ディア・ハンターのブログ-KIMO
ローマガJAPANに掲載したキモとR1 クレンショーのクリスバーガー前にて



キモと初めて会ったのは2005年の2月のとある日曜夕方だった。サウスセントラルのクレンショーブルバードにあるクリスバーガー(ローライダーが集まる場所)にいつもの様に出かけたら、まだ車も集まらない早目の時間にクラッチロケットが2台並んでいた。2台ともYAMAHAのR1。話しかけたら、深くて大きい、とても暖かい声で、2人のうちの兄貴分であるキモが答えてきた。自分もR1は、”次期マイマシン”として興味があったので、いろいろ彼に訪ねた。彼のは2002年式で、出会った当事は現行の一つ前のモデルで、このタイプは下のトルクが太くウイリーしやすいストリート向きだと彼は言っていた(実際にR1を乗り継いだ者は皆同じ事を言う)。「俺はバイク屋に”二輪”を買いに言ったのに、殆ど”一輪”しか使ってないよ!」と言ってニヤッと笑った彼の顔が印象的だった。

次に彼と会ったのは水曜のインペリアルというメキシカンが多い地域でのバイクナイト。そこからハリウッドまで約40マイルの道のりを、彼らCOCKEY RIDERSのメンバー数十台と一緒に710フリーウエーを走った。710は片側4車線だが、4台のメンバーが徐行して一般車両を減速させ、キモと他のメンバー約7から8台が一気にスタンディングウイリーを始めて、その後約3マイル(4.5キロくらい)の間、ずっとウイリー。立ち上がった車両の横から顔を出して車線変更やカーブも全てウイリーのままこなす。誰一人としてフロントを路面に落とさない。私は「二輪を買ったのに一輪しか使っていない」といった彼の笑う顔を思い出しながら横を走っていた。

その後、いつの日だったか彼の家を尋ねた時にガレージにびっしり詰まったクラッチロケットの数に驚いたことがある。メンバーのバイクを預かっては改造をまかされているようだった。そんな中でもキモ所有の赤と青の2台のR1は印象的だった。そして4-5台並んだダートバイクは彼と彼の小さい子供たちのものだと笑って話してくれた。

それ以降、私は彼と会うことは無く、そして彼は、向こうの世界に行ってしまった。その日もいつもの様に、クラブメンバーと走っていたキモは、105から110フリーウエーSOUTHのジャンクションのカーブで、車体コントロールを誤ったクラブメンバーのバイクを避け損ねて転倒、そのまま帰らぬ人となった。私がそれを聞いたのは葬式の翌日で、最後の別れも出来なかった。せめて私に出来たのは、このローライダーマガジンJAPANに掲載したキモとR1の写真を大きく引き伸ばして遺影として家族に渡すことくらいであった。写真を見た瞬間、気丈にしていた彼のワイフの瞳から涙がボロボロとこぼれ落ち、私の目にも彼女の顔が写らないくらいの涙が出てきて止まらなかった事が忘れられない。

とても華やかで、日本車の技術の粋を集めたクラッチ・ロケット。その性能、存在は男の心を揺さぶるに値するものだ。しかしその影には、やはり現実に起こりうる悲しい事故が、いつ誰の身にも降りかかる可能性がある事を忘れてはいけない事を、彼に確認させられた。「お前も気をつけろよ」と彼が言っている声が聞こえてくるようだ。