ちょうど2年前、↑の記事を書いていました。
この記事は、私の「中年の危機」の挫折ネタのうち、最初のものです。
私が、原課に呼ばれ、いち分野の仕事経験から作った仕事メソッドを、他の分野の似た仕事にまで広げるぞ!という挑戦をした結果、それが破れたときのものです。
このエピソード、「広げるの無理でした、すみません」という、自分の能力に対して謙虚になった、というのが「挫折」でしたが。
あと、改めて記事を読むと、最近再認識した、私という人の本性が書いてありますね・・・。
(以下抜粋)
私の人生、
人に影響を!とか
何か大きなことを成そう!とか
そんな理想や目標を掲げたことが特になく、
日々、やりたいことを
夢中でやってれば幸せだし
それでいいのだ
体を張るほど命懸けになるなら
それは私には合わない、
そっちではないんだ
私は他力運の印星過多であり
本来、守られて力を発揮するタイプ。
私が自由にやれてるってことは
守られていることであり
私が抑えられてる感がある時は
そっちじゃないってことなのだ
(抜粋ここまで)
最近気づいた、「楽しくやるのが私!それを見た人が勝手に明るくなり、一緒にいたいと感じる、それが私!」というやつです。
そしてきっと、「それを見た人」というのは、私と一緒に、私を守るのを手伝ってくれる人なのです。
ところが、今朝、改めて気づきました。
↑の「守られながら楽しくやる」が、私の本性のうち「光」であるとするならば、
もちろん、その陰に、「闇」の本性も、あります。
それに関しては、2年前の話にも表れていました。
当時は、「挫折」とは認識していない、もう一つのエピソードも体験していました。
記事に書いた、ここら辺です。
(以下抜粋;色は今回新たにつけました。)
原課に身を置いて
弊社組織の構造を観察する意味でも
「そっちではない」としても
決して無駄な道のりではなかったです。
やっぱり、原課は現場見ないで
好き勝手に認定解釈して、それを現場に押し付けようとしてるだけ、
見てないから自己満足なものになってるんだろうなと。
典型的なミスコミュニケーションですね。
そんなんだから、
一枚岩どころか組織内部は崩壊ですね。
(抜粋ここまで)
そう、組織の構造のコアと全体像、
原課、幹部、現場の相関図を観察しにいって、
今の組織の「本性」を見て、聞いて、体感してきたのです。
先週は、振り返り記録にて、私のネイタル火星サビアンとかけて
「(今の職場環境に)絶望し幻滅した女」という項目で書いた話
↓
ここで絶望したのは、
まさに、2年前に見た、信頼関係の崩壊と、原課や幹部の、現場に対する支配者意識(愛ベースとは真逆・・・!)が、さらに増幅されていたと感じたからです。
2年前の体験があったからこそ、幻滅し、
「さっさと、今のこんな職場環境から絶縁しよう」と、決意をより一段強くしたのです。
・・・こんなふうに、
私は、物事の本質を徹底的に見に行くキャラクターであり、
それはつまり、
物事、人(人の集団組織も含め)の本質を深堀し
その本性を暴き出す・露呈させる
これが、私の「闇」の本性です。
この本性は、今の「挫折」である、部下の指導でも、大いに発揮されました。
私が指導に入る前は、「筋道がはっきりしている」やりやすい案件を、指導者が選んで、それをやらせて、何とか、求められるノルマペースで仕事ができるようになり、さあこれから、翌年の独り立ちペースを目指そうか、他の経験も増やしていこうか、というところでした。
ですが、私が指導に加わってから、
・筋道がわかりにくい案件が入ってきて、
そこでの指導で「筋道を指導者が誘導しないとダメ」だと露呈
(つまり、応用力が利かない。
例えるなら、国語の読解で、いきなり「作者の最も言いたいことは?」と聞かれると答えが出ないが、それに至る誘導問題の(1)~(4)を指導者が提示して答えさせ、最後に、(5)最も言いたいことは?という構成の問題にしてあげると、解けるようになる、という話。
自分で、誘導問題に相当する思考プロセスを作れないのです。
私は、かつて、誘導問題の作り方ワーク、つまり、(1)~(4)に相当するセルフコーチング質問のひな型を渡したのですが、全然使っていない模様)
・マルチタスクになると、優先順位がつけられなくて動けない。動いてもめちゃくちゃ(ちょうど、他の仕事や研修とかが入ってきて、マルチタスク状態になったことで露呈)
