“yoshimi friends”~ よしみ と ともちゃん ~あなたに“可愛い”をお届けします~ (^-^)/♪

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yoshimiから、あなたにたくさんの”可愛い”をお届けします。
“可愛い”作品と日々の日常を綴りながら、あなたを幸せな笑顔に~(^-^)/♪









 
今日ご紹介させていただく、1976年出版の『深い泉』。上のイラストは、内容のイメージ図ですニコニコ音譜音譜
 
この本は、著者カール•ニーランデル※1,
(1932年生まれ考古学者)が、深く哀悼されつつ世を去った、友人であり考古学者のハンス•ヘニング•フォン•デア•オステン※2の追悼に捧げられました。ハンスの教え子に与えられた考古学にたいする情熱と魅力を忠実に伝えようとした内容ですニコニコラブラブラブラブ
  
 考古学はわれわれにたいし、人類をそのあるがままの未完の形と挫折した努力において敬い、畏れ、そして愛することを教えてくれる学問です。そのことを表した部分の抜粋です。長文になりますが是非お読み ください爆笑ベルベル



 研究者としての反応と人間としての反応にギャップがあるとき、考古学者のジレンマが生ずる。知識の拡大と認識の深化は破壊された都市の悲劇を十分つぐなうと考えたがる向きもあるかもしれない。またはアクロポリスからすばらしい芸術品が救いだされたことは、その防衛のために死んだ人びとの悲劇の埋め合わせになる、と考えるものもあるかもしれない。


 しかし長い歴史の眼で見るならば、善と悪、哀憐と有用性の較量はまったくの筋違いであり、単純にすぎるもののように思われる。これにたいして、研究者の任務は事実を記録し、解釈することにあって、過去について判断し、衡量し、道徳的評価を加えることではない、という反論も成り立とう。まったくその通りである。


 だが、過去における人間の活動にたいして、まったく冷たく客観的な見方をするのでないかぎり、この問題を完全に回避することは困難である。この点についていえることは、われわれの態度に分裂があるということだけであろう。人間的な研究者はたえず、知識を豊かにし、過去をうかがい見る機会を提供してくれる、このような悲惨な出来事にたいして、呪詛の気持ちと奇妙な感謝の思いの間をたえず揺れ動いていなければならないのである。


 私は20年後の今日なお、ジャック・ロンドンの『野生の呼び声』の一節を記憶している。その主人公のイヌがキャンプ•ファイアのかたわらでうずくまり、炎をじっと凝視している。このイヌの魂の原型的な深淵ともいうべきもののなかにおいて、かつて半ば野生のオオカミであったころ、恐ろしかったが制御できない魅力に惹かれて、毛皮を着た原始人のたく火のそばに近寄った、遠い過去の一種の記憶ともいうべきものがよみがえってくるのである。


 私は居間の暖炉の火を眺めるときいつも、このようなヴィジョンを思い起こし、かつて人類が火の回りに集まり、この魔法の一画だけに暗闇の未知の恐怖から逃れ安息を見いだした、地上における人類の生活における時間と階段とをつねに戦慄をもって思い出したのであった。


過去の研究に献身するものにとって、こういう経験はしょっちゅうであり、なれっこになってしまう。彼は生存の図式には縦軸のあることをますます強く感じるようになる。これに思いをいたすとき、すべての日常の行動、すべての思考、すべての愛情の動きのなかに何という眼の眩むような深さが潜んでいることであろうか。

 われわれの何気ない楽しみ、一つの思想、一枚の絵、一節のメロディのかげに、本の1頁、1頁に、何という累積された感謝があることであろう。そこにはどれほど多くの古代の困難、失望および征服が積み重ねられていることであろう。

 古代に比べれは、われわれの恐怖も悲しみも愛もとるにたりないものであろう。それはあたかもわれわれの周囲を声がとりまき、どこもかしこも足音、動き、涙、愛撫、笑いで満ち満ちているかのようである。過去の物語はより身近なものになり、現在の時制にすべりこんでくるのである。そしてついには生者と死者の境界がぼやけ、幻のようになってくる。
 

