
エジプト南部ルクソールにある、ルクソール神殿は、カルナク神殿から南へ約2.5㎞、ナイル川の流れに沿って建てられてある。この壮大な両神殿は数多くの連続した段階を経て造営されており、それは、第18王朝初期のファラオたちに始まって、第19王朝ラメセス2世とそれ以降の統治者たちによる大がかりな増築によって頂点に達するものだった。
ルクソール神殿は古代テーベの心臓部に位置しており、カルナクと同じくアムンあるいはアムン=ラーという神に捧げられていた。ここで崇拝されていたのは、この神の顕現のなかでも特殊かつ独自性を保っていたため、カルナクのアムンの「訪問」を毎年受けたのである。「美しきオペト※祭」と呼ばれ、 アケト(ナイル川の氾濫期)の2番目の月に祝われる古代エジプトの年次祭。この祭りは、アムン=ラーと、アムン=ラーの精神的な子孫であると信じられていたファラオの豊穣を促進するために祝われた。
※もともとテーベ付近の守護女神
1年に1度の祭礼の折りに、カルナクの大神アムン=ラー(神像)はテーベ地域で最も重要だったこの祭に参加するため、約2.5㎞南のルクソールの聖域を訪れた。その内奥の部屋すなわち「南のオペト」にアムン=ラー(神像)は、古代テーベ三柱神の他の神々(妻のムトと息子のコンス)の神像をともない、ルクソール神殿に鎮座するアムン(神像)を訪問したのである。この祭礼儀式は在世中の王の神聖な血統を暗示する「聖婚」を行うためだったり、王の役割と権力を更新する戴冠式であったり、神が王にもたらす活力回復の返礼として、王による特別な供物の奉献もおこなわれており、神と王、双方の再生の祭礼であったとみなせるかもしれない。
神像の移動の手段は、初期の頃は行きは、神官たちが肩に担いだ聖舟に載せ陸路を使い運び。帰りは、ナイル川が利用され、神像を載せた神の儀式用舟が国王自身の御座舟にともなわれカルナクまで戻った。
神殿の船着き場からその主要な入口まで通じる、そして異なる神殿を陸路でつなぐ場合もある参道は、かなり古い時期から舗装や、なんらかの目印によって神殿入口の目印となり、守護の役割を果たす彫像がしばしば参道を飾るようになった。カルナクとルクソール両神殿を結ぶ参道は約2.5㎞あるが、そこには第30王朝ファラオのネクタネボ1世(在位前380~前362年)が作った、自身の頭部とライオンの身体を結びつけたスフィンクスが並べられた。それは第18王朝ハトシェプストの頃までさかのぼるほど早い時期に、少なくとも参道の一部に沿って建立されたあと荒廃していた古いスフィンクスに代わるものだった。

シュヴァレ・ド・ルービッチ氏(ルービッツやリュビッツとも表記される。フランスの哲学者・数学者1891~1962)の、ルクソール神殿は人間の身体をシンボル的に表しているという「人類の神殿」説の他に、18王朝時代の軸線と19王朝の軸線が曲がっている理由は、カルナクのアメン大神殿に至るスフィンクス参道の直線上に建物が作られたからだとか、ルクソール神殿の中庭にとりこまれた「三柱神の聖舟の休息所」の方向にあわせたためだとか、ナイル川の流れが曲がったからだとか、いろいろ説があります。

★参考・参照
◎本
・PHP研究所 「沈黙の神殿 」 大地舜:著
・㈱東洋書林 「 古代エジプト神殿大百科」リチャード・H・ウィルキンソン:著 内田杉彦:訳
・日本テレビ放送網㈱ 「エジプト5000年をゆく(2)神秘の都・テーベ」 執筆・監修:吉村作治 執筆者:桜井清彦 川床睦夫 吉成薫 近藤二郎 山崎由美 解説執筆者:内田杉彦 張替いづみ 岩出まゆみ 松本弥 川畑尚子 写真:和田靖夫 熊瀬川紀 村井吉直 早稲田大学古代エジプト調査室 復元図:中嶋明 編集・デザイン:㈱アトリエ・ビスタ
・㈱講談社 「世界の文化史蹟第1巻 ナイルの王墓」 杉 勇:編著 安倍道明、仁田三夫:撮影
・㈱講談社 「世界の大遺跡②ナイルの王墓と神殿」 櫻井清彦:編著 江上波夫:監修 熊瀬川紀/赤地経夫 他 :撮影
・ライフ人間世界史 「古代エジプト」
・㈱原書房 「ヴィジュアル版 古代エジプトの世界」チャールズ・フリーマン:著 内田杉彦:監訳者
・㈱エクスナレッジ 「古代エジプト解剖図鑑」 近藤二郎:著
◎ウェブ
・Wikipedia
・世界のオベリスク ラムセス2世のオベリスク
・ニコニコ動画 吉村作治チャンネル 神々の集う都
・JANISホームページ ルクソール神殿

















