創刊号のカバー。この「レッツ号」というのは誰のアイディアだったのだろうか?笑
その「レッツ号」は1993年10月15日発行。この後に生まれた読者も多数いると思う。
先日「GM最後の日」と題して、2009年のジェネラルモータース破産についての日記を書いたのは記憶に新しい。それを読んで共感していただいた方も多数いたと思う。
さて本日は、またまた「最後の日」の記憶を題材に日記を書こうと思う。そう。それはGM破産と同じくらい、、、いや、それ以上にショックだった、「ローマガ最後の日」。。。。
私が、芸文社さんの Lowrider Magazine Japan のお手伝いをさせていただいたのは90年代に遡る。クレンショーの黒人街を案内させていただき、ローライダークルーズとゲットーの関係スポット取材をエスコートしたのが始まりであった。
その後、黒人OGたちのインタビューや、エクストリーム系バイクの取材など、多岐にわたりお手伝いをさせて頂く機会に恵まれ、私自身もローマガの取材を通じて新たな人々との出会いの機会を持つ事ができ、成長させて頂いた。思えば渡米して21年、クレンショーエリアの自動車修理工場から身を起こした私の人生は、シェビーの輸出を中心としたロサンゼルス・オートモーティブシーンの日本への紹介、それに関わる雑誌記事の仕事でここまで歩んできたと言っても過言ではない。そのローマガが、2010年4月号を最後に無くなってしまった。。。シェビーはつぶれてローマガは無くなる、、、まるで私の足跡をこの世から消してしまっているかのようなここ数年の時代の流れに、戸惑いを隠さずにはいられない。ネットの発達によるメディアの変貌の流れは、こういった所にも確実に影響が出ているという事か。
ブックケースの一番左端にある”ローマガJapan創刊号 No.1”を手にとってみた。色々な思いを巡らせながら1993年から17年、今までご苦労様でしたと素直に思った。そしてもう既にあれから1年以上が経っている。