 過去は深い泉のようなものだとされてきた。縁(へり)に立ってなかをのぞきこみ、その水を飲むことによってわれわれは日々新たに、われわれの住む巨大な水平的世界における深さの次元について、新たに思いをいたすようになる。人はますます
過去への感謝の重荷を強く感じるようになり、あまりにも多くの人びとが永遠に過ぎ去って二度と帰ってこないものと思いたがるもの(過去の世界)との連帯性と親近感を感じるようになるのである。

 われわれの背後に横たわっているものの研究は、人類の価値と、何らかの達成を求めてつづけられる長く、錯誤に満ちながらけっしてむだではない努力における具体的成果の価値をいっそう深く認識させるものである。なかでも―神秘的な非合理的なものはすべて別として―この過去の経験は生者と死者にたいせる大きな安心感、広い交流感を与えている。

 人間はすべてサモトラケの永遠の船(ギュンナー•エケリョーフの詩)を漕ぐのである。だれも彼もがやがては船尾に下がり消えていく。ギリシア人! フェニキア人!クレタ島人! 櫂をかくエジプト人! そのずっと後方には櫂を操り、うずくまり、泳いでいる原始人!… しかし嵐、風、櫂、汗、疲労、港の夢、湧き上がる漕ぎ手の絶望と希望の歌は同じであった、つねに。



※1)1932年生まれ。スウェーデンのウブサラ大学卒業後、ギリシアで研究。その後、アゼルバイジャンで3年間、イタリアで4年間発掘調査。イタリア、ビテルボのエトルリア遺跡のスウェーデン発掘調査団野外調査主任。その後イランでアーケア美術•建築を、ギリシア、トルコで古代建築を調査研究。ヨーロッパをはじめ、中央アメリカ、近東など、広く調査旅行をしている。
 
※2)ハンス•ヘニング•フォン•デア•オステン
についてわかっていることは次のみ。
 1951年から1960年7月に急逝するまでウブサラ大学でオリエント考古学を教えていた。



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★参考・参照
本)
・㈱学生社  深い泉  著者:カ
 ール・ニーランデル 訳者:杉辺利英
・パイ インターナショナル 秘境国
・主婦と生活社番町書房 発売元フラ  
 ワー  世界の楽園⑥ アフリカ
・㈱平凡社 日本3百名山ひと筆書き
 田中陽希日記 著者:田中陽希
・㈱池田書房 これからのキャンプの
 教科書 監修者:寒川一  


   
                        





★地球の大きさを知っていた古代人ウインクキラキラ

 紀元前2世紀の終わりごろ、ギリシアの文法学者でプトレマイオス朝エジプト王の家庭教師であったアガタルキデスは、大ピラミッドの底辺の一辺の長さは、地球の外周の1分いっぷん(すなわち1度の60分の1)の8分の1であると古い伝承で聞かされた。このことから、ピラミッド建造した者たちは、地球の外周が、4万キロをわずか下回る数字であったのを知っていたことがわかる。この数字は、エラトステネス※1の積算よりもさらに正確だプンプンプンプンアップアップこの証拠は、古代エジプト人が、地球が球体であることだけでなく、その大きさをわずか数キロの誤差で知っていたことに疑いの余地がない。そしてこれらのことが2つの可能性のどちらかをしめしているということになります。1.エジプト人自身が地球を一周できる力のある船隊を持っていたか、あるいは、2.そういう船隊を実際に有していた誰かからの情報を持っていたかである。だが、もうひとつ可能性がある。あなたや私のような普通の人間でも、実に驚くべき脳の力を秘めているという、ベンジャミン・ブライズという6歳児の話だ。(漫画ではともちゃん)爆笑爆笑クラッカークラッカー
 
