隣の奥様ったら、
最近旦那さんとハワイ旅行に
行ったざますのよー。
お金持ちはいいざますわねー。
ざーます。ざーます。
どうも、ざーますデグこと、
わしじゃ。
みんな、隣の奥様の陰口聞いてるか~い♪
わしは、この「陰口」という言葉の使い方に
少々疑問を感じとるのじゃ。
ときたま、こんなことを言う方がいる。
「陰口はよくない。言いたいことは正々堂々と言うべき」
上記のような発言をするものを、
わしは哀れんでしまう…。
「あっせーなー!」と。
自分の言っていることに酔っていて、
その言葉の真の意味がわかっていない感じがするからじゃ。
そもそも「陰口」なんてもんは、
言い方にもよるが、
わしは、弱者に与えられた武器だとさえ思っている。
なぜか?
「陰口はよくない」と思っている方の意図は、
以下の2つに集約される思う。
①ネガティブな発言をすると、やがて自分の心も体も病んでしまう。
②悪口を言うなら本人の前で言うべきで、影で言うのは卑怯だ。
この2つの考え方は、いずれも強者の考え方で、
必ずしも弱者の立場に立っていないのじゃ。
つまり、いいことを言っているフリをして、
弱者にムチを打っているとも思える。
もしくは、さして深い考えがなく、
ただてきとーに言っているのかもしれない。
わしはこの「陰口はよくない」という、
ポジティブまっすぐ発言は、
弱い立場になったことのない者の、
無知から来るのではないか?と思っている。
だから完全否定するのじゃ。
むしろ影で毒をはく者に、可愛らしささえ感じるど。
まず①についてじゃが、
ネガティブな発言をすると、心が余計に病むというのは
真っ赤な噓じゃ。
日常でたまったストレスは、適度に吐き出さないと
どんどんとたまって、逆に健康に良くない。
大切なのは、いつまでもグチグチと言わないこと。
つまり根に持たないことで、
いったんガーッっと毒をはいたら、
忘れてしまうことが大事じゃ。
次に②についてじゃが、
正々堂々と面と向かって毒を吐き出せない者は、
その者が、精神的、あるいは社会的に弱者だからじゃ!
例えば北朝鮮で、
将軍様にたいして、正々堂々と毒をはいたらどうなるんじゃ?
「将軍様の刈り上げって、だせーっす」
「そうか。お前死刑ね」
となるじゃろ?
グチや陰口は、弱者の特権で
立場の強い者が、弱い者にたいして使ってはならないと思うが、
弱者に「陰口はよくない」というのは、
死人にツバをはくような最低の行為じゃ。
だからわしは、誤解をおそれずに
このブログを読んでいる者に、堂々と言ってやる。
みんなどんどん陰口を言え!
言ってスッキリしとけ!
ただし、先ほども言ったが、
この陰口には最低限のマナーがあると
わしは思うのじゃ。
それは、自分よりも社会的・精神的に
弱い者にたいして言わないこと。
何度も言うが、陰口は「弱者の特権」なのじゃ。
さらにいうなら、
なるべくどこかにユーモアを入れること。
例)将軍様って、人民のことなんも考えてねーべ!いつも刈り上げだし!
ユーモアの入らない陰口だと、
後味が悪くなって、
陰口を言っている本人のイメージダウンと
なってしまう場合があるから、そこは気をつけねばならんのじゃ。
それでも「陰口はよくない」と思っているタフネスさんは、
堂々と本人の前で言えばいい。
「王様は、はだかじゃ!」と。
ギロチン台に向かうのが怖くないという強者なら、
それもいいじゃろう。
しかし、自分がタフだからと言って、
弱者のグチを、否定してはいかんど。
弱者のグチを否定した社会を、
なんと言うか知っとるか?
ファシズムじゃ。
いまは日曜日の朝じゃ。
オハサンデー。
どうもわしじゃ。
いや~さわやかな朝じゃなぁ。
なんでこんなにサワヤカなんじゃろう?
