「フェイス」マルティナ・コール(嵯峨静江訳/ハヤカワ文庫) | 水の中。

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ダニー・ボーイは、魅力があり目端がきき容赦なく敵を葬ることのできる、本物のフェイス(顔役)。
身内にまで悪魔のように恐れられる彼の始まりは、ロンドンの片隅の、くず鉄置き場での労働だった――

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この物語の素晴らしいところは、主人公ダニーの人物造形に尽きると思われます。

彼の狂気――ためらいなく敵(というか敵と見なす相手)を叩きのめす暴力性、他者からの敬意や名誉への異常なこだわり、身内に対する支配欲(きちんとしていない人間が大嫌いで、指示せずにいられない)、自分がしたことをケロリと忘れてしまう自分勝手さ――作中では「頭がおかしい」などと非難される彼ですが、まあ生い立ちからすればこうならざるをえないだろうなーという種類の「狂気」であるのですよね。



1)借金ばかりつくっては行方をくらまして、家族を危険にさらす父を持ち、 (このへんありがちな生い立ち)


2)「自分が家族を守らなくては」という覚悟で凶悪なチンピラを相手に体を張り、 (このときたぶん14歳)


3)家族を守って闘ったことで、周囲から初めて賞賛され(それまで誰かに好意的に接してもらったことがないわけですよ)


4)仕事がもらえるようになり、ようやく暮らしが上向きに(というかフツーに)なってきて……



しかし!
しかしここから先がポイントです!



自分が守ってやったはずの母親が、よりによってろくでなしの父親を家へ迎え入れてしまうわけですよ。
ついでに妊娠までしちゃうわけですよ。


つまり母として子供を守るのではなく、女としての欲求を選んだ。


この「許しがたい裏切り」が、「他者とは分かり合うものではなく、服従させるもの」とする彼という人間の生き方を決定づけてしまうのですよね……。



それにしても感心するほどに、「こういう人間」の側面をよく描いているなーと思うのです。
やたらと周囲の人間に「きちんとしていること」を強要するところとか、
「他人から尊敬されるフェイス」という体裁への異常なこだわりとか、
いやーヘンな話ですが、「ああー、あるあるある!」と非常に共感しました……。←そーゆー読み方をする物語ではないのでは



ただあのー、ダニー少年の裏社会サクセスストーリー! というよりは
「ダニーに脅えるファミリーのハラハラビクビク物語」というほうが正しいかもしれません。



ダニーをとりまく人々の、彼への恐怖が非常によく描かれていて、その緊張感だけで読まされてしまいます。
私自身は「犯罪者が犯罪して滅びる話なんてステレオタイプなもの読んでもなー」と思うほうで、普段はノワール的なものへの興味は薄いのですが、本作については


「どこでこうなってしまったのか?」
「どこかで引き返すことができたのでは?」


などと、人生についての考えどころがたくさんあって引き込まれました。傑作。


……ただ内容でなく、上巻での誤植の多さがやや気になりましたので、次の版から直っているといーなーと思います。