  1826年のこと、 父親と散歩中だった彼は「今何時?」とたずねた??「7時50分だよ」と父は答えたニコニコニコニコそれから5分ほど歩いたところでベンジャミンは言った。「だったら、僕の生きた時間は…」、彼はひとつの数字を示した。1億9000万秒に近い数字だった。父親はそれをとっさに書きとめ、家に帰ってから紙で計算してみた。彼は言った。「いや、 17万2800秒ほど間違えてるよ」。「ううん、間違ってないよ」とベンジャミンは答えた。「お父さん、閏年を2回飛ばしているよ」びっくりびっくりビックリマークビックリマーク

 また、別の例では、知的障害がありながら、24桁もの素数を指摘し合って遊んでいた双子がいたという。どうやら人間の脳は、極めて奇妙な配線と容量を持つことができるようだ。そしてこれがしばしば子供やサヴァン症候群者※1に見られるという事実は、現代人がいつの間にか台なしにしてしまった能力であることを示しているのかもしれないえーんえーん泣泣つまり、専制的な左脳の発達とともに、往古の知識は失われたのかもしれませんガーンガーンDASH!DASH!

 他にもyoshimiが思う、この超人的能力の例がある。

ニネヴェ定数...われわれの遠い祖先は、現代科学が探求する知識とは別種の知識を持っていた。このような知識を示唆するのは、たとえばあの「ニネヴェ定数」だ。19世紀中庸にアッシュールバニパルの書庫の銘板に見つかった15桁に及ぶ膨大なこの数は、春秋分点歳差の周期を秒で表したものであることが判明したびっくりびっくり流れ星流れ星さらに大きな数が、中央アメリカはキリグアの祭祀遺跡で発見されている。われわれの祖先がわれわれよりもはるかにものをよく知っていたことは間違いないようだプンプンプンプン宝石赤宝石赤

 アッシリア人が(あるいは彼らの先行者が)どうやって15桁ものニネヴェ定数を発見したのかという問いに対しては、「わざわざ発見などする必要はなかった」と答えられるかもしれない。双子が24桁の素数を「見る」のと同じくらい容易に、その答えを「見た」のではないか。このことはまた、ピラミッド建造者たちが、地球の(そしておそらくは月と太陽とそのほかの惑星の)正確な大きさを知っていたのかという謎の答えにもなるだろうニコニコニコニコ音譜音譜

 

かつて地球の地殻は滑動した…アメリカの歴史学者、地質学者チャールズ・ハプグッド(1904〜1982)によれば、地球の地殻は定期的に移動しており、それに伴って大陸もその位置を変えるという。地球の地殻が「滑動」したという証拠はあるのか?その答えは「イエス」プンプンプンプンカラオケカラオケ地球の地殻には大量の鉄鉱石が含まれている。そして地球は磁石だから、酸化鉄のすべての分子は小さな矢印のように同じ方向を向いている。それらはすべて北極を指すので、北極の位置が移動したかどうかを判断するのは簡単だ。もし地殻が移動したなら、酸化鉄の分子(矢印)は北以外の方向を指しているはずだ。そしてまさにその通りだった爆笑爆笑ラブラブラブラブ地球の地殻の「矢印」のかなり多くが、北極よりも南の方向を指していたのだ。これはつまり、極が北に移動したことを示している。だが、ハプグッドによれば、実際には極自体はずっと同じ位置にあった。その上にある地球の地殻のほうが南に滑動したのであるチューチュークローバークローバー

 
        