きっとわし自身のサワヤカさが
気候にも影響しとるんじゃろうな。
今のわしのサワヤカさといったら、
イランも北朝鮮も核開発をやめて
ホットケーキでもつくってしまうほどやで!
しょーもない挨拶はこれくらいにして、
今日はワシの大好きな映画に共通する
とあるジャンルについてお話するど。
そのワシの好きなジャンルとは
「孤独系」じゃ!
そんなジャンル聞いたことないじゃと?
そらそうじゃ!
聞いてびっくらこくなよ!
「孤独系」は、わしが勝手に名付けたジャンルなんじゃ!
はーはー。ぜいぜい。
んでな、この孤独系映画とは、
映画内の登場人物が、とにかく孤独な感じを漂わせている
哀愁あふれる映画のことじゃ。
例えばどんな映画かと言えば、
だーっと作品を挙げると…
『エルトポ』
『惑星ソラリス』
『復活の日』
『2001年宇宙の旅』
『真夜中のカーボーイ』
『インディアン・ランナー』
『タクシードライバー』
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
『バートン・フィンク』
『ゾンビ』
『アイ・アム・レジェンド』
とかじゃ。
とにかく登場人物の孤独感がハンパない映画なんじゃな。
その孤独感というのは、精神的なものであったり、
物理的にだーれもいない空間でひとりぼっちであったり。
「この世には誰もいない」とか
「誰も助けてくれない」みたいな、
わしはそういうシチュエーションに弱いんじゃ。
みんな映画などを見る時には、
それぞれのツボってのがあると思うが、
わしのツボは「孤独感」なんじゃ。
わし自身のダークな孤独感とシンクロするのかもしれんのぅ。
うへへへ。
そんな孤独系映画の中でも、わしが最高峰だと思う
スンバラスぃ~作品が、
『真夜中のカーボーイ』じゃ。
この作品のタイトルの「カーボーイ」は
本当は「カウボーイ」が正しいんじゃが、
当時、配球会社にいた、あの水野晴朗さんが、
なぜだか「カーボーイ」という表記にしてしまったそうじゃ。
この映画には孤独ファンにはたまらないエッセンスがぎっしりじゃ!
いっとくが、わしは映画の話しをする時には、
オチまで言うど?
映画の良さはストーリーだけでは決まらないと思っているからじゃ。
「オチ知ったら台無し」と思う方は、この先を読まないでいただきたい。
テキサスの田舎からNYに出てきた、
カウボーイみたいなニィちゃん
(なんとアンジェリーナ・ジョリーのリアル父ちゃんじゃ!)
彼は、都会に行けば「俺みたいな美男子はモテモテ!
きっと女が金はらって買ってくれる!」と
アホのように信じておるのじゃ。
右も左もわからないまま、カウボーイハットをかぶって
女をナンパするが、都会の女は見向きもしない。
そこに現れたのが、ホームレスのきったねぇおっさんラッツィオ。
(ダスティン・ホフマン)
2人は、NYの町の中で見捨てられてしまったかのように、
ホームレス生活を始めるんじゃ。
もうそのへんの孤独感がたまらん!
いままで住処にしてた廃墟ビルが建て壊されて、
行き場がなくなるとこなんて、
ドンブリ飯3杯はいけるのじゃ!
