コミュニケーションスキルモンスター」と化すと、
それは、「コミュニケーションモンスター」の着ぐるみを着て、周りを見てばかりのキャラとなってしまい、
それが行き過ぎると、「自分」がなくなりかねません。
そこに、「アイデンティティ」の牡羊座が警鐘を鳴らすのです。
・16〜20度:自分という内側を見る力。時には自分に集中して休み、回復する力。
周り(外の環境)の中で、機を伺い、自分らしさを発揮する力。自分で考えて生み出される、生きる知恵。
これが、16度からの
「社交、人付き合いの中でも
自分軸というエッセンスを注入し、周りと調和するプロセス」です。
まずは、16度~17度で、自分に集中し、また、よく休んで回復します。
前半の「14度」に続き、ここでも、「休む」の重要さが出てきましたね。
といっても、「休息」が強調されていた14度とは少し趣がちがいまして、
17度は、
自分に集中することで、気力(精神力)をチャージ(回復)する
という世界です。
さすが、「自我」の牡羊座から始まる成長の流れで天秤座まで来ただけのことはあり、
自分に集中することで、回復できる人だけが、
ここ、天秤座の世界にたどり着いているはずです。
という、「足切り」のようなメッセージを感じます。
自分に集中できない、つまり、外を見てばかりとか、
自分一人になると孤独で辛くなり、回復どころかストレス、
そういう人は、天秤座の世界でなくても、それ以前のどこかのサインの世界で、足切りされてしまっているのでしょう。
さて、話をサビアンの流れに戻しましょう。
18度では、周りの中で生きる自分に、「自分軸」を注入し、
自分を打ち出して、今までの天秤座スキルで「周りの反応を見て」、
自分軸を周りと調和させる、
「周り」のデータである「法律」「良識」を認識し、
それと調和する形で自分を打ち出す
ということをやります。
そして、19度では、
機をうかがって、「自分らしさ」を打ち出すようになります。
こうして、
現実社会の人との関わりの中で生きていても、
周りに合わせすぎず、
周りと調和する形で、自分を打ち出していく、
そんな、自他のバランス感覚に優れた「自分軸」をもった天秤座となります。
(私のただの感想コメント:蠍座の後半度数もそうでしたが、
まずは周り、から入った天秤座以降のサインが、
ここに「自分軸」を入れ込んで、パワフルに変化するところが、
サビアンシンボルのおもしろさですね。)
そのような自分軸で生きていった結果、
自分で考え続けることで、自分なりの生きる智恵を手に入れ、
先人の智恵を自分の解釈で活用できるようになるのが、20度。
天秤座のクライマックスに向かう前の20度で、
風の知性らしい「智恵」を手に入れた、というわけです。
・21〜25度:集団の中で、全体にも、目立たない部分にも、気を配り、対応する力。
時代の流れ、空気を読む力。
得られる天秤座の結晶は「機転力」、「大人の品性」。
通常、サビアンシンボルの21度と22度というのは、陽と陰の関係にあります。
陽の21度で、自分からアクションを起こし、欲しいものを積極的に行動して獲得しにいきます。
対して、陰の22度では、受動的で、「自分は動かず引き寄せる」要素が来ることが多いです。
「メッセージを受け取る」サインが多いですかね。
ところが、私の印象では、天秤座は、21度も、22度も、自分からアクションを起こします。
何が陰陽になっているかというと、アクション対象の陰陽です。
さすが「対人知性」、アクションの対象が重要なだけのことはあります。
21度では、場の集団の「主流の流れ」を見て、それに対応し、
時に、場の空気をもコントロールします。
場の主流の、「集合意識」「集団意識」に近しい、目立つ「陽」の部分へのアクションですね。
対して、22度では、
場の集団の「主流」から外れた、陰の存在にも気づき、そこに働きかけます、
「陰」の部分へのアクションです。
陰の細かい部分にも、しっかり気を配るのです。
わかりやすい例が、
みんなで一緒に遊ぼう、という中で、
一緒に遊び、楽しい空気をつくっていくのが21度、
そんな中、みんなの輪に入れず、陰でぽつんと立っている人とか、
遊んでたけど、転んでケガをして、遊びの輪から抜けてしまった人とか、
そういう人たちにも声をかけるのが、22度。
もちろん、気を配る対象は、人だけとは限りません。
外での宴会で、皆、お酒や食事や会話に夢中になっているけれど、
会話にうまく参加しつつも、その裏で、無造作に捨てられたごみを、
「これでは環境によくない」と、さりげなく回収するとか。
私「いやー、22度、レベル高いなあ・・・」
山羊座22度の「敗北を認める」もそうですが、
22度の「陰」には、レベル高いのが多いですね。
天秤座に限らず、各サインの「22度」をしっかり使いこなして、23~25度にいける人って、
その能力が、その人の「個性」「魅力」になるレベルですよ、きっと。
そういえば、以前この記事に書いた、↓
「身代わりの花嫁が溺愛される話」の主人公が、まさに、
天秤座22度の行動をとったことで見染められ、
その知性、品格の素晴らしさを評価されて、「嫁に欲しい」と言われた、というキャラでした。
主人公は、パーティー会場で、
パーティーの主役級だった、贅沢な身なりの姉とは真逆に、地味な身なりだったのですが、