 かつて北極の位置にあったハドソン湾は地殻の滑動によってカナダや北アメリカと一緒に南に2000マイル(約3600キロ)ほど移動した。
 
③メキシコの北を向いていない祭祀遺跡…アメリカの天文学者、人類学者アンソニー・アヴェニ(1938〜)によれば、メキシコには正確に北を向いていない祭祀遺跡が50もあるというチューチュー飛び出すハート飛び出すハート有名なメキシコのテオティワカン遺跡には南北を縦断する「死者の道」と呼ばれる長い通りがある。だがどういうわけか、それは正確に南北方向に縦断しておらず、北東に15度30分ずれている。死者の道をまっすぐ延長するとその線は正確にハドソン湾に達する。これはつまり、テオティワカンが最初に築かれたとき、死者の道は真北を指していたことを示しているその後地殻が滑動し、今は真北から15度30分ずれることとなった。同じことが他の49の祭祀遺跡にも起こった。 
                      
 これが意味するのは、身の毛のよだつような事実だ。つまり、テオティワカンは紀元前1万年の地殻の滑動よりも以前に造られたということになるガーンガーンあせるあせるだが歴史家によれば、そんなに古い人類文明など存在しない。だが、そのことは実はこの件に関してはさほど重要ではない。というのも、重要な祭祀遺跡というものは、ほとんどの場合それ以前の祭祀遺跡と同じ場所に造り直されるものだからだ。現在の多くの大寺院でさえ、それよりも古い神殿の遺跡の上に建てられているのだ。もしこれらのすべてのことが正しいなら、それはつまり紀元前1万年より前に文明が存在したということを意味する目目チューリップピンクチューリップピンク
 
 さまざまな痕跡から、大規模滑動がおよそ1万2000年前に起こったことがわかる。最後の 氷河期の終わりごろだ。この滑動が完了するまでに数千年を要するゆっくりと変化したのか、激しい変動だったのかは諸説あるようです。
前は北極地方にあった陸塊が熱帯地方に近づき、かつて熱帯地方にあった場所が北上して温帯地方に、場合によっては北極地方にまで移動したといえるかもしれない。ハプグッドは、なぜ地殻の滑動が起きたのかはわからなかった(もしかしたら巨大隕石の衝突かもしれない)。彼にわかっていたのは、ただそれが起こったということだけだった。ウインクウインクチョキチョキ

④南極を描いたピリ・レイスの海図…ピリ・レイスの海図は、1929年にイスタンブールのトプカプ宮殿で発見された。その複製はずいぶん前からワシントンDCの議会図書館にもあった。ピリ・レイスはトルコの提督で、元海賊。1513年にヨーロッパと新世界を含む大西洋の海図の制作に着手した。だが当時、アメリカはまだ発見されたばかりでその地図も少なく、海図の制作は困難を極めた。ピリ・レイスは多くの古地図を用いたが、その中にはコロンブス以前のものも含まれていると述べているニコニコニコニコヒマワリヒマワリ
 
 ピリ・レイスの1513年の海図には、単に南アメリカの完全な海岸線が“驚くほど詳細に”描かれているのみならず、その南の端には南極の一部まで描かれていた。そして驚くべきことに、そこには南極の海岸線にあるいくつかの湾も示されていたが、いうまでもなく1513年の時点では南極の海岸線は氷の下に埋もれていた。もう何千年も前からだガーンガーン温泉温泉

     ピリ・レイスの海図       
 
 ピリ・レイスの海図の中心点はエジプトのアレクサンドリアらしいと考えられた。だが、さらに計算すると、それはもっと南のシエネであることが判明したのだ爆笑爆笑ベルベルアレクンドリアの地図制作者たちが新しい地図を作成したとき、実際に船をだしてさまざまな場所を測量に出かけたわけではなく、それよりもさらに古い地図を参考にしただろう。地図作成というのは、かなり高度な技能であり、三角関数と幾何学の知識をある程度必要とする。ピリ・レイスの地図には、大西洋の上を交差するクモの巣状の線(航程線)が描かれている。航程線は同時代の地図にしばしば見られるもので、多くの学者は、これは緯度と経度を表したものではなく、羅針盤と風向きで航路を決定するための指針だと考えている。だが、ハプグッドは数学者たちと共同研究を行い、複雑な数学的議論を積み重ねた結果、航程線は、実はカイロを中心とした投影図に基づく緯度と経度を表していることを示したプンプンプンプンぶどうぶどうこれは常識を覆す結論だった。なぜなら、経度が正確に計測できるようになるのは、球面三角法が発達する17世紀末から18世紀以降、つまり、ピリ・レイスの地図から150年以上も後のことなのだびっくりびっくりドキドキドキドキ
 
