先日、この動画を見ていたら、大変興味深い話がありました。↓
動画の1時間50分すぎからのお話です。
この動画はVtuberの対談なのですが、
Vtuberといえば「好きなことを仕事にしている」「自己実現している」の一形態でしょう。
だからこそ、仕事で悩みがあっても、人に話しにくい、話しても共感されるどころか、嫌味にしかならないから、話せない、というお話。
例えば、「ライブのステージ」に関する悩みや悶々とすることがあったとしたら、
一般人は「私そんなライブやらんし」「ライブやってるだけでいいじゃん」と返して終わり。
Vtuber同士で話しても、相手が自分より売れていなくて、ライブをやりたいけどまだその夢が叶っていないなら、妬まれて終わり。
・・・という感じなのだとか。
聞いてて思ったのですが、これ、Vtuberに限らず、自分が十分に自己実現できている人あるある、ではないかなと・・・。
この世の中、自己実現できている、つまり、自分の才能を存分に発揮できている人の方が、まだまだ少ないです。
そして、自己実現できている人の悩みや悶々というものは、「自己実現できている前提」があるので、その前提がないか、不十分な人は、そもそも、「自分はそんなに自己実現できていない、ずるい」とか「自己実現できてるだけで幸せじゃん」とかの感想になってしまうのは、ある意味、ごく自然です。
私自身、昨年10月の異動のときに
「周りから、異動先の仕事が得意だろうと勝手にみられていて、
たぶんそこまでできないだろうから、圧が重くてきつい」
と、何人かに漏らしたものですが、
その時の反応は、
「そもそも自分は得意だと期待されていない、だからあなたが何言ってるのかわからない」
「そんな謙遜しちゃって。得意なんでしょ?」
・・・という有様でした。
この調子では「希望が無視された」という話も全く通じないので、その話は、私の希望をよく知る、元の部署でお世話になった人にしか言っていません。
そもそも、私の職場では、「自己実現」している人は、おそらく少ないです。
職場を私利私欲に使っている人は時折見受けられますが、それは自己実現では断じてない・・・(ま、世の中の、自称「自己実現してる人」には、そういう人もいるので、ある意味「自己実現」といえなくもない)
そもそも、自分の得意なところへの希望なんて、出しようがない、与えられた仕事をこなしているだけだ、という人が主流でしょうから、
そんな人相手に「希望」の話をするというのがお門違いです。
こんなふうに、
本人にとっては、悩んだり、悶々としたりすることであっても、
その話が、周りには「自己実現できてるからこそのネタ」という、自慢話にすら聞こえてしまって、よろしくない、
というのが、自己実現できている人あるある、でしょうか。
だからこそ、自己実現できている、才能あふれる人(才能が漏れている人、ともいう)は、自分をなかなか人にわかってもらえず、孤独になりがちなのですよね。
自己実現で才能を漏らす、というのが、調舒星の世界である、ということがうかがえますね。
と、ここで本題につながるのですが、
動画では、「だから、人に話さずに、自然を見に行く、それが一番」という話に繋がっています。
私「激しく同意・・・!!!」
自己実現がある程度以上できている人は、
自ずと、自然体、つまり、命式の自然を体現し、自然の一部になっているから、
そんな自分を一番受け止めてくれるのは、
いつだって、自然そのものなのです・・・。
特にVtuberのような、日々デジタル漬け生活になっている人たちにとっては、
デジタルデトックスという意味でも、自然に触れるのはいいことですが、
それよりも、やっぱり、
自然体になっている人は
自然に惹かれるのが自然である!
もちろん、「他の、自分と同じくらい自然体になっている人」と縁があり、
その人と、互いの話を分かち合う、というのが、
「人と関わる人」としての最上の幸せなのでしょうが。
それがなかなか難しいから(そもそも、自己実現してる人って孤独になりがちだし)、素直に、自然そのものに会いに行くのが一番楽ですね。
動画でのお話を聞いて、なるほど、と思ったのは、
自然に会いに行く、というのは、
自然を見に行くことはもちろん、
自然の恵みである食べ物をいただくことも含まれる、と。
そうか、
食べることが好きで、その食べ物が、人工物(お菓子とかサプリメントとか)でないならば、
それはつまり、「自然に触れることが好き」ということなのですね!
五行別の肉・野菜を選ぶとかも、そうですよねえ↓
私が、今の生活で、
頭と体を良く動かしてくたくたになり、
良く寝て、美味しい物を食べれば、それが理想の生活である、
という「美味しい物」は、もちろん自然由来のものですから、
この、理想の生活は、
自然の要素ばかりで構成されている・・・!(自分の頭や体も、自然からのいただきものですから)
なるほど、だから、旅に出て自然を見よう、という欲が、以前より減ったのかもしれません。
旅に出て自然を見るときに、
どんな自然を欲するかは、人それぞれでしょう。
私の場合は、自身の命式の自然に近いものか、守護神(特に、命式の寒暖を整えるもの)を欲することが多いと感じます。
私の命式は、冬生まれの木で、大きな水流(壬子)と山(戌)もある、
だから、年末年始に、特に雪のある地域に行き、冬の雪や氷の中にある、雪山と木を見ることが多いですね・・・。
今年の立春も、新潟行きまして、電車に乗りながら、雪山と木をぼーっと無心で眺めていたのですが、無心で大変心地よかったです。
10年近く前に、親の介護をン年間やってたときは、なかなかきつかったのですが、
毎年冬に、親が、実家の北海道に帰っており、そこで介護生活だったのが、数少ない心の支えになっていたのだ・・・、と、今振り返って思います。
雪が積もり、近くに雪山や木もたっぷりありましたのでね。
あと、私は、温泉で程よくあったまるのが好きなのですが、
そりゃ、第一守護神が火で、冬の雪や氷がキンキンの世界で、真っ先に暖が欲しいから、そうなるよ、というところ。
逆に、夏の命式で、カラカラに渇いたり、熱かったりする人は、
釣りをするとか、海や川で遊ぶとかで、体を冷ますのが好きだったりするんでしょうかね。
そして、木が守護神な人や、命式に木がそれなりにある人は、牧場とか、フラワーガーデンとかが好きだったりするんでしょうかね。
登山が生きがいの人は、土、特に戊が日干か守護神。
(実際、職場の山登り好きな人は、自身が甲で北方三位の亥、子、丑が地支に揃っており、めちゃくちゃ土が欲しい命式だという。)
家庭菜園や畑いじりが好きな人は、土、特に己を欲している、とか。
色々、想像の余地があるからおもしろいです。
自然が好きな人の、「どんな自然が好きか」と、その人の命式との組み合わせのデータが集まれば、「こんな自然を欲する!」という、面白いネタになるかもしれませんね。