momotaroさんのブログ -31ページ目

続・子供の頃の私へ

私が小学校にあがる前

お母さんは
近くに図書館がないから

市役所に働きかけ
移動図書館を自分で始めたね


近くの公民館に行き
妹をおんぶしてるお母さんが大変だから
頑張って手伝った

重たい机を運んだり並べたり

本が入った木の箱を運んだりしたね



私が小学生になるまで
お母さんは
幼児3人かかえて

いろんなことを頑張っていた


お父さんのお店の手伝いもしてたし


色々忙しいのに
趣味で
色とりどりの千代紙で
紙人形も作っていたね


私はいつも
多動の弟にハラハラしてるのに
なんでお母さんは
すぐに走れるように
サンダルではなくて
すぐに走れる靴を履いてくれないんだろうかと思っていたね

サンダルのことは言ってみたけど
お母さんは何も言わず
何も変えてはくれなかったね


お母さんは
私が小学生にあがると
小・中学校の
産休先生になったね



まだ幼稚園の弟のお迎えに
私が行ったね

弟は
先生におしゃべりばかりしてなかなか靴を履かず
私は待つのがつらかった


今書いてて
そりゃそうだと思うよ


小学校1年生だもん


小学校にあがる時の
人生に疲れた気持ちは
はっきりおぼえている…



妹は3歳で
お祖父さんにお迎えを頼んだね


お母さんは
学校では生徒の命を預かっているから
もし地震があったり何かあったら
生徒を守らなくちゃいけないから
学校で死んでまうかもしれない
そういう仕事なんだ
そう、お母さんに言われた


だから
お母さんが帰るまで
私が弟や妹を守らなきゃと
お留守番
よく頑張っていたね



お母さんは
先生になってから
長期休暇の時は
1度は扁桃腺を腫らして寝込んだね


そんな時は
私がお母さんに書いてもらったメモ通り

買い物に行ったり
ご飯を作ったね



だから
3年生の時に
お母さんが火傷した時は

もう
すっかり家事も出来ていたんだね


小学校3年生までの私


本当に
よく頑張ったね



大変だったね



死にたいって気持ち
抱えていたよね


今、50で
こうして
小さかったあなたに
こんなにたくさんのことがあったのだと
書いてみて



死にたい気持ちになってもおかしくないと思ったよ



ほんとうに
大変だったね


よく頑張ってきたね

子供の頃の私へ

よく
頑張ってたね


1歳10ヶ月で弟が生まれて
弟が奥の部屋で泣いてるのに
弟を見る余裕がないのかと台所にいる母を心配して
弟をベビーベッドから母のところまで
運んだね


弟が生まれた後
よくケンカして別の部屋(父は寝室、母は台所)にいる両親の伝言を
歩行器に乗って往復して
届けて
なんども仲介しようとしたね


2歳の時に
母のお腹に妹が出来て
なぜか弟がいなくなって
何がおこっているのか不安だったね


2歳11ヶ月の時に
妹が生まれるまで
よく母と佐久間産婦人科に歩いて行ったね
階段のところで
ひとり待っていたよね


妹が生まれて
3ヶ月くらいの時に
鳥取の祖父母のお祝いに
家族5人で
埼玉から車で行った時は
私は3歳だったね



母が
お祝いの進行役で
みんなから
歌を、と言ったのに
親戚の誰も歌わないから

頑張って
ひとり手をあげて
おじいさん、おばあさんに
歌をプレゼントしたね

お母さんを守ろうとしたんだよね
母に意地悪なおばさんがいたからね


…母が亡くなる直前
私を
その意地悪なおばさんの名前で私を呼んだの
つらかったね…私のこと、母はやっぱりそう思ってたんだ、って思ってつらかったね…私はどうしても弟に優しく出来ないし、私が悪いって思って、仕方ないって思おうとして、つらかったね…