 地図の一部は驚くほど正確で、イベリア半島(スペインとポルトガル)、西アフリカ海岸は正確で、ブラジル海岸も正確だ。アフリカと南アメリカの位置関係は、同時期のヨーロッパの地図と比べてもはるかに現実に近い照れ照れビールビール

 がしかし、ピリ•レイスの地図には不正確な描写があることがわかっている。南米大陸と南極大陸がつながっているし、南アメリカの沿岸部が約1400キロ欠落している。これにはさまざまな検証がされていますが、地図の上の部分は北極を中心とした正距方位図法、下の部分は南極を中心とし、イスタンブール、またはカイロ付近を中心子午線とする正距方位図法で描いた物によく似ていて、この2つの図をつなぎ合わせたように見える。という、ウェブの、なんでも保管庫2さんの検証がしっくりくるなーとyoshimiは思っています照れ照れロゼワインロゼワイン
 
 長文引用で申し訳ございませんでした。最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました<(_ _)>
 
※1.サヴァン症候群 ...精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。
(e-ヘルスネット 厚生労働省)

※2.ヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者(紀元前278年 -紀元前194年)、地球の大きさを初めて測定した人物として、また素数の判定法であるエラトステネスの篩(ふるい)を発明したことで知られる。



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参考−参照
本) •㈱学習研究社 アトランティスの暗号  
  コリン•ウィルソン:著者 
  松田和也:訳者
   •㈱角川春樹事務所 アトランティスの遺産            
  コリン•ウィルソン:著者 
  川瀬 勝:訳者
   •㈱飛鳥新社 神々の声  
  ロバート・M・ショック&ロバート•A•マク   
    ナリー:著者  
  大地 舜:訳者 
  •㈱小学館 New History of World Art 2
  世界美術大全集第2巻エジプト美術
  友部 直:編集 
  デンデラのハトホル神殿第1列柱室 
   •㈱講談社 世界の文化史跡 第1巻 
  ナイルの王墓  杉 勇:編著
   阿部道明、仁田三夫:撮影 
  コーム・オンボ(エジプトナイル川中流東岸     
  にある町)の農村風景 さとうきびの収穫 
web)•なんでも保管庫2  謎のオーパーツ!      
  ピリ・レイスの地図 





龍新年あけましておめでとうございます爆笑絵馬このたび 被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。 1日でも早い復興を願い、皆様と一体の気持ちで心より応援しております。旧年中に賜りましたご厚情に感謝申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます<(_ _)>

P.S. ここからはyoshimi が感銘をうけた著者チャールズ・フリーマンさんの本、「ヴィジュアル版 古代エジプトの世界」の最後の結びの文章と監訳者:内田杉彦さんの素晴らしい和訳をご紹介させてくださいませ~ニコニココーヒー

  


 現代のような不安な時代においては、人間の存在に関する秘密があると信じることが強く必要とされる。エジプトは最近の千年間にも、依然として神秘のヴェールに包まれてはいたが、スフィンクスやピラミッドをはじめとするエジプトの数々の遺産は、それらの持つ意義について考える機会を豊富に与えてくれた。エジプト文明よりも後の優れた科学技術を持つ現代文明が、これらの古代建造物の意味を把握しようと奮闘したという事実だけをとってみても、それは古代エジプト人が観察者たちの知らない何かを知っていたことを暗示するものだったのである。今ではそのような建造物の素性のほとんどが知られているとはいえ、古代エジプトは究極の英知を得ようと願う人々をなおも引きつけている。