・自分の拗れたプライドを守るのが最優先。拗れの原因は、自分の実力と向き合わず、上から求められるペースどおりやることばかり見ていること。(OJTがやってきて、それをクリアすることばかり執着して、仕事の優先順位が異様なほど狂った)
・・・と、色々と本性が露わになって、今まで積み上げてきた成果(ひとまず求められるペースどおりになったこと)が崩壊、というか「幼児退行したのでは」という感想を抱かざるをえない状況になりました。
私が指導に入ってから、そういう崩壊を促す、本性を露呈させる環境が来ただけで、私のせいではないのでは、という解釈もできるかもしれません。
ですが、以前から指導をやっていた、もう一人の人に話を聞いていると、
部下の行動パターンが「上から求められるペースどおりやる」になっていたのは、
この指導者の人と、そしておそらく当時の管理職の指示に影響されたからでした。
また、この指導者の人は、心配性で、うまくいかなそう、と読むと、先回りして色々調整してしまう癖があったようで。
一方、私は、求められるペースをやらせることよりも、「難しい問題や壁に当たらせ、あえてまずは失敗させた上で、そこからいかにして修正するか、向かっていくか」の経験を積ませることを重視しますし、
先回りして調整するなんてことは一切せず、(〆切とかの現実的な問題がなければ)素直に難しい問題や壁に当たらせに行く、あえて、穴に突き落とすタイプです。
だから、この、もう一人の指導者を説得し
「今まで、先回り調整が入っていたから、リスクに対する経験がなく、アンテナが立っていない。それでは独り立ちは到底無理。
ここは、まずは本人の思うままやらせ、一度ぶつからせて(穴に落ちさせて)、そこからどうするか、を見て支援した方がいいし、
厳しさを「わからせる」ことも、大事な指導だ」
と伝えたものです。
部下を、しっかりと、壁に当たらせたり、穴に落としたりするようになったからこそ
環境の影響を素直に受けて、そこで本性が露わになったのです。
私の価値観を注入したからこそ、本性を暴く道に行ってしまった、という話。
(そういえば、ここの注入が、自分にはなかった引き出しで、とても勉強になった、と、
指導を外れる間際に、もう一人の指導者の人に言われました・・・)
そして、そこで露わになった部下の本性というのは、
「壁に当たったり、穴に落ちたりしたら、落ち込んで終わり」というものでもありました。
私「今まで甘やかされて育ってきて、挫折を乗り越えた経験や、やり遂げる意志がまるでないんだな(諦め)
立ち上がる意志がなく、甘えるだけの奴と接点を持つ生き方は、私はしていない。
落ち込んで終わりなら、そのまま野垂れ死にして、どうぞ」※
と、体が拒否反応を示して、指導は限界だ、と、外れる申し出をするに至ったのです。(この、立ち上がる意志がなく甘えて終わり、は、まさに元親と同じでした)
※今までの部下は、幸運にも、皆、立ち上がる意志を持っていたので、
その意志を感じ取ってから、私が、部下が壁や困難を乗り越えると信じて見守り、求められれば修正提案もし、支える、
というのが、私の指導力の発揮どころだったのですが(ここが、私らしい「愛ベース」です。かつての部下たちと信頼関係が深くなり、指導が終わっても縁が続いている人が多いのは、これと、日々の傾聴をやってきたからです。)、
その発揮どころが全くなく、はたから見れば「私が部下を潰した」ようにしかならなかった、ということです。
・・・と、いうことで、
2年前と、最近のこととをまとめて振り返り、
私には、人の本性を暴き出すという、闇の本性があるのだな
と、前々から自覚があったのを、改めて強く実感しました。
そして、ここからが今回の大事な話。
この、本性を暴くという闇の部分、私自身は、自分の魅力の一つだと感じています。
本性を暴いたうえで、それに対して、愛をもって向き合う。
本性を認めて、まずは降参し、それとうまく付き合い、合わせていく(飼いならす)か、
自分の魂とずれていそうなら、魂に合うように修正していく(破壊と再生、変容)
これを日々積み重ねてきたからこそ、
自己統合が進んで、
自分への愛と、生きることへの満足感、充実感が、
ますます増えているのです。