私は幼稚園で
他の園児が園庭で吐きそうになった時に
とっさに両手を差し出して吐いた物を受けとめてしまった
そのせいか

小学校1年生の時に
初めてのマックポテトを食べ過ぎた
幼稚園生の弟が
具合悪くなった時に


母は
私にお風呂から洗面器を持ってくるように言った

そしたら
まさか!
私に洗面器を持って弟の正面いろと母は言った

まさか!まさか!と思っているうちに
母は弟の後ろで
背中をさすり
私が洗面器で受けとめた


なんで
そんなことをさせられるのかわからなかった

逃げ出したかった


でもきっと
幼稚園の時のことがあったから
母は私が強いと思ってしまったんだろうね

私は多動で異常におしゃべりで天真爛漫で純粋な弟が苦手で嫌いだったから
罰を受けてるような気もしたし

とってもとっても
つらかったね

その洗面器をどうしたらいいのかわからなくて
母に聞いたのに
具体的に教えてもらえなくて
具体的にどこに置いたらいいかわからなくて
とってもとってもつらかったね
わかるように
一生懸命自分ひとり
暗い廊下であれこれ考え
思い付いたのは
変な場所だったね
あのあと
洗面器がどうなったのかでうなされたね


あれから
誰か気持ち悪い人がいるだけで真っ青になってしまうようになったね


でも言えなかったね

だから
また弟が具合悪くなった時には
ピアノの下にもぐって
震えていたね


寒くて風が強い真冬の日に
小さな妹が玄関の前に置いてある風呂桶に入れられ
両親が玄関前の工事していて
妹が吐いてた…

玄関を遠くから見て
家に近づけなかった


そんな私に親が気づいて
また無神経なことをされるのが怖くて


親に気づかれないように
家からそっと離れたね


寒くて寒くて
だんだん暗くなって

まるで
みなしごになったような気持ちで

つらかったね…


つらかったね…



お母さんは
1度も
私に謝ったことはなかったね…

解放

夢に母が出てきた


ずいぶん久しぶりだった


私は何かのテストをやらされて
答えを急かされていた


わら半紙のような紙に
コートと帽子を身に付けた姿が
スケッチしてあった


灯台の灯りが
射し込んでいて


光と闇のパーセンテージの問題だった気がする


私は
やりたくなくて
やりたくなくて


違うことばかりが頭を占めて


問題を解こうとしていない

母に急かされ
いやいや、無理やり考えて正解


すると母に
「進歩がない」
と言われた



「進歩がない」
と言われた私は


わなわなと震えるくらい
怒りのようなものがこみあげた


「よくもそんなことが言えるな」
「誰のせいでこんな人間になったと思ってるんだ」
「どうせ進歩がないですよ。進歩がないと言うなら怒ればいいじゃない。蹴ればいいじゃない。蹴ってみなさいよ」


そう言ってせまる私を
母は怖がるように
蹴って離した



怒りのようなものはピークに達し
私の心は声にならない叫び声をあげながら
目をさました



目をさました時は
まだ
わなわなしながら
声にならない声をあげ
叫んでいるような状態だった

同時に

なぜ
こんな夢を見たのだろうと
冷静で

眠る直前に見た
海老さんの娘さんのお誕生日のプレゼントがピアノだったブログを読み返してみた



ピアノ…


うちにピアノが来たのは
私も
たしか6歳の時


本当に私は進歩がない(笑)


そう思って
身体をうつ伏せに変えた途端に


目から涙が
鼻から鼻水があふれて来た


溺れそうになって
ベッドに座った


言葉にならない
こみ上げてくるものに
ただただ
大声あげて泣くしかなかった


そばに寝ていた愛犬が
心配そうに顔をのぞきこみ


ベッドに飛び乗り


泣いている私の
腕の間に頭を突っ込んで

気がつくと
私の涙と鼻水を
背中で受けとめていた



あ、私を蹴ったのは愛犬かな…私が横になっていた時にも
ベッドに飛び乗って私にぶつかったのかも…



私は
母が生きているとき

母に
さっき夢で言ったようなことを
言ったことはない
(ケンカも1度もしたことがない)


そんなふうに
母を責めるようなこと

思ったことさえも
ないと思っていた




誰のせいでこんなに苦しんでいると思っているのだ!

夢の中で
私は確かにそう思い

そう叫んでいた



50歳のおばさんになって
こんなに
昔のことばかりで苦しんで
いまさら
小さい子みたいに
こんなに泣くなんて…

(私は3歳の保育園前に泣いてから泣くのを我慢した方がいいのだと思い込み、4歳から18歳で寮での独り暮らしするまで、思い切り泣いたことがなかった…)





7月25日
麻央さんのブログ
英語版のSkyのコメントに

麻央さんの九月四日のブログ「解放」について
何度も読んで救われているというものがあって
気になっていたのを思い出し


読んでみた




「解放」



今日、私も。