そこに追い打ちをかけるように
有名なハーモニカのテーマ曲が流れる。
このテーマ曲を聞いただけで、
わしの涙腺は自動的に開くようになっておるのじゃ。
きったねぇオッサンのラッツィオには実は夢がある。
「いつか太陽の輝くカルフォルニアにいって美女に囲まれて暮らしたい」
なぜだかわからんが、
この映画の登場人物は、どいつもこいつも
勘違いしておるのじゃ。
いまの現状がみじめなのは、住んでいる土地が悪いから…と。
きっと、遠くに行けば、夢のような世界が待っていると。
現実逃避じゃな。
しかし彼らには、それくらいしか希望がないのじゃ。
金がなくなって、ホームレス生活も危うくなってくると、
ラッツィオは、ひどい病気になってしまう。
(おそらく結核)
2人は盗んだ金で、最後の希望を持って、
カルフォルニア行きの長距離バスに駆け込むのじゃ。
バスの中でも、ラッツィオの容態は悪くなる一方じゃ。
明るい太陽。風になびくヤシの木。
窓の外には楽園のようなカルフォルニアの町が見えて来た。
「おい!ラッツィオ!カルフォルニアだぞ!」
カウボーイがそういって、隣のラッツィオを見ると、
彼は目を見開いたまま、息絶えておるのじゃ。
こんな名作には、なかなか出会えない。
わしは孤独系映画ファンにはたまらない、
数十年に一本の傑作だと思っておるのじゃ。
オハサンデー。
どうもわしじゃ。
いや~さわやかな朝じゃなぁ。
なんでこんなにサワヤカなんじゃろう?
きっとわし自身のサワヤカさが
気候にも影響しとるんじゃろうな。
今のわしのサワヤカさといったら、
イランも北朝鮮も核開発をやめて
ホットケーキでもつくってしまうほどやで!
しょーもない挨拶はこれくらいにして、
今日はワシの大好きな映画に共通する
とあるジャンルについてお話するど。
そのワシの好きなジャンルとは
「孤独系」じゃ!
そんなジャンル聞いたことないじゃと?
そらそうじゃ!
聞いてびっくらこくなよ!
「孤独系」は、わしが勝手に名付けたジャンルなんじゃ!
はーはー。ぜいぜい。
んでな、この孤独系映画とは、
映画内の登場人物が、とにかく孤独な感じを漂わせている
哀愁あふれる映画のことじゃ。
例えばどんな映画かと言えば、
だーっと作品を挙げると…
『エルトポ』
『惑星ソラリス』
『復活の日』
『2001年宇宙の旅』
『真夜中のカーボーイ』
『インディアン・ランナー』
『タクシードライバー』
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
『バートン・フィンク』
『ゾンビ』
『アイ・アム・レジェンド』
とかじゃ。
とにかく登場人物の孤独感がハンパない映画なんじゃな。
その孤独感というのは、精神的なものであったり、
物理的にだーれもいない空間でひとりぼっちであったり。
「この世には誰もいない」とか
「誰も助けてくれない」みたいな、
わしはそういうシチュエーションに弱いんじゃ。
みんな映画などを見る時には、
それぞれのツボってのがあると思うが、
わしのツボは「孤独感」なんじゃ。
わし自身のダークな孤独感とシンクロするのかもしれんのぅ。
うへへへ。
そんな孤独系映画の中でも、わしが最高峰だと思う
スンバラスぃ~作品が、
『真夜中のカーボーイ』じゃ。
この作品のタイトルの「カーボーイ」は
本当は「カウボーイ」が正しいんじゃが、
当時、配球会社にいた、あの水野晴朗さんが、
なぜだか「カーボーイ」という表記にしてしまったそうじゃ。
この映画には孤独ファンにはたまらないエッセンスがぎっしりじゃ!
いっとくが、わしは映画の話しをする時には、
オチまで言うど?
映画の良さはストーリーだけでは決まらないと思っているからじゃ。
「オチ知ったら台無し」と思う方は、この先を読まないでいただきたい。
テキサスの田舎からNYに出てきた、
カウボーイみたいなニィちゃん
(なんとアンジェリーナ・ジョリーのリアル父ちゃんじゃ!)
彼は、都会に行けば「俺みたいな美男子はモテモテ!
