来てくださいまして有難うございます
先日119番した経験を書きました↓
続きです⬇️
本年1月16日夜
仕事から帰宅したら夫が倒れていて119番(そのまま帰らぬ人となってしまいました)
朝はベッドから起き上がって
朝の薬を自分で準備して飲み、1人でできるから仕事に行っておいで
と送り出してくれたのに………
日中連絡しても返信無い事が増えたので、眠りの邪魔したら悪いとその日は連絡しなかったのです。
お昼と3時にスマホを持ったけど
止めてしまった事をすごく後悔しました。
バス停から見える我が家
部屋の明かりが付いていたので
「起きてるんだ」と思いつつ郵便受けを確認して郵便物を取って帰りました
玄関を開けるとグッタリしているのを見つけてしまい💦
嘘でしょ!
と叫んでカバンを投げ出し名前を呼んでも無反応、肩を叩いても無反応。
今救急車呼ぶから待ってて!
とスマホをカバンから出したけれど
この時ばかりは慌てるあまり操作がわからなくなり、その上
スマホを持つ手が震えてお手玉みたいになって床に取り落としパニック!
どうして良いかわからなくて
固定電話を使おうとしましたが
今度は電話番号が思い出せず…
またもパニック!
電話台の下に入れてあった昔ながらの電話帳を出して救急を調べて
119番しました…
慌てすぎると何度もかけているはずのたった3桁の番号さえ
わからなくなってしまうんだなと
実感しました。
最高に早く到着(電話を切るとまもなく位)してくれた救急車は、病院につくのも後から考えれば
猛スピードで連れて行ってくれたのだと思います
(その時は永遠かと思うくらいに長く感じましたが)
何しろ私が帰宅したのが18時ごろ。
慌てて119番。
それから救急車が来てくれて来週入院する予定だからと
東大病院に連れて行って欲しいと懇願。
その時は「下顎が固まっているから今から蘇生は無理だと思います」と言われたけれどその時は意味がわからない。
後から考えたら「既に亡くなっている」と言われていたのでしょう。
でもとにかく病院行ってください!とお願いしました。
搬送体制が整うまで結構時間があったように思っていました
その間隊長さん?が病院に行く際の持ち物を全て指示してくれました
診察券、健康保険証、お薬手帳と
帰りは自力で帰ってこなければならないので
病院から自宅まで帰れるだけのお金、連絡用に携帯電話も持ってくださいねと
全て細かく言ってくれたのです
慌ててそれらをかき集め(診察券や保険証が入ってる)夫の財布などが入った小さなカバンと投げ出していた自分のバッグを持ち、夫のスマホも押し込んで救急車に乗り込みました。
そして救急車の中で電話して良いからどんどん家族や親戚に連絡してくださいと言ってくれたのです。
あちこち電話しながらも夫の様子が気になってジッと見てしまったりしてボンヤリしているように見えたかも❓
時々隊長さんが「他に連絡する所はないですか?」と促してくれました
その間も夫は隊員さんたちが交代で人工呼吸器、心臓マッサージ、電気ショックをずっと続けてくれていました。
何度もタクシーで入退院していたので車で普通に行くと1時間半はたっぷりかかる距離です
しかも病院についてから処置をしてもらう間もかなり長く待ったように感じたけれど
次男夫婦が駆けつけてくれて
3人が処置室に呼ばれ
死亡確認時間が19時14分でした。(私が帰宅してから1時間20分ほどしか経っていませんでした)
こんなに早く病院に連れて行っていただけて感謝しかありません。
また道を開けてくれた走行中の車の運転者さんたちにも感謝でいっぱいです
待つ間に次男がまず駆けつけ、ついで次男嫁が来てくれました。
長男は責任者なのでしばらく来れないだろうと次男。
3人で死亡確認に立ち会うことができました
医師と看護師の立会のもと、呼吸なし、脈なし、瞳孔散大など数項目の確認をして時計を見ながら
19:14死亡と診断されました。
その時は次男が私の肩を抱いてしっかり支えてくれました。
両足に力が入らず息子に支えてもらっていなければ座り込んでいたかもしれません。
結局霊安室に夫を送り出して警察が来て(検死のため)夫を連れて行きました
病院を出たのは日付が変わる頃でした・・・
その後夜中の1時頃に警察が来て現場検証?
色々質問されました。
夫は検察医務院に連れて行かれ検死を受けなければなりませんでした。
メスを入れても死因を知りたいですか?とたずねられて、それはしないでくださいと答えました。
搬送される間、心臓マッサージや電気ショックなどたくさん痛い思いをしたハズなので、これ以上痛い事をされるのは嫌だろうと思ったのです。
それなら翌日の昼過ぎには終わるからと言うことでしたが、その時には棺を持って警察まで迎えに行かなければいけないのでした。(葬儀屋さんに依頼するしかありませんでした)
ちなみに死因は
「虚血性心疾患」でした
急に血管が縮んで血液が心臓にいかなくて、ごく短時間に亡くなった様です。
解剖はしていないので(推定)になっていますが…
治療中の悪性リンパ腫は無くなっていたみたいです。(寛解?)
発見した時はまるで眠っているような顔でしたから苦しまないで逝ったのでしょう。
それだけは良かったと思います。
今も救急車に出会ってしまうと
あの日のことがフラッシュバックし
全身から力が抜けて涙が止まらなくなってしまいます。
最近はようやく昼間の救急車には何とか耐えられる様になりましたが、
夜、暗い中緊急走行しているのに出会うと駄目です(バス内でいきなり泣き出す始末💦💦)
最近は日が短くなってあの日みたいに暗い中帰宅するので、バス停から見える我が家を見上げたら涙ドバーッ😭となる事も度々💦
……困ります。