このブログに何回か書いていますが、私は、辰巳天中殺です。
辰巳天中殺の人は、「辰巳」という、天頂へ向かう方向が欠けています。
それはつまり、精神的な要素に関する空間がない、ということです。
そして、天中殺の最大特色である「反対方向に傾く」力があるため、
現実生活、今ここの現実、を大切にする生き方が合っている、とされています。
精神的な要素、というのは、一言でいいますと、自分の心の満足を重視する生き方です。
それを実際にやる空間とは、いわゆる「好きなこと、合うことだけして生きていく」というやつで、そのような生き方が、いわゆる「精神的な生き方」(「精神要素重視の生き方」ともいう)です。
精神世界の要素の代表例の、芸や学問は、まさに、その人にとっての好きなこと、合うことですからね。
他の「精神的な生き方」としては、宗教、神に仕えるものもあります。
で、算命学では、辰巳天中殺は、このような精神的な生き方を、若いうち、いわゆる、「壮年期」まで(50歳くらいまでか)にやったら、ダメになる、といいます。
辰巳天中殺は、壮年期の、社会に出て働く時期は、現実社会の中で揉まれながら生きるのがいいのだ、と。
そして、現実社会の中で揉まれ、戦い、資質を燃やすことで、働き盛りをすぎたら、人としての生き方が大成される、と。
精神要素重視で、好きなこと、合うことだけしていくなら、働き盛りをすぎて一歩退く時期になってからですよ、ということです。
(余談ですが、辰巳天中殺と反対の戌亥天中殺は、精神要素が強い生き方がぴったりです。実際、戌亥天中殺で、好きなことして生きてる感が強い人や、スピリチュアル的生き方をしている人は、まさに「ガチ勢」という印象を受けます。)
ですが、人の命式というのはおもしろいものでして。
辰巳天中殺は現実社会の中で生きる生き方なのに、
普通に、
・精神の星(十大主星、十二大従星のいずれか)が強い命式
・特殊命式、天中殺、異常干支など、精神的な生き方が合う命式
というのも存在するんですよねええ!!!/(^o^)\ナンテコッタイ
命式における天中殺タイプ(干支の中殺の話ではありませんので、「天中殺タイプ」と書きます)は、その人の生き方であり、
これは、生まれたときに決まっており、変えることはできません。
だからこそ、算命学で最も強調される「環境を命式という宿命に合わせる」という話は、まずは、天中殺タイプに合わせることが推奨されているのです。
辰巳天中殺に環境を合わせると、現実社会の中で生きることになりますが、
一方、本人の命式が、精神要素が強いなら、これは大いなる矛盾です。
しかし、矛盾からその人の才能、その人らしさが生まれますし
矛盾を乗りこなす過程で、人は鍛えられて成長し、その先に、その人にしか作りえない自然体の世界が待っているのです。
私自身、何度も書いているように、十大主星がかなり精神寄り(印星3つ+漏星1つ+財星1つ)、おまけに、そんな印星と漏星が水と火でして、陰占でも精神要素が強い。(水、火は精神、木、金は現実です)
十二大従星は、天恍星だけ現実寄りですが、他は天極、天印と、精神寄りです。
こんなふうに、かなり精神要素が強い命式だからこそ、
自分の好きなことして生きていく!合わないことはできん!という感じ。
だけど、辰巳天中殺なんだよな・・・
ここで大運の話をしたときのように、
50歳までは、かろうじて、現実の財星官星が巡っており、
「50歳くらいまでは、現実社会で頑張ろうね」という圧を、やや感じます・・・↓
といっても、それに囚われたらおしまいなので、現実社会から離れる流れになったら乗る気ですが。
では、辰巳天中殺だから、というのもありますが、
なんとなく、「もう少し現実社会に揉まれろ」という圧を感じる私が、
自分の精神をも大切にしながら、自分の波動をできる限り高くしながら、現実社会でやっていくには、どうすればいいか。
(水瓶座新月のタイミングで接続を決意した「ライフワークに繋がる縁」で、
その「ライフワーク」が、これまた、現実社会でなにかやること、の可能性もあるので、
引き続き、現実社会での生き方、というものは大切になっていくかもです)
一つの案は、昨日書いたように、現実社会の最大要素である、今の職場環境から自分を切り離しながら生きていくこと。
それに関連して、なんとなく、辰巳天中殺の人たちから学んでいたことがあるなあ、と思ったので、今回、まとめてみます。
・組織から仕事を受けるなら、
「その組織に属する一員」ではなく、「組織から業務委託されている、独立した個人事業主」という意識で。
これは、既に実践済です。
今から思い起こせば、この「業務委託」モデルは、どこからもってきたのかというと、奇しくも、辰巳天中殺の人からでした。
それは、麻雀プロの園田賢さんです。
ご本人のYouTubeチャンネル↓
(東の龍高星らしく、麻雀に対する研究心と探求心が半端ないです)
ずっと、会社勤めをしながら、好きな麻雀をやるために麻雀プロもやっていたが、
Mリーグでの仕事が入り多忙になったことで、会社勤めフルタイムが難しくなり、