 エジプト人が例外的な人々だったことは確かである。しかし、驚異的な建築家、職人、芸術家、そして組織者であったとはいえ、彼らの文化は本質的には保守的なものであった。エジプト人は極めてわずかなものを発明したにすぎず、紀元前1550年頃に車輪が外国から導入されるまで、そのような仕組みに気づくことさえなかった。彼らは確かに天空を観察していて、星団の動きをある程度理解しており、自分たちの建造物の向きを、星の観察を利用して注目に値するほどの正確さでそろえた。彼らは星をもとにした独自の暦を作ったが、その暦が「真の」年からずれると、それを修正することができなかった。一方、バビロニアやギリシアの天文学者たちは、エジプト人とは対照的に、星についてのはるかに洗練された思索にふけっていた。また、さまざまな症状について注意深い観察を何世紀も行っていたにも関わらず、エジプト人が医学の飛躍的な発展をもたらしたことを示す証拠は何もない。身体の働きに関するエジプト人の考え方と、神々が健康に及ぼす力に対する彼らの信仰とは、治療の成功や自主的な思考の妨げになった。この点でも、ギリシア人は考察の幅の広さと質の高さによって、エジプト人よりもはるかに勝っていたことが明らかになっている。


 それではエジプト人の英知を発見できるようなところがどこかにあるのだろうか?それは古王国では見つけにくい。その頃の証拠はすべて、国王にふさわしい墳墓の造営~数十万人の農民による重労働を必要とする誇大妄想的な事業~が最も重要なプロジェクトであったような独裁的な社会をうかがわせるものばかりである。新王国でも見つけるのは難しいだろう。その頃のエジプト王国は周辺地域への帝国主義的な勢力圏拡大によってのみ支えられていたのである。支配する側とされる側の間のバランスが最も良くとれていたのは、おそらく中王国時代であろう。この時代に見られるマアトの概念、社会の調和、貧しい人間であっても正当に取り扱うのを重視する考え方、そして自然の恵みに対して示される崇敬の念は、すべてが20世紀後半の社会にとって意義のあることといえる。


 しかし、古代エジプトをこれとはまったく違う意味での英知の源泉とする信仰は消え去りそうにない。そのような信仰は、神秘を求める願望と究極の知識に対する希望との両方 に訴えかけ、あまりに多くの重要を満たすものとなっているのである。神秘のエジプトの神話はさらなる問いかけを、さまざまな解答が得られた後になっても生み出し続けている。歴史学と考古学の示すありのままの事実~それは驚異的なものではあるのだが~神々の秘密そのものを明らかにするというような、人々の興味をかき立ててやまない約束とどうやって太刀打ちできるというのだろうか?事実だけでは十分ではない。我々は進んだ科学や技術を手にしているにもかかわらず迷信深く、空想力豊かなままである。我々にとっては何かがもっと必要なのであり、それゆえにさまざまな神話や疑問が尽きないのである。

 たいていの人たちにとっては、知識よりも神秘を把握する方がずっとたやすい。エジプトの過去を完全に理解するのは研究者たちの領分となっているが、これはひとつには、ヒエログリフの習得があまりに困難であるためであり、またひとつには、現存している証拠資料を自分のものとするには人の一生と同じくらいの年月を要するためでもある。熱狂的なアマチュアはどうしても疎外されていると感じ、それゆえエジプトの秘密の英知に関する伝説が忘れられることはない。 エジプトで最も有名であり、また最も誤解された統治者であるクレオパトラのように、エジプトも「夢見る者たちが夢の終わりにいつも見いだす存在」であり続けているのである。


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参照

◎本       

・㈱原書房   ヴィジュアル版 古代エジプトの世界 著者:チャールズ・フリーマン 監訳者:内田杉彦  メンフィス付近の農村風景        


◎洋雑誌

・ PUBLISHING 社 Reader’s Digest DISCOVER ADIREUSTRALIA  

オーストラリア ケープヨーク半島の

広大な雨林未開発地