いまこのブログを読んでいるあなたはおそらくラカンを切迫的に、実感的に理解するための特権的な地位にいる。

 

 なにかと悩み多き思春期であれ、それ以外の時期であれ、ある哲学・思想を心底から喫緊の課題としてそれを必要とするような場面はままある。というより、それ以外の時期でそれらを必要とする場面というのを、私は想像できない。

 

 そしてラカンはその請求に真摯に答えを与えてくれる。

 

 ラカンについて書く者は以下のような要件が必要だという暗黙の了解があるだろう。

 

・(ラカン派の)精神分析を受けていること

・フランスに留学し、ラカン派の分析家によるセミナールに参加していること

・当然のことながらフランス語に通じ、『エクリ』や『セミネール』を原語で読みこなしていること

 

 しかしこれらの要件を満たしている日本人はごく限られた人だけになる。

  ラカンについて語るとき、枕として『エクリ』の翻訳の悪訳っぷりを語るのが通例になっている。

  ここでは佐々木孝次氏の訳業の素晴らしさについて語ろう。

 

  最初にこの想に至ったのは『エクリII』「フロイト的事象、あるいは精神分析におけるフロイトへの回帰の<意味>」の”誤訳”に気づいたときだ(素晴らしいといっておいてしょっぱなから誤訳の指摘をするのも何だが)。

 

「フロイト的事象」という文字列を見た時人はどういう連想をするだろう。

 

「フロイトが切り開いた治療法にまつわるあれやこれやの事象」だろうか。

 あるいは「フロイト的に患者と対峙したとき、フロイト的に解釈できるあれやこれやの事象」だろうか。

 

 私は後者だった(「患者と対峙」と思った時点でラカンをまるで理解していなかった)。

 

 しかしジジェクが『遊星からの物体X(原題TheThing)』を語っている下りを読んだとき、「フロイト的事象」は「フロイトにおける<物>の概念」であると気づいた。

 

 原書や英語訳を読みこなせればすぐにたどり着いただろう(そして訳者の無理解に舌打ちする)。しかし日本語だけでたどり着いたのはなかなか得難い読書体験である。

 

 ここで私が経験したのは「文章には著者(訳者)の意図一義的な意味があり、他は間違いである」ということではなくむしろ逆で、読者の解釈の自由性だ。例えば日本語では「言説」とやや堅苦しいコトバで言い換えられる「ディスクール」というタームは「ディスクる」、「パロール」は「パローる」でいいんじゃね、という気になってくる。

 

 

 決して著者の研究の蓄積を軽視するものではないが、本書の内容は最初の「まえがき」と第3章の一文に言い尽くされている。つまり、

 

出発点は江藤淳(p.14)

 

そして

 

江藤淳は効果が上がらなかったことを理解していた(p.181)

 

 はい、おしまい。

 

 WGIPは江藤淳がアメリカで発見した(アメリカの研究者からコピーを渡された)ことになっているが、もしこれが別の歴史研究者によって発見されたとしたら、「ドラフト(下書き)」と記された文書のWGIPという言葉に「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」などという恣意的、作為的、というより扇情的な訳はあてなかっただろう。ためしに機械翻訳にあててみよう。

 

 War Guilt Information Program(戦争責任情報プログラム 訳:DeepL)

 

 DeepLによる直訳調の違和感はともかく、元の文字列に「植え付ける」という動詞は何処にも見当たらない。

 

 1990年代後半から今もはびこる保守論壇のGHQ陰謀論は江藤淳が出発点だ。そして江藤自身も『閉された言語空間』の中でWGIPはさして効果がなかったとしている。

 

 はい、おしまい。御名御璽。

 

 と、本来ここで終わる話しなのだ。しかしいまGoogleで「WGIP」という言葉を検索すると約 183,000件、AmebaBlogだけでも428件の記事がヒットする。内容は推して知るべしだろう。

 

 著者の賀茂道子氏は国会図書館のキーワード検索で「自虐史観」という言葉が1996年あたりから急増していると指摘している。その原因とされている「WGIP」も同じように増加しているはずだ。

 

 賀茂氏はそれが「作る会」の発足と同時期だとしているが、ネットという閉された言語空間にまで広まる契機となったのは小林よしのり『戦争論』だろう。

 

 普通ならここから小林よしのりの悪口を始める所だが、彼のコロナ騒動への応接を見てから、別の見方もあるのではないかと思うようになった。

 

 小林よしのりはコロナ対策のために経済を止めるべきではないという。何故なら経済苦による自殺者ウン万人の時代に再びなってしまうからだという。

 

 はて、小林よしのりのパブリック・イメージに自殺問題専門家というものはあっただろうか、と考える(荻上チキ氏あたりならわかるが)。ゴー宣の何処かでは取り上げていたことはあるのか知らないけど、単著で『自殺論』とかないよね。

 

 そして「自殺論」という言葉からふと思い出したのが「戦争があると自殺者が減る」という社会学の知見だ。戦うべき、滅殺すべき「敵」の出現と国家の勝利という大目標は人を高揚させ自殺は減る。精神病患者も減るという。

 

 雑誌連載から単著『戦争論』が出版された1995年から1998年にかけて、日本の自殺者数は激増している。

 

警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移

 

 「作る会」の発足や『戦争論』の出版が自殺者激増の原因だと言いたい訳ではなくむしろ逆だ。

 

 小林よしのりは自殺激増時代に面接して無意識的に日本を「戦争状態」にして自殺を防遏しようとしたのではないか。事実、近代化以降で日本で一番自殺率が少なかったのは太平洋戦争期だ。そして近年自殺者数が減り続けていたのがロシアだ。ウクライナ侵攻は当事者の感覚からすれば8年前のマイダン革命の頃から始まっていたという。ロシアで自殺者が減り始めたのはウクライナ騒乱の一年後の2015年。ロシアにおいて戦争状態はその頃から始まっていたのだ(ウクライナのデータは不明。

 

 しかし日本では戦争状態を作り出す為の最大の障壁がありそれが日本国憲法だ。潜在的自殺志願者に擬制的な大目標(憲法改正)を与えればその実現までは彼は生きて行ける。

 

 1997年のエレファント・カシマシ「昔の侍」の歌詞はこの時代の雰囲気をよく伝えている。

 

 

 もちろん改憲派の実存的心情を唄っているようにも聞こえる歌詞を是としているわけではない。宮本浩次は「戦う術」があった時代にはもう帰れないので「さよならさ」と決別している。

 

 新刊書店の書架を見る限りWGIP神話は一時退潮したかに見えたが、古本屋やWebのログにはにはおどろおどろしい煽り文句とともに今この時も再生産され続けている。賀茂道子さんのような真っ当な歴史研究手法に根ざした実証研究もこのクソ熱い昨今の日本の熱帯化に向かって扇風機で立ち向かうようなものだろう。

 

 そして今後も扇風機で立ち向かい続けて欲しい(絶唱。