現在は、
「退職はしたが、会社から業務委託で仕事を受け、
麻雀プロ活動と両立して、自分のペースで(雇用されたフルタイム労働でないという意味で)仕事を続ける」
という生活をしているそうです。
本人曰く、会社の仕事も、麻雀も、どっちも好きでやりがいがあり、
どちらか一つには選べない、とのこと。
辰巳天中殺であることからして、
好きな麻雀だけやっていく、という、精神要素オンリーの生活だけでは、人生物足りない、
会社の仕事という、現実社会で揉まれる要素もまだやっていたい、
それぞれ、別のよさがある。
という価値観なのかな、と思いました。
(ちなみに、会社=本人が属するMリーグチームのオーナーでもある博報堂、です。
本人の能力を見るに、ビジネスマンとしても相当優秀そうですから、
独身であることと、仕事以外はだいたい麻雀漬け+そこまで贅沢な生活ではなさそう、ということで、お金は十分もっていそうです。会社の仕事に求めているのが経済要素でないことはたやすく想像できます。)
私も、筋トレやら、運命学の実践やら、
好きなことだけやってはいきたいけれど、
今の仕事という、頭を使いたい欲を満たしつつも、社会奉仕して現実社会との接点がある、それもやっているから、生活がきれいにまとまってる、それで完全体であるという満足感があるのかもしれない、という気がします。
(職場環境の集合意識、波動が嫌いなだけで、仕事内容そのものは好きですよ。
今の仕事に対しては、元・天職のような情熱はないですが、淡々と頭を使うことに集中できる、ということは好き。自分の中で、謎が解けたり、話が繋がったりしたら、ドヤっています笑。
ゲームっぽく楽しんでいるとはいえ、やはり、現実社会との接点があるから、ゲームとどっちかをやるといったら、こっちの仕事の方なのかなあ、と思います。
だから、家で仕事するのは好きだし、気分がいいです。)
そこは、園田さんの生き方と共通するものがあるのかなあ、と。
たぶん、園田さんは、会社組織の人間関係が嫌い、合わないというのではなく、あくまで活動ペースが合わないというだけでしょう。
そこは私と違うところです。
私の場合は、自分という存在を、会社組織の集合意識、多くの人間関係から切り離すために、「業務委託されている」としているのです。
・陰に隠れて、マイペースで淡々と生きる。
「なるべく人に接しないチャレンジ」で遊ぶくらいでちょうどいい。
こちらの話は、大阪桐蔭→立教大学→トヨタ自動車 と、野球人生を歩んでいる、宮崎さんをお手本に。↓
この記事では書いていなかったと思いますが、実は、宮崎さんは辰巳天中殺です。
でもって、生年・生月天中殺という、まさに「精神世界で大成する、現実社会で生きるのは苦しくなりがち(異質なので)」という命式です。
宮崎さんの場合、「精神世界で大成」というのは、生年・生月天中殺にありがちな「宗教に入る」「好きなことだけやる天才」ではなく、
「野球」という、現実要素が強いチームスポーツの世界で、
「天才」「チームのエース、主軸」というほどではなく、陰に隠れて生き、
自身の身の丈、自然体にあった活躍を、
自然体でやり、
そして、一人静かにドヤる
ということのようです。
精神世界で大成するなら、
何も、宗教とかの、精神世界に身を置く必要はなく、
現実社会の中で見つけた、自分の能力を発揮できそうな世界に揉まれて生き、
その中で、陰に隠れて、自然体で活動し、
一人静かにドヤる、つまり、自分の心を満たす、
それでいいのだし、
それが、「現実社会の今ここを大切にするのが得意」という、辰巳天中殺とマッチしていますね。
精神的な生き方要素が強い、ということは、現実社会の、人が集まる中で、エース、主軸(主役)になる可能性は低い、ということです。
そういうエースの役割は、現実要素が強い命式の人がやることです。
宮崎さんの野球人生が、プロ野球ではなく、社会人野球というのも、これまた大変興味深いことです。
プロ野球は、まさに「好きなことだけで生きる、稼ぐ」世界であり、野球だけやっていればいい、でもやっていけそうなところです(実際は、それだけでは人としてダメでしょうが)。
しかし、社会人野球というのは、その野球チームの会社に勤めるということとセット、そう、現実社会で、組織勤めという仕事も、野球と別にやることが必須です。
つまり、野球一本の人生ではなく、野球の他に現実社会要素もこなさないといけないのが、社会人野球という世界です。
これぞまさに、辰巳天中殺っぽく、現実社会に揉まれる、というやつですね。
↑の記事には書かなかったのですが、
宮崎さんが立教大学野球部だったときに、
大学が発行する会誌に、彼の面白いエピソードが載っていました。
それは、「寮で、なるべく人と会わないチャレンジをしている」という話です。
(大学時代の4年間、ずっとやってたわけではないのでしょうが)
この話に触れて、球場で彼を見て感じる、独特のオーラを形成するものの一つが察せられました。