きっと女が金はらって買ってくれる!」と
アホのように信じておるのじゃ。
右も左もわからないまま、カウボーイハットをかぶって
女をナンパするが、都会の女は見向きもしない。
そこに現れたのが、ホームレスのきったねぇおっさんラッツィオ。
(ダスティン・ホフマン)
2人は、NYの町の中で見捨てられてしまったかのように、
ホームレス生活を始めるんじゃ。
もうそのへんの孤独感がたまらん!
いままで住処にしてた廃墟ビルが建て壊されて、
行き場がなくなるとこなんて、
ドンブリ飯3杯はいけるのじゃ!
そこに追い打ちをかけるように
有名なハーモニカのテーマ曲が流れる。
このテーマ曲を聞いただけで、
わしの涙腺は自動的に開くようになっておるのじゃ。
きったねぇオッサンのラッツィオには実は夢がある。
「いつか太陽の輝くカルフォルニアにいって美女に囲まれて暮らしたい」
なぜだかわからんが、
この映画の登場人物は、どいつもこいつも
勘違いしておるのじゃ。
いまの現状がみじめなのは、住んでいる土地が悪いから…と。
きっと、遠くに行けば、夢のような世界が待っていると。
現実逃避じゃな。
しかし彼らには、それくらいしか希望がないのじゃ。
金がなくなって、ホームレス生活も危うくなってくると、
ラッツィオは、ひどい病気になってしまう。
(おそらく結核)
2人は盗んだ金で、最後の希望を持って、
カルフォルニア行きの長距離バスに駆け込むのじゃ。
バスの中でも、ラッツィオの容態は悪くなる一方じゃ。
明るい太陽。風になびくヤシの木。
窓の外には楽園のようなカルフォルニアの町が見えて来た。
「おい!ラッツィオ!カルフォルニアだぞ!」
カウボーイがそういって、隣のラッツィオを見ると、
彼は目を見開いたまま、息絶えておるのじゃ。
こんな名作には、なかなか出会えない。
わしは孤独系映画ファンにはたまらない、
数十年に一本の傑作だと思っておるのじゃ。
あれじゃな。
そろそろ日本全国暑くなってきて
汗だらりんちょでやっとられんな。
あ、そうそうワシじゃ。
だいぶブログ書いておらんかったから、
わしが誰だか忘れてしまったかのぅ?
忘れちゃいや~ん。
久々にブログを書くなら
めっちゃおもろい話がええのぅ。
と、あれやこれや思っているうちに
こんなに時間が経ってしもうた。
わしは今年の1月に
『ベッドメイクして死ぬわ』という自主制作映画をyoutubeに
アップしたんじゃが(良い子はもう見たじゃろ?)
そろそろ、次の映画を作ろうとしとるのは
ここだけの秘密じゃ。
でな、今回のおはなしは、
日本映画界の中でもトップクラスのアホで
泣く子もつまらなくて寝てしまう
凄腕アホホん監督、佐藤 純彌(さとうじゅんや)大監督のお話じゃ!
知っとるかのぅ?
佐藤 純彌。
もうおじいちゃんになってると思うが、
昭和を代表する巨匠じゃぞ。
代表作といえば
『新幹線大爆破』
『敦煌(とんこう)』
『北京原人WHO ARE YOU?』
『男たちの大和』
などなど、どれも金のかかった大作ばかりじゃ。
結論から言うと、
この佐藤 純彌という男には、まったく才能がない!
才能もないし、センスもない!