パーティー中、気分を悪くして倒れた従者に、とっさに駆け寄って手当をします。
家族からは「貴族がそんな人に余計なことを」と怒られるのですが、
この姿はまさに、22度の「陰」へのアクション。
この主人公は、日頃から、従者の人たちにも温かく接しており、
もちろん、そんな従者の人たちからの信頼感や愛もたっぷり受け、
まさしく天秤座の「家という場を暖かい空気感にした(他の家族がきつい人たちだらけだっただけに)」という、場を空気感をもコントロールできる力があり、
おまけに、天秤座23度の「自然の流れも察知」できそうだし、
溺愛相手の辺境伯からは、その知性と品格を大きく評価されまして、
って、まさに
24度の「対人関係で発達した知性」と、25度の「機転」「大人の品格」そのものが、自身のかけがえのない魅力となったお話です。
こういうのは、どんな服を着ても、
例え地味な服しか着ていなくても、
その人の「美しい」オーラとして、にじみ出るものだそうな。
(余談ですが、この話では、姉が、牡牛座でいう贅沢の美だけを尽くした人でして、
それとの対比も、サインの紐解き的に、興味深いお話ですね)
ところで、天秤座サビアンシンボルには「蝶」が2回でてきます。
それは、最序盤の1度と、天秤座の要素をとことんやる24度です。
1度「突き通す針により完璧にされた蝶」
24度「蝶の左側にある3番目の羽」
1度では、「対人経験はこれから」の、見た目を飾っただけの蝶だったのが、
天秤座の世界の経験を経て、進化した知性という新たな「3」番目の羽を手に入れた、蝶へと進化したのです。
・26〜30度:愛情と知性をバランスよく使いこなす力。
より高い視点から客観的に眺める力。
ここら辺の力が極まると、あらゆる叡智を論理的に繋ごうとし、自らの生きる知恵(人生哲学)の集大成とする。
ここら辺は、次の蠍座の「変容」「生き抜く・やり抜く力」に繋がる世界ですね。
↑の2つの言葉にありがちな印象のように、蠍座の世界は、なかなかハードです。
だからこそ、
天秤座の対人関係で得た知性の結晶を、
より高い視点に上ることでさらに磨き上げ、
蠍座序盤の「愛情」の要素も組み入れながら、
次の蠍座世界で「自身が持つ強力な武器(スキル)」として使いこなせるよう、まとめ上げるのです。
天秤座ラストの30度でも、9度、24度に続き、「3」が出てきます。
9度「3人の巨匠」
24度「3番目の羽」
30度「3つの知識のこぶ」
天秤座は、
「自分、他人、それらの客観視」のような、「3」つの要素を大切にし、
この「3」つの要素をバランスよく調和させて力を発揮するサインなのだ、
そんなメッセージが込められていますね。
・天秤座世界からのメッセージ「コミュニケーション力があるのは、当たり前ではなく才能」
月が天秤座10度の私、これを痛感。
そういえば、去年、私は、元部下を「見えないものに意識が向かない」と酷評していたのですが、
それは、私が、「相手の立場を推理する」のが当たり前になっていたからでした。
「推理する」だなんて、まさに、知性で考える天秤座10度の月です。
「当たり前になっていた」も、無意識プログラムの月ゆえ、です。
運命学コーチ「それが、何かのサイン特有の要素ならば、
その要素は、誰しもが当たり前にできるわけではない、ということだ」
私「( ^ω^)・・・
私は、ポジションチェンジワークをやって、ようやくできるようになったから
似たような勉強をすれば、あるいは、しなくても、社会人ならたいていは、ある程度できると思っていたぞ・・・」
※ポジションチェンジワーク↓
何かとんでもないものを押し付けて、勝手にストレスを溜めてただけでしたが、
まあ、この元部下に関しては、他にも人として無理なところが多々あったので、、
そういえば、この人に、
「今メール送った人は、~~の仕事でめちゃくちゃ忙しい人です。
あなたの日程調整の返信を待っています。その日程が決まらないと他の予定を入れることができないからです。だから至急返信しなさい」
と言ったことがあり、
それを聞いてた同僚に
「そこまで教えないといけないのか・・・お疲れ様です」と言われ、
私(そうなんよ。相手の立場を慮れないのは、社会人として困ったものよ。)
なーんて思ったのですが、実は、この同僚も、太陽天秤座だから私に共感しただけだった、というオチ。
天秤座の天体を持つ者は特に、
そうでなくても、自然体で人づきあいができる人たちも、
自分が当たり前にやってる周りへの気配りとか、
その他、人と交流するスキル全般が、
「人として当たり前」ではなく
「これを当たり前にできる人の方が少ないかもしれない」
そう認識するくらいで、ちょうどいいのかもしれません・・・。
私「私ばかり周りを思いやって、周りから、「他の人」である私への思いやりというリターンがないのは対等じゃない・・・辛い・・・」
そういや、別のときに、とある人に、
「あなたは、この職場あるあるの組織人とも、
私のような一匹狼タイプとも、
自然に話ができるのがすごい、それ才能や」
と言ったのですが、
その言葉は、「コミュ力はあって当たり前ではない、それ才能や。(ない人の方が多い)」という、私へのブーメラン発言でもあったのですね。
コミュニケーション力、対人知性は、
人の中で生活したからといって、
誰しも自然に鍛えられるわけではない。
それは才能である。(戒め