やはり、集団活動の中で陰に隠れて、自分の内側に集中する時間帯をしっかり持ち続けてきた、ということなのでしょう。(それはまさに、精神的な生き方です)
球場での、選手の皆さんの人間観察は、なかなか面白いものでして、
試合の前と後に、グラウンドに入る時と出るとき、
そのとき、一人でさっさと動くだけか、誰かに声かけて一緒に動くか、
その頻度に、その人のキャラクターが出ます。
宮崎さんは、自分から誰かに声をかけることは、あまりなかったような、、(他の推しを主に見てたので、記憶はあやふや)
やはり、陰に隠れるマイペースタイプか。
会誌には、チームメイトってこんな印象!というのをお互いに言い合うコーナーもあり、そこでの宮崎さんへのコメントは「独特な感性、オーラがある」と。やはりか・・・笑
これが、陰に隠れて内側に集中する時間帯を持っている人からにじみ出る、自然体オーラというやつか。
・・・ということで、私自身、そんな宮崎さんの生き方をもとに、
中年の危機以前の、「私が主役、(当時いた、元・天職部署の)エースである」という生き方は、自然体とは程遠いものであって、だからこそ、しっかり折られたのだな、と痛感しました。
そして、彼をお手本に見ると、
陰で一人で淡々と、自分に振られた仕事をやり、
「今日も楽しく頭使えたな、面白かったな」と
静かに、こっそりドヤっているのが、一番楽だな、
と気づきました。
これを徹底的に日々やるためには、宮崎さんがやってたような「なるべく人に接しないチャレンジ」がいいな!と。
本当に大切な、波動が合う縁だけが寄ってくるように、
私の禄存星の引力を「選択的引力」とするように、
気配を消して隠れ、人に接しない、これでいきましょう。
(全く余談ですが、元部署にいる、マイペースで淡々と仕事をして、エース級の成果を出している二人も、
一人は、フロアがフリーアドレスで、席が自由なのを活かし、その部署のメインエリアから離れたところにいつも座っており、
もう一人は、体調不良という事情で、週5日のうち2日だけ、しかも午後だけしか出勤しておらず、
それぞれのスタイルで、陰で淡々とマイペースにやっているようです。
だから、心穏やかにやれ、成果も安定しているのかな・・・という気がします。
この人たちは辰巳天中殺とは限りませんが、私にとっては、「今の職場で陰に隠れる」お手本ですね。
この人たちが「隠れるのが楽」と無意識に感じるくらい、今の職場全体の空気感、集合意識は危険なやつ、なのかもしれぬ、、)
・自分の心を満たす活動をするために、
現実社会と折り合いをつけ、現実社会から自分を守る
ここまで書いてきて、察しましたが、
どうやら、精神的な生き方が合う辰巳天中殺というのは、
精神的な生き方を可能にする「自分の心を満たす活動」が、
現実社会で人に揉まれてやる何かである、という可能性が高いようですね。
そりゃ、ほとんどの「仕事になるやつ」って、現実社会で人に揉まれるものですからね。
それすなわち、
「自分の心を満たす活動」を「仕事」にする、
これが、精神的な生き方が合う辰巳天中殺の在り方である、
のかもしれません。
その時に避けて通れないのが、現実社会との折り合いです。
折り合い、というと、人間関係を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、
特に、創作とかの、個人事業要素が強い場合は、
それがいかにして、生活できるレベルにまで売れるか、
売れるだけの環境と縁ができたり、環境を整えたりできるか、
ということも重要です。
それを、音楽活動の中でやっている人の一人が、DというバンドのASAGIさんです↓
ここら辺、まさに辰巳天中殺(抜粋)↓
「活動できる場所があってこそ音楽ができるのだから、その活動場所を守ろう」「理想だけでバンドはやっていけない」という、辰巳天中殺ぽい、「現実のこの世の中で、バンドをやって食べていく」という、現実の波に揉まれながら、地に足のついた感のあるバンド・事務所経営をやっていたんですよね。
(ここまで)
私は今、経営は会社に任せてしまっているのですが、
もし、今後、個人事業主としてやっていくのなら、そういう、現実社会と折り合いをつける経営は必須だな、という学びを得ています。
とはいえ、私自身、そこらへんの能力はさほどでもない(=苦手である)気しかしないので、
あくまで、そういう、折り合いの守り要素は大事だ、と認識し、
この手の守りが得意な人に、ライフパートナー(ビジネスパートナー)になってもらう、それに足る人であろう、と決めているところです。
好きなことをやるだけで心は満たされるかもしれないが、
その「好きなこと」は、現実社会との折り合いをつけ、
時に、現実社会から自分を守っているからこそ、できることである。
これが、辰巳天中殺なら(そうでなくても?)、心に留置きしたい考えですね。
私にとって、「辰巳天中殺ではあるけれど、なるべく心の満足を追求」は、
生きる上で今取り組んでいるテーマの一つです。
また、考えたことや、学んだこと、やってみたことが出てきたら、
不定期に、この話をしていこうと思います。