びっくりするくらいダメな監督じゃ。
別に映画にくわしくなくたって、
少しでも理性的に、映画を見られる方ならわかるはずなんじゃが、
わしが最も驚くのは、
彼に仕事を次々と与えてしまった
プロデューサーじゃ。
だって…金をどぶに捨ててるようなものだからな。
彼の映画には
作家性があまりない。
同時代の鈴木清順などにくらべ、
この監督だ!と思わせる個性がないのじゃ。
つまり無個性なんじゃな。
そんなしょーもない佐藤 純彌の映画の売り方は
いつも同じパターンで、
「なにそれ、おもしろそう!」と思わせることに
全精力を使っていると思われる。
「大爆破」やら「北京原人」やら「大和」やら
見出しだけ、でっかくぶち上げて
話題だけで売ろうとする、ようするに誇大広告なわけじゃ。
『敦煌」なんて、わし覚えておるんじゃが、
公開初日の早朝に「大ヒット上映中!」とか
テレビでやっとったど。
まぁどうせ、関係者で前売り券をさばきまくって
「大ヒット」とか言ってたんじゃろうな。
彼には個性がないと言ったが、
どういうことか、もうちっとわかりやすく言うと、
撮り方が定番すぎるのじゃ。
カメラワークはいたってふつー。
基本的に冒険しないのじゃ。
きっとカメラマンに対し「指示」すらしてないんじゃないか?
監督業というのは不思議な職業で、
全部やろうと思えば、全部やれる。
自分で脚本書いて、撮影して、編集して
人によっちゃ主演までしちゃう。
だが、やろうと思わなければ
何もしなくても、仕事が進んじゃう。
それが監督なんじゃ。
わしは自分の業界にいて、
この「自分で何もしない」タイプの監督(ディレクター)を
山ほど見てきた。
でも、そういう奴にかぎって
人気があり、仕事がわんさかあったりするのじゃ。
なぜそうなるのか?
それは簡単じゃ。
ようするに、そういう「なんもしてないのに仕事くる」っていう監督は、
世渡りがうまいのじゃ!!!
映像業界なんて、本来、変人の集まりじゃ。
普段から自分の描きたいことを妄想して、
人と違った視点で世の中を見ている
変態ちゃんが多いのだから、
人付き合いが苦手なんじゃ。
そんな世界で、個性がないのに仕事が来る奴ってのは、
これはもう営業マンタイプだからなんじゃ。
実際に、佐藤 純彌の映画を撮っていたカメラマンが
「監督は、本番中にちょくちょく、よそ見をしていた」と
彼のやる気のなさをバラしてしまっている(笑)
しかし日本映画界にとって、本当に問題なのは、
佐藤 純彌というアホホん自身ではなく、
才能のない彼に、仕事を与え続けていたという事実じゃ。
つまり、作品の内容なんてロクに見ちゃいない、
見ても善し悪しを判断できないアホホんが、
プロデューサーをやってるということが大問題なのじゃ。
もし作品の良さを冷静に見極められる(つーか当たり前だが)
プロデューサーならば、
佐藤 純彌に仕事を振ることすらないじゃろ?
最近わし、『沈まぬ太陽』という山崎豊子原作の映画を見たんじゃ。
原作も読んでいたから、
どうやって描いているか興味あったんじゃ。
いや~びっくりした。
久々に見たんじゃ。
佐藤 純彌タイプのはったり監督、
その名は若松節朗。
たぶん彼も本番中によそ見してると思うど。
そろそろ日本全国暑くなってきて
汗だらりんちょでやっとられんな。
あ、そうそうワシじゃ。
だいぶブログ書いておらんかったから、
わしが誰だか忘れてしまったかのぅ?
忘れちゃいや~ん。
久々にブログを書くなら
めっちゃおもろい話がええのぅ。
と、あれやこれや思っているうちに
こんなに時間が経ってしもうた。
わしは今年の1月に
『ベッドメイクして死ぬわ』という自主制作映画をyoutubeに
アップしたんじゃが(良い子はもう見たじゃろ?)
そろそろ、次の映画を作ろうとしとるのは
ここだけの秘密じゃ。
でな、今回のおはなしは、
日本映画界の中でもトップクラスのアホで
泣く子もつまらなくて寝てしまう
凄腕アホホん監督、佐藤 純彌(さとうじゅんや)大監督のお話じゃ!
知っとるかのぅ?
