あなたの一番大切な人は?
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13年前の3・11
あの日は事務所にいて、突然の大きな揺れ
その後もスイングするような回転するような揺れが全く収まらず
「これは机の下に潜った方がいいかもしれませんね」
と云う私の言葉に皆が従った
その後も一向に揺れは止まらなかった
机の下から書類を入れているロッカーの上にある置き時計が
まるでタップダンスをしているように踊っていたのをぼんやりと眺めて
いつこの揺れは終わるのか、一体震源はどこなのか
外に行っている会社の人たちはどうしているのか
そんなことを考えていた
入り口近くの衝立が大きな音を立てて倒れたのを見た
これは我が家も相当な被害があるだろうなー
事務所は1階だがこんなに揺れてる
我が家は5階。もっと揺れているに違いない。
帰ったら片付けなきゃいけないなーなどと思いつつ。
息子たちは夫はどうしているだろうか
携帯からメールを送ってみた
災害時は繋がらないだろうと思ったがまだ揺れている最中だったからなのか
繋がった。
長男は無事だと短く返事
夫は、夫も確かそんな感じだったと思う
次男だけが返事が来ない
メールが繋がらなかったのか、どこかで下敷きになってしまったのか
心配になった。(夜になって呑気な顔で帰宅してきたが思わず
連絡くらい入れろ!どれほど心配したか!と怒鳴った記憶がある。
メールは届かなかったらしい)
とても長く感じた揺れは一体どれくらいだったのか
もはやわからない
大変なことになったことだけは確かだった
揺れが収まってから倒れたものを戻したり
TVのニュースを見たりして東北地方あたりが大変になっていることを知った
昨日から会社のトラックが1台、岩手県・宮城県に仕事に行っていた。
津波が押し寄せている地域にちょうど行っているはずだった
携帯に電話してみる
出ない。
何度電話しても出なかった。
夕方無事に戻ったが朝早くに出発したので途中地震があったことには気づいていなかったそうだ
高速道路を東京に向かって走っていたが通り過ぎるとなぜか入り口が
どんどん追いかけるように封鎖されるので不思議に思っていたらしい
栃木県に入ったあたりで周りの風景がいつもと違うことに気づいて
たいへんだ!と思ったとドライバーは話してくれた
一日遅い日程で行っていたらと思うと恐ろしい。
ニュースで何度も流れた不屈の猫の看板の下を前日通ったと言う
(その猫看板は濁流の中きぜんと立っていて、漂流物がガンガンと当たっても
びくともしなかったので当時そんなあだ名がついていた)
時間帯もぴったりだったので一日ずれていたらトラックもろとも海に流されていたかもしれない
社長や専務も入札などで出払っており、会社に残っているのは我々事務員だけだった
とにかく無事に全員が戻ってくれることを願った
TVからは濁流が見るまに港の市場などに積んである箱などを押し流している映像が流れている
それだけでなく車もたくさん流されていた
「あの車にまさか人が乗っていないですよね?」
私は祈るような気持ちで呟いた
「まさか。逃げているでしょ」
Bさんが言った。
そうか、それならいいんだけど・・・
真相はわからないままだ。
建物の屋根の上に逃げている人が次の瞬間姿が消えてしまった映像も流れていた
建物が崩れ家が押し流されていく
海沿いの道路を走る車が横から襲いかかる大きな津波に覆われる映像も見てしまった
何もかも流されてしまった
岩手県・宮城県だけでなく茨城県、千葉県も太平洋沿岸の地域は大変なことになっていた。
社長が戻ってきたのは5時ギリギリだったか覚えていないが
その後5時までは普通に仕事をして帰った
(社長も外では石塀などがバタバタと倒れてきてたいへんだったと聞いた
幸い怪我はしなかったようだ)
早く帰っていたら幹線道路は非常時の封鎖で通れなかったようなので
かえって5時まで仕事をしていたのが良かったのかもしれない。
帰りはAさんが車で家まで送ってくれたが道路の両脇の歩道は帰宅困難者?でいっぱいだった
まるで朝のラッシュ時の駅のホームを見るような人の多さだった
鉄道は安全確認のために動いていない
あの日は金曜日だったから皆さん必死で何時間も歩いて帰ったんだろう
道路も車がごった返していて大渋滞。
いつもなら車で15分ほどの距離だが1時間近くかかったと思う
家に戻ると思いの外何も倒れていなかった
写真立てが一つだけ落ちていたが置物や家具などは無傷だった。
食器棚など相当悲惨なことになっているに違いないと思って覚悟していたが
それも無事だった。お皿も一枚も割れていない
TV番組は全て報道番組になっていた
直後に悪いことは重なるもので千葉県にある石油コンビナートが燃えた
ガソリン供給が止まった。
ガソリンスタンドは軒並み休業になった
おかげでバスが間引き運転になった
通勤の足がなくなった。
私はたまたま同じ住宅に住む友人が自家用車通勤で私の職場近くを通過するからと
そこまで乗せてくれたので助かった
2週間くらいはお世話になったと思う
そのくらいの間、何もかもがなかった。
スーパーからは商品が消えた
陳列棚はガラガラだった
電気の供給も減ったので半分消灯している駅やショッピングセンターなど
どこもかしこも薄暗い中での生活だった
被災地には手紙さえも出せない状態が続いた
落ち着くまで数ヶ月かかったと思う
数ヶ月後、仕事で千葉県に行くことがあったが、道路はまだまだ凸凹で
歩道が急に隆起していたり陥没していたりしていた
トイレも故障中の場所が多かったように思う
まだ上水道や下水道のパイプなど修繕が追いついていなかったのかもしれない
東京でさえそんな状態だったのだから被災地の方々のご苦労、
また大切な方を亡くされた悲しみ、怒りなど
察するにあまりある
そんな大変な状況を乗り越えてこられた東北の方々が今
能登半島の方々に思いを寄せてくださっている
なんと清らかなお心だろうかと胸が熱くなる
私などはできることは少ないかもしれないが少しでも
寄り添えるようにと思いを馳せることだけは忘れまいと思う