なので、魅力、そして、かけがえのない資質である、と感じています。
はい、自分と付き合う上では、これで全然いいのですが。
今回新たに気づいたのは、
日々、この闇の本性と、他の人との関わりについて、
ほとんどの人は、自分の本性という闇と向き合うことを、恐れている。
本性という闇は可能性であるが、いわゆる「人は、自分の可能性が最も怖い」という話だ。
だから、私とは「楽しそうな人だから」という、光の本性だけと浅く付き合う程度にし、
私の闇の本性でもって、自身の本性を暴かれるのが怖いから、
私と深くかかわろうとする人は、やってこないのだろう・・・。
どうせ、みんな、自分の可能性と向き合うのが怖いんだろう・・・。
そんなふうに、今まで思ってしまっていた、その価値観こそが、
これから、私が、魂にふさわしい縁、ライフパートナーシップのような深い縁に接続しようとしているときに、足枷になっていた、ということです。
この記事は、朝いちで書いているのですが、
起きる前、寝ているときの自己対話で、内なる自分に、こういわれました。
「私の、暴く、という、闇の本性に近寄りたい人なんて、いないだろう」、
そう思っていると、
せっかく、自分のライフパートナーシップ空間という部屋を、スペースを空けて作っていても、そこへの入り口を閉ざして鍵をかけて、引きこもっているのと一緒ですよ。
と。
ハッとしましたね。
今私がやることは、
入口を閉ざすことではない。
私と同じように
自分の本性をも覗いて向き合い、愛で対応していこうとする、
そんな人がいて、そのうちやってくる、と信じて
扉を開けたままにしておくことだ。
そして、
本性と向き合う、というのは
時に、なかなかハードなのだから
見守って支えたり、
変容の助けを求められたときは手を貸したり、と
相手が自立して向かっていくのを尊重して、付き合う
そんな覚悟をも、決める。
このセットですね。
つまりは、私が、自分にやっていたこと(自愛やビリーフチェンジの変容)を
ライフパートナーシップ的にかかわる人たちも、やっていくのだから、
それにお付き合いしましょう、と。
基本的に、自立して自分主体でやると思うので、
私が主にやることは、彼彼女らの、自分と向き合った話に付き合って傾聴し、「よく頑張ったね!」と拍手を送ること、でしょう。
変容は大変ですし、自分の本性と向き合うことだけでも、大変です。
それは、私自身、日々やっているので、よーーく実感しています。
そんな大変なことを、人に丸投げせず、自分主体でやろうとして、やり遂げるのって、かなりすごいことです。
だからこそ、昨日書いた経験をしたときに、「こうやって、変わったら、自分に拍手をし、祝福することが大切だな!」と、改めて感じました。
そして、これを他の人にもやるといいんだろうな、とも。
変わる、変化、というのは、価値観とかを変えることだけではありません。
今まで認めがたかった本性を認める、ということだけでも、立派な変化です。
だからこそ、たっぷり祝福するのです。
それを、一人ではなく、二人でやるのだ、という話なのでしょう。
今、サビアンシンボルから人生訓、生き方を勉強しているところなのですが、
ここまでの、本性と向き合って、時に変容するのって、
まさに、蠍座と水瓶座の話なんですよね。
変容とは破壊と再生、それは冥王星を支配星とする蠍座の世界。
本性を飼いならすのは、水瓶座の後半の自己統合へ向かう世界。
アセンダント蠍座であり、
水星、金星、火星が水瓶座、特に、火星は水瓶座終盤の21度という、
まさに、私らしい生き方・・・!
だからこそ、
そんな「私らしい生き方」に近しいことをやる、という人と縁ができるだろうし、
そういう人がいることを信頼する、まずはここからだな、と、今回、感じました。
逆に言えば、
そんな人なんていないだろう、だなんて諦めてしまうのは、
「縁に接続する」と決めた時点で、エネルギーレベルでそんな存在が生まれていることと合わせて考えると、相手の存在に大変失礼なことをしてしまっていた、という話ですね・・・。
なので、深く謝罪しました。
そして、これからは、そんな存在が既にいる、ことを信頼して、
今の私にできる準備作業?のようなものをやりつつ、
ライフスタイルの空間への扉を開けて待ちつつ、
自分の魂の輝き、高い波動を維持して、自分を大切にして日々生きていきます。