佐藤 純彌。
もうおじいちゃんになってると思うが、
昭和を代表する巨匠じゃぞ。
代表作といえば
『新幹線大爆破』
『敦煌(とんこう)』
『北京原人WHO ARE YOU?』
『男たちの大和』
などなど、どれも金のかかった大作ばかりじゃ。
結論から言うと、
この佐藤 純彌という男には、まったく才能がない!
才能もないし、センスもない!
びっくりするくらいダメな監督じゃ。
別に映画にくわしくなくたって、
少しでも理性的に、映画を見られる方ならわかるはずなんじゃが、
わしが最も驚くのは、
彼に仕事を次々と与えてしまった
プロデューサーじゃ。
だって…金をどぶに捨ててるようなものだからな。
彼の映画には
作家性があまりない。
同時代の鈴木清順などにくらべ、
この監督だ!と思わせる個性がないのじゃ。
つまり無個性なんじゃな。
そんなしょーもない佐藤 純彌の映画の売り方は
いつも同じパターンで、
「なにそれ、おもしろそう!」と思わせることに
全精力を使っていると思われる。
「大爆破」やら「北京原人」やら「大和」やら
見出しだけ、でっかくぶち上げて
話題だけで売ろうとする、ようするに誇大広告なわけじゃ。
『敦煌」なんて、わし覚えておるんじゃが、
公開初日の早朝に「大ヒット上映中!」とか
テレビでやっとったど。
まぁどうせ、関係者で前売り券をさばきまくって
「大ヒット」とか言ってたんじゃろうな。
彼には個性がないと言ったが、
どういうことか、もうちっとわかりやすく言うと、
撮り方が定番すぎるのじゃ。
カメラワークはいたってふつー。
基本的に冒険しないのじゃ。
きっとカメラマンに対し「指示」すらしてないんじゃないか?
監督業というのは不思議な職業で、
全部やろうと思えば、全部やれる。
自分で脚本書いて、撮影して、編集して
人によっちゃ主演までしちゃう。
だが、やろうと思わなければ
何もしなくても、仕事が進んじゃう。
それが監督なんじゃ。
わしは自分の業界にいて、
この「自分で何もしない」タイプの監督(ディレクター)を
山ほど見てきた。
でも、そういう奴にかぎって
人気があり、仕事がわんさかあったりするのじゃ。
なぜそうなるのか?
それは簡単じゃ。
ようするに、そういう「なんもしてないのに仕事くる」っていう監督は、
世渡りがうまいのじゃ!!!
映像業界なんて、本来、変人の集まりじゃ。
普段から自分の描きたいことを妄想して、
人と違った視点で世の中を見ている
変態ちゃんが多いのだから、
人付き合いが苦手なんじゃ。
そんな世界で、個性がないのに仕事が来る奴ってのは、
これはもう営業マンタイプだからなんじゃ。
実際に、佐藤 純彌の映画を撮っていたカメラマンが
「監督は、本番中にちょくちょく、よそ見をしていた」と
彼のやる気のなさをバラしてしまっている(笑)
しかし日本映画界にとって、本当に問題なのは、
佐藤 純彌というアホホん自身ではなく、
才能のない彼に、仕事を与え続けていたという事実じゃ。
つまり、作品の内容なんてロクに見ちゃいない、
見ても善し悪しを判断できないアホホんが、
プロデューサーをやってるということが大問題なのじゃ。
もし作品の良さを冷静に見極められる(つーか当たり前だが)
プロデューサーならば、
佐藤 純彌に仕事を振ることすらないじゃろ?
最近わし、『沈まぬ太陽』という山崎豊子原作の映画を見たんじゃ。
原作も読んでいたから、
どうやって描いているか興味あったんじゃ。
いや~びっくりした。
久々に見たんじゃ。
佐藤 純彌タイプのはったり監督、
その名は若松節朗。
たぶん彼も本番中によそ見してると思うど。